おかしい報道と研究者たち。
前回の記事で、他にも今回の差し替えについて説明している人がいたので、メモ的に補足する。朝日新聞記者の伊丹和弘氏である。こちらも、大貫氏がかみついていた相手になるのだが、まとめて引用しておきたい。
現場が動いている事件・事故・事案の記事は、取材時点で「事実」だったものが、時間経過とともに「事実でない」と判明することが少なくありません。そのために、URLが引用されたときに、読者が新たな情報に触れてもらえるようにそのURLで上書きしていきます。 https://t.co/dVwlkcGXOz
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
例えば、今回の草津の噴火の場合、報道の流れを見ると、最初は「雪崩発生で不明者」で一報は入ってきました。次ぎ噴火により雪崩が起きたになり、最終的には雪崩は起きておらず、噴火による噴石が直撃したになりました。こういう報道現場でよく起きえる話について書いています。 https://t.co/4AmiXBQtYB
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
変わる理由は様々で、それを説明しつつ上書きできれば良いのでしょう。しかし、マンパワーが限られていることから、それに時間を割くより、さらに新たな事実をつかみ、上書きする方に専念します。速報しつつ、一方で紙面製作を並行に行っている、というか後者が本業であり、当然最優先されます。 https://t.co/4AmiXBQtYB
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
雪崩→噴火による雪崩で負傷者→噴火による噴石で負傷者と大きく事実が変わったのですが、その理由をさぐるのはこの場合、最優先されることではなく、新たな事実(例えば、負傷者の状態、他の被災者の有無、今後の噴火の動向など)に専念。紙面締め切り間近なら速報より、そちらが最優先となります。 https://t.co/1TTPe5R4JV
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
例えば、参考意見を聞いた専門家が見解を変えてくることもあります。それは取材側の説明不足だったり、理解不足だったり、先方の勘違いだったり、いろんな理由がありますが、それが記事の本筋に関わる場合は、そこを修正した記事を作ることが最優先となります。 https://t.co/1TTPe5R4JV
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
ちなみに、今の僕の説明は今回話題となっている記事の内容について述べているわけではありません。賢明な方々は当然ご承知でしょうが、そこはお間違えなきよう。 https://t.co/928yWR9DSi
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
それは僕の投稿がみなさんが話題にしている共同通信の記事について書いているのではなく、Mikihito Tanakaさんの投稿の「補足修正を」という呼びかけを受けて書いているからです。議論はしてませんし、特に修正するところはなかったので、補足したまでです。https://t.co/dVwlkcGXOz https://t.co/pVen6iNOPT
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
それはご指摘の通りだろうね。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
ただし、ウィキペディア的な記事構築は、ネット専業メディアでもそれをやっていないことで分かるように、人的・経済的なコストの壁が高い。また、それに価値を感じ、お金を払ってくれる人がいるのか=ビジネスになるのか、という観点も必要だと思う。 https://t.co/lS2znEbxFj
報道メディアとして現在の取材態勢をある程度保ちつつ、ネット時代の持続的ビジネスをいかに構築するか。これがなかなか解決できない課題となっている。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
うむ、読めば読むほど、ごくごくまともな解説でどこにケチをつける要素があるのか分からない。わからないのだが、何故かこれをめぐて「あいつは新聞は捏造するものだ信用ならない」というようなツイートが見られたので、実に謎である。
朝日伊丹記者の記事修正に関する連ツイの内容が批判されまくっているようだけど、あれは「通常の記事修正のしかた」を書いているだけで、今回の共同のアレについてのものじゃないし、格別擁護するためのものでもないのでは。(書き出しの辺りの流れを見ていたので
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
(ちょっと観測できた批判者の方々、「朝日」記者の発言ということでことに色めき立っているように見えてしまう。うがった見方ですが。)
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
ただアレ、引用RTに引用RTを重ねる形での連ツイになっているので、後から見た人には発端のツイートがほぼ見えないし、記述の流れも追いにくくなっているのはまずかったかなとは感じる。ツリーになっていれば、元をたどるのは比較的容易なんだけど。
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
なるほど、そう読まれていたのか。誰もがTLをさかのぼるわけではないから仕方ないか。でも、学術系の人ぐらいはそうすると思ったのだけどな。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月26日
伊丹氏は上3つを引用したあとで4つめをツイートしていて、嫌味たらしくはある。しかし、これは確かにそうなのである。今回の話、当たり前のことながら研究者がかなり反応しているのだが、どうもその結果、まともにツイートを読んでない研究者勢、という姿が結構目立って、そういう人がリテラシーのようなものを説いたりするとそれは?という状態になっている。
別に専門外のことについてとんちんかんでも専門内容についてちゃんとしてればいいとも思うんだけども。思うんだけども、話の起点が科学についての報道、なのでかなり滑稽なことになってるのは確か。まあ、その報道がさらに科学についての捏造をめぐる話題、ということで一層ややこしくなっているわけだが。
たとえば、えふわら氏(本名は非公開だが、おそらく某国立大学の工学系の教員ではないかと思われる、「元」がついているので異動したのかもしれない)は
メディアの重要なポイントに速報性はあるし、共同は通信社だから速報性が殊更重視されるんだろうけど、このジャーナル創設の件に速報性なんてないわけで、もう少し時間をかけて調べてみようとか思わんのかね。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月25日
そもそも速報性なんてない話題で、「現場が動く」とか意味がわからんねーな。 https://t.co/ptOcuAVkaD
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月26日
そもそも、そんな話をしてないのだからどうしようもない。
またえふわら氏はこんなツイートもRTしているのだが、そんなこと言って擁護してる人は見当たらないし、田中氏にしろ伊丹氏にしろ、隠蔽や捏造をよしとしているような発言はしていない。
共同通信のあの行為を「業界の慣習だから問題じゃない」って内輪の論理で擁護してるの、報道・出版業界は日本相撲協会と五十歩百歩な隠蔽が当然の業界なのです、と告白してるだけやな。そんな連中が偉そうに世の中色々と糾弾して回ってるんだぜ。
— akoustam (@akoustam) 2018年1月26日
まあ、なにかあると意地でも裏張りしたい!というような人はどこにでもいるから、ツイッターの海のどこかにはいてもおかしくないんだろうけど、この話を言及している人のRTがしているものや引用しているものをどう見ても、伊丹記者や田中氏のツイートにいちゃもんをつけてるケースばかりなんだよね。
しかしこういう光景、どこかで見たなあ、と頭をひねって思い出した。原発事故の直後に、その量の放射能なら住めなくなるなんてありませんよ、福島産の食品は食べても大丈夫ですよ、とか「説明」されると勝手に先走って御用学者呼ばわりしてた人たちだ。
毎度おなじみ(もういいよ……)の菊池誠氏はこんなことを口走っている。
朝日新聞の人はとりあえず「プロメテウスの罠」をきちんと総括するべきだよ。話はそれからだな
— きくT(2/10 ビッグアップル) (@kikumaco) 2018年1月26日
それ、今の話と関係ないよね?
あなたがそういうこと言ってると、大阪大学の先生と学生が何をされても「まずあのツイッターでとんちんかんな政治談義をやってるやつをきちんと総括しろ」って言われることになっちゃいかねないんですよ。
「プロメテウスの罠」には思うところはあるのだが、もはや便利カード代わりに使っておけばいいやあみたいなこういう態度、肝心の内容についての批判まで風化させると思うのでやめたほうがいいと思うんだけどな。
共同通信での記者の独立性がどの程度なのかよく知らないけど、大学もある意味で似たところがあるのでは。隣の学科の先生がトンデモ論文連発してたとして、どれだけ「学内での」相互批判が可能か。例えば、琉球大や名桜大はEMを止められていない。
— とりん(・と・) (@trinh_JP) 2018年1月26日
大きめの大学だと、名物教授という名のやべーやつが一人くらいいたりするよね。
もう一人、この人も匿名の研究者なのだが、fa_censor氏は、社会学が専門らしく、分析めいたツイートをしている。
共同通信の出来事、①あれは「業界の慣習」の範囲内におさまるのか、②「業界の慣習」は現代の情報環境において正当なのか、③各業界の慣習を踏まえずに批判してきたとされる業界が「業界の慣習」を主張することに正当性はあるのか、あたりの論点が重なっているのでそれぞれ分けて論じてもいいと思う。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
共同通信の一連の出来事、①~③の論点もあるけど、改竄問題を扱う記事で「改竄」を疑われることしてしまったブーメラン的要素、学問的根幹に関する誤認、問題化しようとする意図が記事タイトルからも読み取りやすい、など要件も揃ってる。 https://t.co/PH8XgrEoOk
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
現代の情報環境と「自分たちの会社・業界のこと、いい加減に報道しやがって…」という怨念の蓄積がある以上、③の争点化は止まらないだろうね。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
①で、実は一連のあの出来事は「業界の慣習」から見てもアウトだったとなると、共同通信、あと業界の慣習で共同通信を擁護しようとした人もダメージ受けるだろうね。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
うん、慣習を説明してるだけで慣習をタテに擁護しようとしてた人は自分が見たところでは見当たらないのだが、どこかにいたのかしら、という疑問再び。
そして、普段マスコミのいい加減さにうんざりしていたからといって、いい加減に叩いていいという話にならないのは、もう何度目だかわからないのだが言うまでもない。「怨念の蓄積」などといったところで、別に正当化されるわけではないのである。
こういう今回のマスコミへの「科学」勢への態度、何かでみたなと頭をひねってみたら、ああそうだ、福島第一原発事故後に、東電で末端社員に向けてなんでもやっていいかのようにバッシングしていた「反原発(の一部)」だ。おかしいな、さっきの放射能の話もそうだが、こういうのを批判したがりな人と、層が重なってるような? ちなみにえふわら氏も反原発をくさすようなツイートをここ数日だけでもちょくちょくRTしている。科学的態度とは何か(哲学)
とか考えていると、以下の話は考えさせられると思ったのでついでに引用。
言い古されたことではあろうけれども。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
最先端の研究成果の広報だけではなくて、「研究者って普段は一体どういうことをやっている人たちなんだ?」という、業界ではバカバカしいほど自明な暗黙知の情報も、同様に広報していく努力が必要なんじゃないかと思う。今日の新聞記事のドタバタを見た感想
業界のお作法すら知らない人が適当な記事を書いて。。。という話なんだろうが、お作法を知っている記者が沢山いれば問題は解決か?。。。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
ではそのお作法をどこで誰が教えるか?それが次の問題。今まで、そのような方面の人材育成を怠ってきたツケが回ってきたという見方もできるのじゃなかろうか。
そういうお作法すら知らない記者が大多数のままでは、的外れで頓珍漢な記事は今後も書かれ続けるだろう。これは両者(記者と研究者)が共に消耗する結果しか生まない。お作法を知った人からのまともな批判ならば、そこから生産的な展開も期待できる。今のままでは悪循環から逃れられない。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
ところで上で言及したえふわら氏、たまにツイートが回ってきて割と頷くことが多い人だっただけど、今回まとめて読んでいたら、ずいぶんと可笑しげなツイートが見つかった。可笑しいツイートをRTしている、というケースが多いのだけど、特にその直後に批判しているということもないものばかりである(終わりの方で引用している北守氏のは違う)。いくつか紹介してみたい。
健全なメディアがちゃんと権力監視の仕事をこなして初めて健全な民主主義社会が実現できるってのは本当にその通りなんだよ。
— 荻野浩次郎 (@orijox) 2018年1月25日
でも、そいつらがどこからも批判されず検証されず、二枚舌を駆使しながら“アタシたち記者は正義”とか開き直られたら、一体どうすりゃいいの?誰が殴れるの?
ネット民がないことないこと殴るのを得意としてるじゃん。
まあそれはおいとくとしても、メディアが一枚板になっているという発想がよくわからない。新聞の批判を雑誌がやったり、雑誌の批判を別の雑誌がやったりということはあるわけだが。昔は「噂の真相」というマスコミ批判を得意とする雑誌もあった。まああの雑誌自体がセミフェイク……まあいいや。
マスコミの「日本すごい」推しは「日本はこのままで十分に素晴らしいから疑問を持たずもっと働け」ってことだし、野党の反戦反核の主張だって、労働問題から目を反らせるのが目的だと仮定すれば、彼らも一蓮托生なのがよくわかる。
— ブロンドさん危機一髪 (@loira294) 2018年1月29日
おかしいな、俺の目には労働問題についていろいろと問題提起したり指摘したりしている野党の姿が多数見えているのだが。
「大変だ、このままだとアーカイヴを無料公開している産経の記事が正史になってしまう」 https://t.co/CwdecjCp5H
— pppopx (@pppopx) 2018年1月30日
あの、産経って縮刷版を唯一持ってない全国紙なんですが。アーカイブも最近はじめたようだが、1992年からであるし無料でもない。
というか、自分も聞蔵とか普通に使ったことあるんだけどね。確かに無料ではないけど、図書館なんかでは無料で使えるところもある。そもそも産経のアーカイブも無料ではないし、縮刷版があるおかげで図書館にいけばいくらでも読める朝日毎日読売のほうがアーカイブとしてはすぐれているのでは。
公務員の給与も改善してください.それとも,公務員は「国民」ではないのかな? https://t.co/P0OWNca6aV
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月29日
そんなこと、今公務員の給与を握っている自由民主党に言えばいいと思うのだが。というか、自治労は立憲民主党支持なので、国民でない人に立憲民主党は支持されているということかな?
やっぱり立憲民主は期待外れだったな.どういう表現をしたとしても人件費の抑制をぶち上げた時点で,勝ち目はない./
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月28日
立憲民主党がぶち上げた「公務員人件費削減」の真相をキーマンの長妻昭に直撃! https://t.co/rXrG6Jr34q
遡ってみると、どうもこの記事が気に食わなかったようなのだが、記事を読んでもそこまで腹を立てる要素が見当たらず、「あ、なるほどケチをつけるきっかけをこじつけたのね」としか思えない。どこかの大阪で起きたみたいなことを語ってるわけでもないし。というか、それで結局どこを支持政党としてブチあげることにしたんですか、という「野党批判」系の人についてのいつもの疑問に戻るわけだが。
「貧すれば鈍する」とか「金持ち喧嘩せず」とか、昔の人は知っていたはずなのに… 「経済成長よりも心」だとかなんとか戯言言ってる連中のせいで随分と荒んだ世の中になってしまったようで。
— k u r i t a 𓃬 𓃮 𓃭 (@kuri_kurita) 2018年1月28日
あの、今の国のトップに代々の金持ちが数名いますが、鈍じてないようにも喧嘩しないようにも見えないようなんですが。というか、荒んだ世の中にしたのって、主に20年位前の経営者陣や政治家のせいじゃないんですかね。
特定の属性の人間だけが住む街を作ろうって話、結局、その住人だけでインフラを維持できない場合、誰に押し付けるかってことになる。外注すればええやんって思っても、外注先は自分たちとは異なる属性の人間なんだ。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月25日
女だけの町を作るなら山売りますのでご連絡ください
— ゆ凍 (@djYUTOUU) 2018年1月27日
平地じゃありませんが
市街化調整区域なんで水道とか下水とかないですけど
大規模開発ワンチャン頼むで
女だけの町ネタで、無駄に詳細なSF考察を始める最高に気持ち悪い人たちのことをイキリオタクと呼びます。
— 北守 (@hokusyu82) 2018年1月25日
このツイートをうけて、こんな発言をしている。
気持ち悪いかどうかは別として、ある事柄に基づいてSF的考察をするのが、なんかあかんのか?シン・ゴジラだって、震災に基づいた考察だろう。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月27日
「女性だけの住む街」にいちゃもんをつけたいようなのだが(ツイートをたどるとフェミが憎いとおぼしきツイートが多数RTがされている)、「光速一定の仮定で宇宙船の速度をどんどん上げていった時にですね」「その燃料はどこに入れるのでしょう」「加速のGで死なない体が欲しいんですが」みたいなことを言って何か意味があるのかな、と思うわけだ。というか、シン・ゴジラに失礼ではないか。
こうやって話をはぐらかしてそもそもの問題から目をそらすようなやり方を平気で使う人がいくら共同通信がーと言ってみたところで、それこそ「マスコミを批判する資格」を問われるんではないかな?とも思ってしまう。
ところでマスコミのデマといえば今一番ホットなのは産経新聞がフェイクニュースを報じたという話ですが、こんなにマスコミのふがいなさに腹を立てているえふわら氏のホームにはそれについて触れているツイートが見当たらなかったことを付言しておきます。いやまあ、必ず触れなきゃいけないというものではないが。
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