いちから聞きたい「ニセ科学批判」のほんとう。

(一部の)と留保をつけておきます。

「一部を除いた」でないことはせめて祈っておくしかない。

 

 またブログをさぼっていたのだけど、別にヤバいネタがないからというわけではなくて、どっちかというとありすぎてまとめてるだけでもうんざりしてくるので手のつけようがなかったからなんだけど、さすがにちょっとでも書いておかないといけないよなあ、と。

 まあこんなブログをやっているというのは、要するに俺がニセ科学批判とかトンデモ批判とか大好きだからなんですけど、ここ一ヶ月ほどでそんな界隈が本当ヤバイ事になってる感がある。

 界隈つっても、もちろん全体がそうなんていうはずもないんですけどね。

 某政権の不手際や醜聞山盛りが噴出したあたりから、それに対する一部の「ニセ科学批判者」がへんてこなことになって、政権を批判したサイエンスライターニセ科学批判者である、片瀬久美子氏になぜかその人たちの攻撃が飛んでいくなどのヤバさ加速はあったのだけど。ここにきてさらに変なことになっている。

 まあひとことでいうと菊池誠氏と林智裕氏がほんとうに戻ってこれないところに行ってしまったということなんだけど。

 林智裕氏についてはこのブログではほとんど扱ったことがないんだけど、文章として形にしていないだけで取り上げたいと考えていたことはいくつかあった。ひとつは毎日新聞の記事にもっと明るい感じの写真を取り上げろと難詰したときの話。もうひとつは、立憲民主党のアカウントがデマに抗した時、お前ら放射能デマばっか飛ばしてたじゃないかとなぜか立憲民主党アカウントを叩いていたときである。

 どうもこの人は原発の収拾をつけた時の責任者が今どこの政党のトップにいるのかとか、当時原発事故の対応に追われている政権をメルマガでデマ攻撃していたのがどこの政党の何晋三氏なのかとか、その時に内閣不信任案とか出して政局に励んでいたのが何民党だったのかとか、すっかり忘れているらしいのだが*1、それはそれとして、話が炎上するきっかけは、辛淑玉氏がドイツで行った講演がデマで福島を叩くものだった、という話。ちなみになんでドイツかといえば、日本のヘイトスピーチが酷すぎて脱出せざるを得なかったという、ニッポンスゴイデスネー(棒)案件。

 それはともかくとして。この話はツイッターで当初見かけたので、俺も、これへえ困ったこともあったもんだな、差別に苦しんでたはずの人なのに、となんとなしに見ていた話だったのだが、その後どうもそのファクトチェック自体がデマ色強いところがあるという話で、じゃあこれなんなの?ということになる。その一方で菊池氏はそれをもって、辛淑玉氏を「本当の反差別でない」と言い出したので、みたいな話。

 

 で、そのあたりの経緯はいろいろ言われてるのだけど、そこからまとめておくと本当に永遠に終わらなさそうなので、個人的に本当終わったなと思ったのがこの話。

 

 

 

 

  ええと…… DAPPIとか500円ってtwitterでは有名なデマアカウントなのだけど。理由が分かる、というのはどういうことなのか。単に推測できますということなのか、だから納得できるということなのか。

 それからこれ。

  俺は「消去法でどうのこうの」という言い方で反対派の口を塞ごうとする人、というのがある時期から本当大嫌いで、なぜかというとどう考えてもそれ、消極的に増長させてるだけだよね?ということなのだが、まあ最近の政局をみているとそのとおりだな、と言わざるを得ないわけで。

 何をいいたいかというと、あなた熱心に現政権を擁護したりそれを批判する勢力にケチをつけたりしておられますが、その中には嘘っぱちなものもたくさんあるわけで、間接的に人を殺しにおいやってる自覚あるんですか?と。

 福島デマによって人が死においやられる可能性、というのを提起するのも結構なのだが、正直そこのとこどれくらい分かってるのか気になる。

 まあ、それはかなり俺の個人的な思いなのでちょっと置くとしても、もうひとつすごく危ういよなと思うのは、「デマは人を死なせる」というテーゼで、まあ実際そういうことはあると思うのだけど、死ぬ死なないを論じるなら、「本当のことを言うこと」が人を死なせることはいくらもある。実際のところ、人を傷つけるために発された以外に解釈の難しそうなツイートが炎上しているときに、「でも本当じゃないか息苦しい世界だ」などとうそぶく人が高確率で出てくるあたり、ここは問題なのだ。そりゃ、世の中に差別がこれしかないなら、次に原発事故が起こるまでこれ一本槍でいけるかもしれないが、実際にはそうでないわけで。もっと言うと、もし原発事故でほんとうに目に見えて健康被害が出ていたら、どうするつもりだったの?ということでもある。それでも「福島差別」はダメなはずであるが、菊池氏のようなロジックは差別を容認する形で働きかねないのだ。

 多分これは、デマかそうでないかと切り分けたほうがいいやつなのだ。逆に、人が死なないなら、あるいは広範に傷つけないならデマを吐いてもいいのか、ということでもある。本来、ダメだろう。

 というところをあえて強調したいのは、批判された菊池氏が、自分は「事実関係を指摘しただけ」だというような言い訳をしていたからだ。こんな、自分は部落に相当する地名をリストしただけなのになんで差別なんですかみたいな話を、2018年にもなって大学教授の口(文字だけど)から飛び出すとは思わなかったよ。

 俺は差別というのは割と本能というか、大昔の人間の行動に根ざすところ大だと思っているので、反差別者がなにかのはずみで差別発言をしてしまうというのはまあありうるし、そこは変に反差別そのものを否定することなく言動を批判していくしかないと思う。なのでよくネットで反差別やフェミニズム寄りの人の言動不一致をあげつらって活動そのものを謗るような発言を見ると「そういうことしてもしょうがなくねえか?」と思うところ大なのだが、こんなガバガロジックで言抜けしようとしている話となると別である。この人にとっての差別感覚って何だ

 後藤和智氏の批判が非常にそのとおりだなあと思った。

 

 

 

 

 

 そして批判された末に、言い出したのがこれである。元tweetは削除されているようだが、スクショとして記録して批判している人がけっこういる。

 

  こちらの人もやはり画像として保存している。この、アンタッチャブルの定義についていろいろつぶやいている部分は、次の渡部真氏の批判のなかの文脈で登場するので、少し重複するけれど引用することにする。

 

 

 

  いやーその、ネトウヨはネットの中にいるはずなのに、在特会は街に出ているからネトウヨじゃない」並の辞書解釈の悪用をこんなところで見せられるとは思いませんでした。特に嬉しくない。

 で、これを受けて、当然のごとく批判されている。渡部氏はここ最近で他にもかなり多く菊池氏の批判ツイートをしているのだけれど、この人が昔からニセ科学アンチだったとかそういう話ではない。この人は福島在住で、放射能デマを批判していた側の発言者である

 

 

  同じく、エントリー冒頭でも少し出てきたけど、ニセ科学批判者として名の知られている、片瀬氏のツイート。

 

  次に、林氏であるが、いろいろと昔から思うところはあったんだけど、なかなか取り上げないでいたら今回の騒動で鍵をかけてしまったために引用もしようがなくなってしまった。しかし、まあひとつの批評としては、こんなのがあった。

  最近は、放射能デマ批判派に近い人からもよく批判されているのを見たのだけど、とりあえずそのあたりはおいておく。おいておいちゃいけないんだろうけど、もっと端的なものがあったので。

 

 

  うん。この人一ミリも反省してないね

 

  菊池氏についてはこのブログでも何度となく扱っているけど、基本的なところとしてのニセ科学放射能デマを批判しなくてはいけない、それが侵害するかもしれない人権は、なににおいても大切なものだからだ、というような信念があるんだろうな、という点については、一応疑うつもりはなかったんだけど。それはかなり党派性で塗りたくられてわかりにくいけれど林氏も基本はそうなんだろうと思っていたんだけど。

 でもどうもここにきて、そこのところが本格的に怪しくなってきたというか、あえて「全部嘘だった」と言いたくなる気持ちが割と分かった気がするというか。じゃあそういう人にとって、ニセ科学批判ってなんだったんだろう?というか。

 

 

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

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福島第一原発廃炉図鑑

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*1:もちろん、立憲民主党の中に放射能デマに躍らされた人もいたこと自体は否定するつもりはない