おもいこみ☆真空パック。

 いいかげん日垣隆検証をしろと言われそうなんですけど。

 弁護士の太田啓子氏が、女の子を窒息させるようなAVなるものの存在を知って、こんなツイートをしていた。

t.co

 それに対して、山本弘氏がこんなクソリプもとい引用リプをしていたのである。

  いや、なんていうか山本氏が最近表現関係になるとトンチンカンなことしか言い出さなくなってしまっているのは重々承知だが、ここまできてしまったか。と学会本を新刊出たらこまめに買ってた頃、終わりがけ数年はほとんど山本氏の担当箇所目当てに読んでた人としてはあまりに悲しいことである。

 山本氏については後ろで再び触れるとして、その下で山本氏はツイッター有識者の別名もある鐘の音氏のこんなツイートをRTしている。

  何についていっているのか具体的に述べていないのだが、それ以前にちらほらツイートしてあるAVについてのつぶやきなどから判断すると、やはりこのことについて触れているのだろうと思える。また、ついているリプも似たような判断をしていて、それに対して鐘の音氏が補足や訂正をしている様子もなさそうだ。以下そういう文脈と解釈して話を進める。

 一見明快そうに見えるこの手の話でいつも思うのは、「好き嫌い」はもっと多義的なものではないか?ということだ。俺はトマトはそこまで嫌いではないが、キュウリが嫌いである。もちろん人がキュウリを食べていようと何とも思わない。

 これがクジラやウナギになると話が難しくなる。こういった食品を食べることを嫌う人は、クジラやウナギを嗜好レベルで嫌っているからそういう態度をとっているわけではなかろう。「嫌なら食うな」といわれても、そういう話じゃねえよ、好きだけど食べない、という人も多いだろう。ウナギが好きな人より、ウナギの流通業者や広告のほうに怒りが向く、というもわりと自然な対応である。

 さらにこれが、「食料としての人間」となったらどうだろうか。人肉っておいしいんですよ、とかそういう話をしたいわけではないのは一目瞭然だし、その人肉どっから調達してきたんだ、一番酷いやり方で人肉を調達してるのは誰だ、とまあこうなる。

 要するに、比喩が安直なのである。何かを批判する、ということがおしなべてトマトが好きか嫌いかレベルの話だと思っているのだろうか。

 多分だが、太田弁護士はトマトが好きかキュウリが嫌いかレベルで批判しているわけではないだろう。「吐き気」というのだって、俺が海藻サラダを食べると反射のごとくえづく(生の海藻がひどく苦手なので)とかそういう話ではなく、生身の人間の扱われ方についての酷さを想うという話に読めるし。

 これに先立っているいくつかのツイートもなかなかにひどい。

  嫌いなものというのがトマトならわざわざ食べに行かなきゃ良さそうというのは分かる。しかし、太田氏の場合嫌いなものというのは女性に対する人権侵害なので、目に触れなきゃいいというものではないと思うのだが。

  ツイートの数からしてかなりの時間ネットに張り付いているようだから、そんなに気になるなら自分で調べてみたらいいのではないかと思うのだが。あと、この人が気に食わないものをわざわざ読んでは文句つけてるところ、何度か見たことがあるのだが気のせいかな。それは批判しなくてはいけないという動機があるからだ!というのなら、同じことがフェミニズム活動家の人についても言えるはずである。

togetter.com

 鐘の音氏と同じようなことを言っている人はずいぶん多く見受けられるのも確かだ。Togetterのまとめにも多数出現しているし、それをブックマークしたはてブにも似たような声が多い。確かに、いきなりこの話があったら、なんでこの人?と思うのもわからなくはない。

 しかし、太田弁護士のツイートそのものをさかのぼっていくと、当該ツイートの直前にいくつか関連した話題のツイートがRTされているのがわかる。たとえばこんなもの。

  いずれも、バンドハラスメントというバンドの宣伝ツイートについたレスポンスだ。7ツイート、このバンドのアカウントへの批判的なツイートがRTされていて、その後少し関係ない別の話題を挟んで当該ツイートがある。

 じゃあそのツイートというのはどんなかというと、

   なるほど、と話が見えてくるではないか。これを受けたツイートとみればしっくりくる。

   間の部分はよくわからないものの、このツイートなどはわりとよく事情を要約してありそうに見える。少なくとも、「この弁護士はAVがよっぽど好きなんだろw」のようなよく意味のわからない嘲笑じみた推測よりは妥当そうだ。

 また、こんなまとめもあり、やはりいくつか事情について触れているツイートが見える。

togetter.com もっともこれらのコメント欄や、まとめられたツイート自信にも似たような文脈で吹き上がっているツイートが数多いので、ああまとめた人やコメントしてる人もちゃんと読んでないんじゃないかなあという疑いが出てこない。

  さらにそこをたぐると、その撮影に関する裏話についての記事もある。

youpouch.com  もともと、CDのジャケットで人間を真空パックしたという話があったわけですね。

なかの人には息を止めてもらっています。その間は10秒。真空の完成度を高めるのに5秒、撮影に5秒。息を止めた状態で耐えられるみなさんの平均時間は15秒ほどなので、そこから余裕を見て10秒にしています。念のため、撮影時は1名のレスキュー要員に待機してもらっています。私に何か有った場合に袋を開けるのも、彼の役目。それからもし被写体が具合が悪くなったときのために、携帯酸素と頭を冷やすものは常備して撮影しています。

 確かにかなり用心しないとヤバい案件なわけで、そりゃ危ないというのが納得できる(ただし、この記事自体は太田氏はRTしていない)。で、おそらくその流れで「それを扱ったAVもある」という話を知れば、やっぱりそれは人権侵害は大丈夫なのかというところに思いが至るであろう。別におかしなことではない。むしろおかしなのは、唐突に変なことを言い出したかのようにまとめたひとつ目のTogetterのまとめのほうかもしれない。山本氏にしろ鐘の音氏にしろ、ニセ科学批判やデマバスターみたいなの大好きだと認識しているのだが、ご自慢のリテラシーは何をしている?リテラシーは元気か?

 いや、確かにこの太田氏、公式RTがやたら多いので、たどるの大変というのもわかるが。すでにかなりたぐるのが大変なので、数日後には多分掘り出すのは事実上不可能になりそうである。

 そして、そういう事案がありますよ、という話をうけて、調べるために検索をしてるのだから、そういう事案が入ってくるような検索をかけるのは当たり前だと思える。なのだが、なぜかTogetterでは検索でセーフサーチをOFFにしているはずだと嗤っている人が多数見られる。控えめにいって意味がわからない。あなたR18ジャンルについて調べたい時にR18外しにチェック入れるの?

  エロに詳しいオタクのはしくれとして言わせてもらうと、世の中には呼吸制御というジャンルがある。pixivあたりを自己責任で検索していただければいろいろひっかかってくると思うのだが、まあ三次元で安易にやると命がやばいやつである。ちょっと趣向が違うかもしれないが、安全に配慮した「プレイ道具」のようなものもある。バキュームベッド、などで検索するといろいろ情報が出てくる。それを布団圧縮機でやるのはまあ、危険であろう。

 こういう、二次元ならまだしも三次元だととてつもなくやばいジャンルはけっこうあるというか、エロ漫画全体がわりにそうかもしれない。やたら後ろに入れたがるし。そういうジャンルをあてこんだ三次AVのというのは、注意してしかるべき、というかするのが二次オタの嗜みであるように思うのだが、違うのだろうか。

 で。

 太田弁護士に落ち度があるとすれば、話を趣味のところに持って行ってしまったことだと思う。しかし、これはけっこう個人的に気になるところはあって、異性が苦しんでるところを見て興奮するというのはどうやったって悪趣味じゃねえかと思うのだ。悪趣味といったら語弊があるが、いくら人の性癖は無限といっても、というか無限であればこそ、相手を傷つけることで興奮する、というようなジャンルが理解を得すぎているという状況は結構危ない。

 ミステリーやホラーに比べてエロでこういう話がやり玉に上がりやすいのは、興奮するため、という用途が直結していて、それゆえの「そういうことをやってみたいのね?」という親和性だろう*1。人殺しを楽しむためにミステリー読む人あんまりいないだろうし。特に生身の相手が存在する三次となると。「猟奇的」「恐怖を覚える」というのはそこまでケシカラン評価だろうか。

 線引きの難しさはあるだろうが、広大な性癖の宇宙を全部認めてしまえ!はかえって規制を呼びこむことにしかならないわけで、批判に対してもっと誠実に考えていかなくてはいけない問題のように思うのだが。

 表現規制反対派でも、このあたりについて留保している人もいる。

 例えば極端な話、スナッフフィルムを見てる人はあんまりそれを公言しないし、したら不利益を被ることは容易に想像がつくわけで、その延長線で考えるのはそんなに難しい話なのか?と思うのだが。

 で、それはそれとして、山本氏である。

 鐘の音氏の10000以上RTされていて、されているツイートもそんなわけでかなりナイーブな見方をしているものだと思うが、山本氏も大同小異だ。

 なるほど格闘技やカーレースも人が死ぬ可能性がある競技である。ほほうなるほどなるほど、そうですね。

 で、それって今の話と何か関係あるんでしょうか。

 問題点は多分2つある。まず、それが危険で、やる側も注意に注意を重ねているということは、格闘技でもカーレースでもなされてて、それは見る側からはっきりわかるよね?ということ。なんのためにタオルの投げ込みやヘルメットがあると思ってるんでしょうか。すぐれた身体の持ち主が、高度な訓練を受けてしか出られない、ということが傍目にわかるから、ということでもある。このあたりを、虐待系AVがどれくらい共有しているか、という問題になってくる。合意はどれくらいあるのか、とか危険があぶないときのために控えているスタッフはどうなっているのかとか、まあいろいろ。

 もうひとつは、それが人権侵害にならないシロモノと、いつから確信していた?ということ。山本氏にしろ鐘の音氏にしろ、いじめについてそれなりに発言していたところを見覚えがあるのだが、たとえば山本氏は格闘技が子供のいじめにどれだけ転用されているか、などということを考えたことはないのだろうか。先生に見つかったら、「一緒に遊んでただけですよ、な!」とかいう「強制ではない」話を聞いたことはないだろうか。人を無理やり車に載せてアクセルを踏ませる人はいないだろうが、要するにどっちも場面次第では問題になりうるものだ。で、太田氏は問題になる場面について考えているわけで。山本氏の指摘が、ただのつまらない混ぜっ返し以上の何の意味があるのか不明である。

 もっとはっきりいえば、「死人が出そうだからって、なんで批判されなくてはならないの?」って、相当酷い人権感覚だと思うのだが。そもそも。

 こういうのはむしろ、「なんで格闘技やカーレースは、死人が出かねないのに続けられているんだろう?」というほうを考えたほうがいろいろ見えてくるのではないか。

 このあたりの感覚を、たとえばこんなふうに表現しているツイートもあった。今回、やたら引用RTが多くて申し訳ないのだが、いまいちピンとこない違和感を人のツイートで腑に落ちる、ということが多かったのでご容赦頂きたい。

  プロレスがしばしばショーだと言われるように、「AVだってフィクションなんだから、あくまで演技で小さい穴とか開けてあるかもしれないじゃないか」という声もあったが、だったら余計にヤバいのではないか。歴戦の人殺しでもないかぎり、何をどれくらいやったら人が死んだり後遺症が残ったりするかなんてのは大抵の人はわからんのである。つまり、それが演技なのかやらせなのかが分からない。ということは、より危険だ。プロレスの真似事で一番危険なのは、本当はショーだから手加減したり下準備がされていることを知らずに、「すごそうな技を真似しちゃう」ではないのか。

 AVの真似をするとヤバいですよという話は少し前にも話題になっていたと思うのだが、要するにそういうことでもあるわけで。ちなみに、こういう話ですぐ持ちだされる火曜サスペンスなんかは、そもそも真似してる時点で危害を加えるつもりだという点で異なる。

 フィクションとノンフィクションの区別というのはつきそうでつかないこともある。やばいのは、「ノンフィクションであるかのように見せかけて、フィクションが入り込んできている」を真に受けてしまうということだと思うので、このAVの案件などはどんぴしゃではないか。だからこそ、フェミニズムからある程度遠い人でも、太田氏の消費する側への嫌悪は批判しつつも、しかしこういう趣向はなんとかしないと事故が危ないだろう…… みたいな人がちょくちょく見えるわけで。そう考えると、山本氏や鐘の音氏の「木を見て森を見ず」ぶりは目を覆わんばかりである。

 鐘の音氏は、「美味しんぼ」の中で福島に取材に訪れた山岡が鼻血が出たと騒ぐシーンを(正しく)批判した人でもある。なぜフィクションのはずの「美味しんぼ」を批判の俎上に上げたんだろうか。この批判が的を射ていたと自分が思うのは、「美味しんぼがフィクション仕立てながら、現実の日本の社会問題を扱っていたから」だと考えているし、それは、フェミニズムの人がフィクションやAVの描写や女性の扱われ方を俎上にのせることと同様の構造ではないかと思うのだが。

 あと、この人も近代史関係でけっこう興味深く見てるアカウントなんだけど、これもひどいだろ。

 

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*1:実際にはこまかくみていけば、例えば玉潰しエロ漫画は読むけど自分で潰されるのは勘弁、という人とかだっているのは知っているけれど、まあおおよそは