いちから聞きたい「ニセ科学批判」のほんとう。
(一部の)と留保をつけておきます。
「一部を除いた」でないことはせめて祈っておくしかない。
またブログをさぼっていたのだけど、別にヤバいネタがないからというわけではなくて、どっちかというとありすぎてまとめてるだけでもうんざりしてくるので手のつけようがなかったからなんだけど、さすがにちょっとでも書いておかないといけないよなあ、と。
まあこんなブログをやっているというのは、要するに俺がニセ科学批判とかトンデモ批判とか大好きだからなんですけど、ここ一ヶ月ほどでそんな界隈が本当ヤバイ事になってる感がある。
界隈つっても、もちろん全体がそうなんていうはずもないんですけどね。
某政権の不手際や醜聞山盛りが噴出したあたりから、それに対する一部の「ニセ科学批判者」がへんてこなことになって、政権を批判したサイエンスライターのニセ科学批判者である、片瀬久美子氏になぜかその人たちの攻撃が飛んでいくなどのヤバさ加速はあったのだけど。ここにきてさらに変なことになっている。
まあひとことでいうと菊池誠氏と林智裕氏がほんとうに戻ってこれないところに行ってしまったということなんだけど。
林智裕氏についてはこのブログではほとんど扱ったことがないんだけど、文章として形にしていないだけで取り上げたいと考えていたことはいくつかあった。ひとつは毎日新聞の記事にもっと明るい感じの写真を取り上げろと難詰したときの話。もうひとつは、立憲民主党のアカウントがデマに抗した時、お前ら放射能デマばっか飛ばしてたじゃないかとなぜか立憲民主党アカウントを叩いていたときである。
どうもこの人は原発の収拾をつけた時の責任者が今どこの政党のトップにいるのかとか、当時原発事故の対応に追われている政権をメルマガでデマ攻撃していたのがどこの政党の何晋三氏なのかとか、その時に内閣不信任案とか出して政局に励んでいたのが何民党だったのかとか、すっかり忘れているらしいのだが*1、それはそれとして、話が炎上するきっかけは、辛淑玉氏がドイツで行った講演がデマで福島を叩くものだった、という話。ちなみになんでドイツかといえば、日本のヘイトスピーチが酷すぎて脱出せざるを得なかったという、ニッポンスゴイデスネー(棒)案件。
それはともかくとして。この話はツイッターで当初見かけたので、俺も、これへえ困ったこともあったもんだな、差別に苦しんでたはずの人なのに、となんとなしに見ていた話だったのだが、その後どうもそのファクトチェック自体がデマ色強いところがあるという話で、じゃあこれなんなの?ということになる。その一方で菊池氏はそれをもって、辛淑玉氏を「本当の反差別でない」と言い出したので、みたいな話。
で、そのあたりの経緯はいろいろ言われてるのだけど、そこからまとめておくと本当に永遠に終わらなさそうなので、個人的に本当終わったなと思ったのがこの話。
福島関係で相互フォローだった人が、どんどんDAPPIだの500円だのやその周辺をRTするようになって、そんなものがTLに並ぶのは耐えられないからアンフォローしようか、でもフォローされているからなあと思っているうちに、アンフォローされたので安心して私もアンフォローしたアカウントがいくつもある。
— taka(維新は要らない) (@smoketree1) 2018年4月5日
この理由は分かる気がする。いずれにしても、RTでよく流れてくる https://t.co/Vo3hQJgrD3
— kikumaco(4/12,23ベアーズ (@kikumaco) 2018年4月6日
おっ、おう…
— taka(維新は要らない) (@smoketree1) 2018年4月6日
さすがにこれには「えっ?!」っとなった。 pic.twitter.com/fCsfO46hzE
— taka(維新は要らない) (@smoketree1) 2018年4月7日
ええと…… DAPPIとか500円ってtwitterでは有名なデマアカウントなのだけど。理由が分かる、というのはどういうことなのか。単に推測できますということなのか、だから納得できるということなのか。
それからこれ。
そう仰る菊池氏自身は、よく政治デマを流しておられますが、それは、政治デマは人を殺さないから容認しても構わないというお考えからなのでしょうか?https://t.co/xv0o6jW1EG
— taka(維新は要らない) (@smoketree1) 2018年4月6日
俺は「消去法でどうのこうの」という言い方で反対派の口を塞ごうとする人、というのがある時期から本当大嫌いで、なぜかというとどう考えてもそれ、消極的に増長させてるだけだよね?ということなのだが、まあ最近の政局をみているとそのとおりだな、と言わざるを得ないわけで。
何をいいたいかというと、あなた熱心に現政権を擁護したりそれを批判する勢力にケチをつけたりしておられますが、その中には嘘っぱちなものもたくさんあるわけで、間接的に人を殺しにおいやってる自覚あるんですか?と。
福島デマによって人が死においやられる可能性、というのを提起するのも結構なのだが、正直そこのとこどれくらい分かってるのか気になる。
まあ、それはかなり俺の個人的な思いなのでちょっと置くとしても、もうひとつすごく危ういよなと思うのは、「デマは人を死なせる」というテーゼで、まあ実際そういうことはあると思うのだけど、死ぬ死なないを論じるなら、「本当のことを言うこと」が人を死なせることはいくらもある。実際のところ、人を傷つけるために発された以外に解釈の難しそうなツイートが炎上しているときに、「でも本当じゃないか息苦しい世界だ」などとうそぶく人が高確率で出てくるあたり、ここは問題なのだ。そりゃ、世の中に差別がこれしかないなら、次に原発事故が起こるまでこれ一本槍でいけるかもしれないが、実際にはそうでないわけで。もっと言うと、もし原発事故でほんとうに目に見えて健康被害が出ていたら、どうするつもりだったの?ということでもある。それでも「福島差別」はダメなはずであるが、菊池氏のようなロジックは差別を容認する形で働きかねないのだ。
多分これは、デマかそうでないかと切り分けたほうがいいやつなのだ。逆に、人が死なないなら、あるいは広範に傷つけないならデマを吐いてもいいのか、ということでもある。本来、ダメだろう。
というところをあえて強調したいのは、批判された菊池氏が、自分は「事実関係を指摘しただけ」だというような言い訳をしていたからだ。こんな、自分は部落に相当する地名をリストしただけなのになんで差別なんですかみたいな話を、2018年にもなって大学教授の口(文字だけど)から飛び出すとは思わなかったよ。
俺は差別というのは割と本能というか、大昔の人間の行動に根ざすところ大だと思っているので、反差別者がなにかのはずみで差別発言をしてしまうというのはまあありうるし、そこは変に反差別そのものを否定することなく言動を批判していくしかないと思う。なのでよくネットで反差別やフェミニズム寄りの人の言動不一致をあげつらって活動そのものを謗るような発言を見ると「そういうことしてもしょうがなくねえか?」と思うところ大なのだが、こんなガバガロジックで言抜けしようとしている話となると別である。この人にとっての差別感覚って何だ。
後藤和智氏の批判が非常にそのとおりだなあと思った。
「あなた」がヘイトスピーチに晒されている辛淑玉氏に対して「本当の反差別ではない」などと言って石井孝明などによる誹謗を容認したということをまだ認めないのですか。差別に晒されて日本で過ごせなくなった人をそのように言うことになんの良心の呵責も感じなかったのか! https://t.co/wOaD1Z5uzy
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
まともな感覚を持ってニセ科学を批判する人なら、多くの「ニセ科学批判者」がもしくは現政権に批判的な人ばかりを批判することに違和感を覚えているはずであり、Fact Check 福島への批判の多くもそのようなものです。「科学的正しさ」で殴ることの快感を諫めることくらいできるはずなのに。
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
とりあえず辛淑玉氏についてはこの3件の記事をよく読むといい。https://t.co/BtLhiLRSAO (2018.03.09朝日新聞)https://t.co/iyeboGGewm (2018.03.18朝日新聞)https://t.co/ktFKskLgaE (2018.03.26ハフポスト)
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
「ヘイトスピーチによって生活の場である日本を追われ」「ヘイトスピーチについて名誉毀損裁判を起こしている人に」「「お前は本当の反差別ではない」と言うための根拠として」行われる「事実誤認の指摘」は、ただの「事実誤認の指摘」にとどまるものではない、ということがなぜ理解できないのか。
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
もうこの件についての言及は控えたいけど、ここまで「条件」が揃った上での「事実誤認の指摘」をただの「事実誤認の指摘」としてしか捉えられない人はもう相手にする必要はないと思います。
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
なんども言うけどさ、ただ事実誤認を指摘するならともかくとして、批判対象者が差別被害を訴えている状況で、その差別被害を解決しようとする方向ではなく「お前は真の反差別ではない」と逆に叩く方向に働いてしまったことの意味を理解することができないのか。
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
そして批判された末に、言い出したのがこれである。元tweetは削除されているようだが、スクショとして記録して批判している人がけっこういる。
これって、例えばC.R.A.C.の反論に対して、ファクトで対応するということを怠って、「民族差別をアンタッチャブルにしてはいけない」という形で逃げるのも、差別構造の悪用ですよね。 https://t.co/0gd5RmkPsd
— えるねこ (@die_sel_cat) 2018年4月6日
別に相手の民族性がどうだろうと、ファクトレベルで批判するなんてのは好きにすりゃいい訳だけど、ファクトレベルでの反論にはちゃんとファクトレベルで応えるなど議論の中で民族性を問題にしない配慮は当然必要。それをちょっと反論された位で「アンタッチャブル」とか呆れるわ。
— えるねこ (@die_sel_cat) 2018年4月6日
こちらの人もやはり画像として保存している。この、アンタッチャブルの定義についていろいろつぶやいている部分は、次の渡部真氏の批判のなかの文脈で登場するので、少し重複するけれど引用することにする。
菊池さんの最悪なツイート。何にも語っていない上、人によってはこの言説に影響され、反社会的な主張を助長する結果を招く。まさしくR.ローティの指摘する文化左翼の「よくて役立たず、最悪デンジャラス(有害) becomes useless or at worst dangerous」な発言の典型。 pic.twitter.com/IwnYVEEdQS
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年4月7日
菊池さんの「アンタッチャブル」発言についての弁明ツイート。発言を削除した理由も述べている。要するに「不可触賎民」に意味で使った訳ではなく「非難されることが許されない人」の意であるとの主旨なので、誤解を招くので削除したとのこと。 pic.twitter.com/gmHgmZssl8
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年4月8日
この発言を批判している方のツイートは、自分が確認したかぎりだが「非難することが許されない」という意味で解釈されてる方が大半のような印象。「不可触賎民」の意味も持つ言葉を不用意に振り回したことを非難するものもなかったとは言えないが。https://t.co/QNPcPL6GTK
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年4月8日
いちおう確認のため、いまだ削除されてない分で菊池さんの「アンタッチャブル」の文言が入ったツイートを検索。これらを読んで菊池さんが「不可触賎民」の意味で使っていると考える人は到底いないと推察される。「アンタッチャブル」ツイート削除の言い訳は詭弁で、別の意図で削除した可能性もある。 pic.twitter.com/xUI56IXX5a
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年4月8日
いやーその、「ネトウヨはネットの中にいるはずなのに、在特会は街に出ているからネトウヨじゃない」並の辞書解釈の悪用をこんなところで見せられるとは思いませんでした。特に嬉しくない。
で、これを受けて、当然のごとく批判されている。渡部氏はここ最近で他にもかなり多く菊池氏の批判ツイートをしているのだけれど、この人が昔からニセ科学アンチだったとかそういう話ではない。この人は福島在住で、放射能デマを批判していた側の発言者である。
もちろん、菊池先生が消されたツイートですよ。「恐ろしい」という評価をつけて「触れられない(アンタッチャブルの)存在」が「白日のものになった」と断定した事です。ちなみに「アンタッチャブル」の定義とかの問題じゃないです。 https://t.co/J66HjWC1BN
— 渡部真 (@craft_box) 2018年4月8日
「批判する事が許されない存在がいる」なんて、日本社会で天皇であろうと朝鮮民族の問題であろうと、僕には「事実」と断定できる根拠がまったく見当たらないんですけど、仮にも「事実」を追及しようと言っている人が、なに言ってるんですか?って感想です。(続く @kikumaco https://t.co/ObKpJ27Hek
— 渡部真 (@craft_box) 2018年4月8日
「批判する事が許されない存在」なんてものはは、今回の騒動のなかで「明らかになった事実」でも何でもないですけど、それが菊池先生の「事実」「fact」なのだとしたら、今後は菊池先生の「事実」「fact」の定義がそうなんだと認識しておきますよ。陰謀論に堕ちられたのは残念です @kikumaco
— 渡部真 (@craft_box) 2018年4月8日
同じく、エントリー冒頭でも少し出てきたけど、ニセ科学批判者として名の知られている、片瀬氏のツイート。
自分が批判されたのは、「アンタッチャブルな存在」に触れたからだと思うのは、自己保身に都合の良い考え方です。これが新たな在日コリアン攻撃への燃料となっていることも無自覚の様子。。。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2018年4月8日
人格攻撃を扇動して騒動を引き起こして、自分には全く非が無いと思っているのなら、もう手の施しようがない
「放射能デマを広めた行為」を批判するのに、その指摘に留まらず「反差別者ではない」等と辛さんの活動の全てを否定して、人格攻撃に発展させたのが問題なのだという事を、まだ認識できない人達がいます。これでは扇動者と同じです。
— 片瀬久美子 (@kumikokatase) 2018年4月8日
「批判者は抑制的であるべき」というのは肝に銘じたい。 https://t.co/XLdshBP3tI
次に、林氏であるが、いろいろと昔から思うところはあったんだけど、なかなか取り上げないでいたら今回の騒動で鍵をかけてしまったために引用もしようがなくなってしまった。しかし、まあひとつの批評としては、こんなのがあった。
私自身、福島に関する誤解を減らしたいと思ったのがツイッターを始めた動機だったし「ファクトチェック福島」の意義はよくわかる。でもここ2~3年の林さんたちの発信を考えたら、方向性について最初からよほど真剣に確認し合わなければ、おかしな結果になるのは見えていた。シノドスの責任は非常に重い
— murata koji (@murataquang) 2018年4月6日
最近は、放射能デマ批判派に近い人からもよく批判されているのを見たのだけど、とりあえずそのあたりはおいておく。おいておいちゃいけないんだろうけど、もっと端的なものがあったので。
なんでこの人はID変えて、名前も漢字のハングル表記になってんの? @Limcheeyu
— 無量光 (@muryoko26) 2018年4月7日
もうFCFの件への言及は控えようと思ったけどこれは別。行き過ぎた記述が指摘されて本家サイトも謝罪・撤回した中でコメントもほとんどなくツイッターを非公開にするのはまだ許容できるとしても名前を韓国語にして何がしたいのか。 https://t.co/E61JGHkBmb pic.twitter.com/aZ6w0BV2bP
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
仮に「韓国名を名乗れば反差別界隈は批判してこないだろう」という意図なのだとしたら、それこそ差別と誤解に基づく行為ではないのか。
— 後藤和智@技術書典-う06/資料性博覧会-12/例大祭-つ21b (@kazugoto) 2018年4月7日
うん。この人一ミリも反省してないね。
菊池氏についてはこのブログでも何度となく扱っているけど、基本的なところとしてのニセ科学や放射能デマを批判しなくてはいけない、それが侵害するかもしれない人権は、なににおいても大切なものだからだ、というような信念があるんだろうな、という点については、一応疑うつもりはなかったんだけど。それはかなり党派性で塗りたくられてわかりにくいけれど林氏も基本はそうなんだろうと思っていたんだけど。
でもどうもここにきて、そこのところが本格的に怪しくなってきたというか、あえて「全部嘘だった」と言いたくなる気持ちが割と分かった気がするというか。じゃあそういう人にとって、ニセ科学批判ってなんだったんだろう?というか。
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スタティスティック雑技団。
あるいはこいつら信頼区間95%伝説。
いや、何の意味なのかっていうと、語感とゴロ以外なにもないんだけど。
最近は、ツイッターの抜粋しかしていないので、少し真面目なエントリを。別に好きで抜粋しかしてないわけじゃないのだが、ツイートって後から追うのが大変だからメモ用にとりあえずベタベタ貼り付けておこうってなっちゃうんですよね。
佐々木俊尚氏のこんなツイートをみかけた。
日本の新聞が唱えてきた客観的中立報道、ついに終わりのベルが鳴る。新聞の信頼感が低くなった理由に「特定勢力に偏った報道」という理由が41.4%に10p以上も急増。新聞通信調査会の調査から。/新聞への信頼感の上下とその理由 https://t.co/IgW4PHfFsP pic.twitter.com/iMixL92zDq
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2018年1月25日
しかし、これは統計の見方としてものすごく下手な見方をしているのではないか。いや、別に俺は統計の専門家でもなんでもないんですけどね。
このアンケートは、新聞の信頼が低くなったと答えた人のうちで、偏向しているからだと答えた人が増えたからだ、という話が出ている。それを元にしてツイートしているのが佐々木氏である。それ以外のなにかが元になっているのかもしれないが、ここからは他に読み取れる情報はない。
よく見て欲しい。偏向している度合いが高くなった、ではない。偏向していると答えた人が増えたのである。この2つは別物だ。「偏向しているから信頼できなくなった」という人がいることと、「実際に偏向している」は直結するとは限らない。治安が悪くなっていなくても、ワイドショーでキレる17歳とか言いまくれば体感治安は悪くなるし、いらん持ち物検査ばかりされてうんざりするのはダシにされた中高生だったりする。絶対に許さないぞ。
こんなことは、「統計でウソをつく方法」からの統計リテラシーの(たぶん)常識である。
もし、証明したいと思うことが証明できなくても、何かほかのことを論証して、両方とも同じことなのだと見せかければよいのである。統計数字を目の前につきだされてぼんやりしている時には、その違いに気がつく人などめったにいないだろうから。こじつけの数字は確実に読者諸君の役に立つ道具なのである。もちろん、今までもそうだった。
(ダレル・ハフ「統計でウソをつく方法」(講談社ブルーバックス,1968)p118)
あるいはこんな例は、ああ最近だとあの話じゃないか!とピントと来る人もいるのではないか。
一九五二年に、カリフォルニアのセントラル・バレーで報告された脳炎患者は、最悪と言われたその前年の三倍にも達した。びっくりした多くの住民たちは、子供を別の土地に疎開させた。ところが、実際に患者を数えてみると、その嗜眠性脳炎による死亡はたいしてふえていなかったのであった。そして、ことの起こりというのはこうだったのである。長年の懸案と取り組むために、州と連邦保健局の役人たちが大勢動員された。その結果、以前なら見過ごされ、おそらくその病気と認められないような軽い症状のものまでたくさん記録されてきたのであった。
(「統計でウソをつく方法」p204)
つまり、佐々木氏が欲しいであろうデータはこれじゃないはずなのだ。なので、このツイート自体が(これをアジのための情報として振りまきたいのでない限り)そもそも無意味である。
ちなみに同じように増加している項目があって、それは「政府・財界の主張通りに報道するだけ」という項目なのだが、佐々木氏は何故か触れようとしない。まあ140字では余白が狭すぎるということなのだろうが。
とはいえ、直接的に測ることのできないものさしというのがあるのも確かである。そういうときに、おそらく類似の傾向があるだろう、と仮に見積もってみるのは悪いことではない。アニメの人気をディスクの売上で見積もるのは、直結はしないかもしれないけれど、おおよその基準にはなる。これがアニメのおもしろさを論じるとなるとどうだろう。
なので、もう少しこの数字の実態を掘り下げてみたいところだ。
佐々木氏のツイートのグラフが掲載されている。オリジナルの記事を見てみることにする。これはyahooに掲載されたもので、ガベージニュースの運営者である、不破雷蔵氏による記事らしい。
この記事に紹介されているグラフはいくつかあるが、佐々木氏が引用しているのは信頼が低くなった、という人にその理由を問うたものの内訳。じゃあ、それはどっから来たかというと、さまざまなメディアごとについて、信頼度がどう変わったか?を質問したアンケートがまずあり、そこで「低くなった」と答えた人の内訳がさきほどのものである。
で、それに関するグラフを見ると、確かに新聞は確かに信頼度が下がっていて、その下げ幅は年々高くなっている。それはそれで良いんだけど、見ると他のメディアもおしなべて下がっている、ということになる。しかも、プラスになっている年もメディアもない。それってなんなの。今年もここ10年で最悪の出来のマスコミとかそういう話なの。
そもそも、このグラフ、処理が少し手が込んでいる。それぞれのメディアに対する信頼がどう変わりましたか?という設問に対して、「高くなった」と答えた割合と「低くなった」と答えた割合の差を出している。確かにその差が大きければ信頼が失われているといえるのかもしれないけれど、元の値が示されていないこともあって、結局何を表しているのか、いまひとつよくわかりにくい。
縦軸の数字をよく読むと、値はだいたい数%くらいである。「高くなった」と「低くなった」の差が数%。母数全部は100%ということを考えると、これはあんまり差がないということにも読める。青木率のように、経験的に使われている尺度なのかもしれないが、特にこの数字が特別な意味を持つという解説があるわけでもないし、よくわからない。
ということで、調査結果そのものを見ていることにする。yahooの記事の数字は、公益財団法人新聞通信調査会というところが行っている世論調査に基づいている調査書が下敷きになっているようだ。これは、別に記事にも名前が出ているので、それを使って記事が書かれていることには何ら問題はない。
www.chosakai.gr.jp2017年調査結果はこちら。
この報告書を見れば、記事のもととなった具体的な数字が分かる。
もうひとつ分かることは、「変わっていない」「無回答・わからない」と答えた人の存在である。これは、yahooの記事ではわからない。そういう選択肢がある事自体は当たり前というか、ちょっと想像すればわかるのだけれど、しかしこれを考慮に入れると少し結果の見え方が変わってくる。
まず、実際の数字を拾ってみる、新聞の信頼が「高くなった」と答えたのが4.2%、「変わらない」と答えたのが86.2%、「低くなった」と答えたのが7.9%である。で、yahooの記事では、そのうち、「高くなった」と「低くなった」の差をとった値を出しているから、-3.7%になる、とこういうわけだ。
確かに「低くなった」と答えた人のほうが多い。そしてその差は少しだが前より大きくなっている。それはそうである。が、このグラフには、そもそもほとんどの人はどちらとも思っていないという情報が落ちてしまっている。差だけをグラフにすると、絶対値が小さいこともあって大きく変化しているように読めてしまう。
これが「インターネット」に対する信頼性になると、「変わらない」の割合がだいぶ減って68.6%しかいない。その代わり、「高くなった」が8.1%で「低くなった」が15.3%となっている。低くなった人が非常に多いが、高くなった人も多い。インターネットは、この中で比較されているメディアとしてはかなり「変わらない」が少ないのでこんなふうになるわけである。
つまり、新聞に対する印象はわりと変化が少なく、インターネットに対する印象は良くも悪くも大きく変化しているという読み方もできるわけだ。
その他のメディアも含めて、全体をまとめると、こんなグラフになる。
まずそれぞれのメディアについて、信頼性が「高くなった」と答えた割合。
次に、「低くなった」と答えた割合。
次に、「変わらなかった」と答えた割合。
(原点を0%にするとすべてのグラフの線がくっついて見づらいため、縦軸は、0〜65%をカットしてある。そのため、実際より大きく変化して見えることに注意)
うむ、これではとてもじゃないが新聞の信頼が最近よくないことについてどうこういう資料としては使えなさそうだ。もっとも、yahooに不破氏が掲載しているグラフでも、別に新聞がとびぬけて値が大きなマイナスというわけでもない。大きなマイナスになっているのは、雑誌とインターネットである。一応差そのものの時間変化を見れば、大きくなっているのは確か、とは言える、その程度である。
さて、次に評価が変わった理由、についてである。これは、「特定の勢力に偏った報道をしているから」という割合が29.7%から41.4%に変化したことが記事でも言及されていて、元々の資料でも書かれている。記事でははっきり言及してないが、「反日ガー」とやたら言いたい人に注目させたいことがなんとなく伺える書き方をしている。「政界や財界の主張通りに報道するだけだから」という項目があって微妙に相補関係になっているように見えるので、それはわからないでもない(と、いうようなことは、記事にも言われている)。ただこれどうなんだろうね。政界の主張通り、というのには、例えば杉田水脈氏のような主張はおそらく含まれないのである。
まあそれは良い。佐々木氏も、これをもって「中立報道が終わった、いう内容のツイートはしているけれど、どっちに向けて中立を捨てたとは主張していない。なんとなく行間から読めるのはこの際横に措くとして。
それより気を付けないといけないのは、この数字は新聞への信頼性が「低くなった」と答えたうちの割合であるということだ。
これが、例えば高くなった40%、低くなった60%、の中での比較なら、その中の40%というのはかなり大きい数字である。しかし、これは元が全体の7.9%(2016年は6.9%)しかいなかった集団に行った再質問なのである。それを加味するとどうなるか。
すると、2017年には3.3%、2016年には2.0%が、「特定勢力に偏った報道をしているから」新聞の信頼が落ちた、という解答をしているということになる。5割増しといえば聞こえはいいのだが、こういうのは普通横ばいっていわねえか。
ちなみに「政界や財界の主張通りに報道するだけだか」と答えたのは、0.9%→1.3%。こちらもことさらに言うほどではない変化。その点については触れなかった佐々木氏は妥当である。分かってて触れなかったのかはともかく。
元記事で言及されている「誤報があったから」を含めて、長期的な変化を追うとこうなる。
「誤報があったから」という解答が2014〜2015年に一時的に増えたことは顕著で(これは元記事でも言及されている)、あとはまあ横這いに近い。いや、2017年には「特定の勢力に偏った報道をしている」と答えた人が増えているといえなくもない。しかし、縦軸の数字を見れば分かる通り、それはスケールのトリックに近い。少なくとも、佐々木氏の言うような「日本の新聞が唱えてきた客観的中立報道、ついに終わりのベルが鳴る」という結論は、仮にこの数字が本当の偏向具合を反映していたとしても、よほど大げさな人か、反メディアを煽りたいという目的のために実数から目をそらしていないと出てこないと思う。報道の自由ランキングが坂を転げ落ちまくってるほうが、まだメディアのありかたの危機を表明してそうである。いや知らんけど。
ちなみに元記事には、
新聞は主要メディアの中ではNHKテレビに次いで高い信頼度を持っているが、それはこれまでの先人諸氏の努力によって積み上げられた「信頼」と名付けられた資産を食いつぶして、ようやく維持しているに過ぎない。その現状を認識し、行動を律する事ができなければ、「信頼感は下落した」との回答者率は、来年度以降も高い値を維持したままとなる。果たして新聞に携わる人のどれだけが、その事実を理解しているだろうか。
とある。
まずいいたいのは、要するに高くても低くても結論の部分には関係ないじゃないか、ということである。信頼度が高ければ「資産の食いつぶし」といいながら別のアンケートを持ち出す。信頼にそれほど大きな下落がなければ、あるいは他のメディアに比べてたいしたことがなければ、「差分を取って年比較」。これっていいかげんなマスコミがやることそのものではないか。「買ってはいけない」が添加物や化学物質の毒性について、経口摂取でダメなら皮下注射の数字を出し、直接の発がん性がなければ変異毒性の報告を出し、いまいち煽りきれなかったら「目に入ったら痛かった」と言い出したのを思い出す。
再び、「統計でウソをつく方法」から。
どのような数字にしても、その表現の仕方はいろいろあるものだ。
たとえば、まったく同じ事実を表わすのに、売上高の一%の利益とか、投資額の一五%の利益とか、一〇〇〇万ドルの儲けとか、四〇%の利益の伸び(一九三五−一九三九年平均と比較して)とか、去年の六〇%減とか、いろいろに表わせるのである。そして、この中から当面の目的に最もかなった方法を選んだら、その数字が、事実を正しく表していないと気のつく者などほとんどいないだろうと思い込むが良い。
(「統計でウソをつく方法」p131)
それはともかく、ずっと信頼感の高低の話をしてきたあとで「高い信頼度を持っている」話をしているので同じ基準で論じられているかのように見えてしまうのだが、ここで言う信頼度を問うアンケートというのは、別の設問である。
これは、それぞれのメディアの信頼度を0から100点の間で評価してもらうというものだ。で、記事でメインに扱われている信頼度がどう変わりましたか?というのは別の質問。別に同じ人が毎年アンケートしているわけではないので、信頼度のアンケートの値の高低を参考にして信頼感の変化がはじき出されているわけではない。ざっくりした傾向は変わらないはずではあるが。
しかし、例えば先程の「信頼感がどう変化したか」についてのアンケートでは全メディアが2013年からずっと「高くなった」より「低くなった」が優っていて、それは2017年の場合も変わらない。ところが、信頼度アンケートでは、例えば雑誌についていうと、44.6→45.0とわずかながら信頼度が上がっているのである。そのほか新聞、NHK,民放テレビ、ラジオについても微増していて、信頼度が下がっているのはインターネットだけである。あれ?
ここからは俺の推測になるのだが、たぶんそれぞれの回答者がだした「得点」自体がかなりざっくりしたものだろうと思う。別にれっきとした採点基準があるわけでなし、71点とか、89点とかつけてる人はあんまりいないのでは? それを平均しているのだから、誤差バーとかいう以前に「だいたいの当て推量」を出ない数字でしかない。ネットよりは新聞、民放よりNHKを信頼してるんだろうな、くらいは言えるとして。
じゃあ「信頼感が高くなった、低くなった」があてになるのかというと、元が高いメディアなのかそうでないかという要素は大きい。まとめサイトの信頼感が「低くなった」と今更言う人はあんまりいないと思うし、俺は新聞は割と信頼している方だけれど、多分「高くなった」と答えはしないと思う。この時点で、どう思っているかは実際のメディアの実態とつながるわけではないわけで、それに加えてその理由を主観で問う質問への解答、とこうなったものを嬉々として(かどうか知らないが)引用しているのが佐々木氏ツイートである。とりあえず、リテラシーがないのか、わざと恣意的なデータを持ってきているのか、はたまたメディア批判をしている意図は実は自分がそうだと信じている立ち位置につきたいだけなのか、はっきりして欲しいところだ。まあ三番目は邪推。
メディアの偏向度合いを客観的に調べる方法なんてないので、仕方ない側面もある。それは、2014年ごろに「誤報がある」ことをもって新聞の信頼度が下がったと答えた人が(これはかなり顕著に)増えたことともつながる。ありていにいえば騒ぎ立てれば下がるということで、それはマスコミがマス「ゴ」ミと言われる所以でもあると思うのだが、なぜかyahooの記事には、そのバッシングに加わった新聞社の名前はyの字もsの字も出てこない。
これは、2017年になって「特定勢力に偏った報道をしているから」が増えたことについても似たようなことが言える。新聞はフェイクニュースのかたまりだ、という主張ばかり見ていれば、本来の新聞の内容にかかわらず信頼は低くなるのである。どういう総理が国会でどういうことを言っているのか、などを踏まえればメディア以外のところに原因を求めたほうが良いようにも見える。
実際のところ、信頼が「低くなった」と答えている人がかなり高くて、しかも2017年になってハネ上がっているのは「インターネット」だったりする。メディアの信頼性の変遷、という観点だと、新聞についてのアンケートの細かい数字を詮議するよりも重要そうにも見えるのだが、もしかしたら「ネットメディア」の書き手としては、それはネットで数字が取れないという判断があるのかもしれない。yahooの記事についているはてブでの好評ぶりも、ある意味それを裏付けているようにも見える。まあ不破雷蔵という名前は、ネットメディアとツイッターの外では普通は5年ろ組の頼りになるけど優柔不断な先輩を思い浮かべる人が多いと思うんで(中でもそうかもしれない)、基本的にネットの人だろうし。もっとも、もしそうなら、それは民放がニセ医学煽りで数字を取ったり、雑誌がセンテンススプリング砲で数字を取るのと変わらないけれど。単純に新聞がテーマありきだったからいろいろ数字をいじって探した、のほうがまだ好意的な見方か。
もちろんこの数字にしても、インターネットの信頼性が2017年に本当に低くなったことを意味するものではないわけだが。(個人的には、WELQ事件が影を落としてるんではないかと思うが、あくまで推測)
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ところで、メディアの信頼性といえば、佐々木氏においてはこの本のタイトルはなんだったのかについて伺ってみたいところだ。マス「ゴ」ミ的手法の典型ではないか。浜矩子やラビ・バトラの本を信頼する人がそれほどいない(婉曲表現)のは、つまりそういうことだろうに。「編集部が勝手につけた」なのかもしれないけれど。
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古典ということで今回は多数引用したけれど、かなり昔の本なので時代を感じさせる記述が多い、いろんな意味で。当時のアメリカってこうだったんだなあ、と別の想像もかきたてられる本でもある。
あと、ダウン症候群やガンの初期発見の重要性についての統計に関する記述については今となっては誤解を招くのではないか。
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おかしい報道と研究者たち。
前回の記事で、他にも今回の差し替えについて説明している人がいたので、メモ的に補足する。朝日新聞記者の伊丹和弘氏である。こちらも、大貫氏がかみついていた相手になるのだが、まとめて引用しておきたい。
現場が動いている事件・事故・事案の記事は、取材時点で「事実」だったものが、時間経過とともに「事実でない」と判明することが少なくありません。そのために、URLが引用されたときに、読者が新たな情報に触れてもらえるようにそのURLで上書きしていきます。 https://t.co/dVwlkcGXOz
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
例えば、今回の草津の噴火の場合、報道の流れを見ると、最初は「雪崩発生で不明者」で一報は入ってきました。次ぎ噴火により雪崩が起きたになり、最終的には雪崩は起きておらず、噴火による噴石が直撃したになりました。こういう報道現場でよく起きえる話について書いています。 https://t.co/4AmiXBQtYB
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
変わる理由は様々で、それを説明しつつ上書きできれば良いのでしょう。しかし、マンパワーが限られていることから、それに時間を割くより、さらに新たな事実をつかみ、上書きする方に専念します。速報しつつ、一方で紙面製作を並行に行っている、というか後者が本業であり、当然最優先されます。 https://t.co/4AmiXBQtYB
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
雪崩→噴火による雪崩で負傷者→噴火による噴石で負傷者と大きく事実が変わったのですが、その理由をさぐるのはこの場合、最優先されることではなく、新たな事実(例えば、負傷者の状態、他の被災者の有無、今後の噴火の動向など)に専念。紙面締め切り間近なら速報より、そちらが最優先となります。 https://t.co/1TTPe5R4JV
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
例えば、参考意見を聞いた専門家が見解を変えてくることもあります。それは取材側の説明不足だったり、理解不足だったり、先方の勘違いだったり、いろんな理由がありますが、それが記事の本筋に関わる場合は、そこを修正した記事を作ることが最優先となります。 https://t.co/1TTPe5R4JV
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
ちなみに、今の僕の説明は今回話題となっている記事の内容について述べているわけではありません。賢明な方々は当然ご承知でしょうが、そこはお間違えなきよう。 https://t.co/928yWR9DSi
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
それは僕の投稿がみなさんが話題にしている共同通信の記事について書いているのではなく、Mikihito Tanakaさんの投稿の「補足修正を」という呼びかけを受けて書いているからです。議論はしてませんし、特に修正するところはなかったので、補足したまでです。https://t.co/dVwlkcGXOz https://t.co/pVen6iNOPT
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
それはご指摘の通りだろうね。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
ただし、ウィキペディア的な記事構築は、ネット専業メディアでもそれをやっていないことで分かるように、人的・経済的なコストの壁が高い。また、それに価値を感じ、お金を払ってくれる人がいるのか=ビジネスになるのか、という観点も必要だと思う。 https://t.co/lS2znEbxFj
報道メディアとして現在の取材態勢をある程度保ちつつ、ネット時代の持続的ビジネスをいかに構築するか。これがなかなか解決できない課題となっている。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月25日
うむ、読めば読むほど、ごくごくまともな解説でどこにケチをつける要素があるのか分からない。わからないのだが、何故かこれをめぐて「あいつは新聞は捏造するものだ信用ならない」というようなツイートが見られたので、実に謎である。
朝日伊丹記者の記事修正に関する連ツイの内容が批判されまくっているようだけど、あれは「通常の記事修正のしかた」を書いているだけで、今回の共同のアレについてのものじゃないし、格別擁護するためのものでもないのでは。(書き出しの辺りの流れを見ていたので
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
(ちょっと観測できた批判者の方々、「朝日」記者の発言ということでことに色めき立っているように見えてしまう。うがった見方ですが。)
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
ただアレ、引用RTに引用RTを重ねる形での連ツイになっているので、後から見た人には発端のツイートがほぼ見えないし、記述の流れも追いにくくなっているのはまずかったかなとは感じる。ツリーになっていれば、元をたどるのは比較的容易なんだけど。
— 谷家幸子(たにやん) (@taniyanyanz) 2018年1月26日
なるほど、そう読まれていたのか。誰もがTLをさかのぼるわけではないから仕方ないか。でも、学術系の人ぐらいはそうすると思ったのだけどな。
— 伊丹和弘@マリサポ兼記者 (@itami_k) 2018年1月26日
伊丹氏は上3つを引用したあとで4つめをツイートしていて、嫌味たらしくはある。しかし、これは確かにそうなのである。今回の話、当たり前のことながら研究者がかなり反応しているのだが、どうもその結果、まともにツイートを読んでない研究者勢、という姿が結構目立って、そういう人がリテラシーのようなものを説いたりするとそれは?という状態になっている。
別に専門外のことについてとんちんかんでも専門内容についてちゃんとしてればいいとも思うんだけども。思うんだけども、話の起点が科学についての報道、なのでかなり滑稽なことになってるのは確か。まあ、その報道がさらに科学についての捏造をめぐる話題、ということで一層ややこしくなっているわけだが。
たとえば、えふわら氏(本名は非公開だが、おそらく某国立大学の工学系の教員ではないかと思われる、「元」がついているので異動したのかもしれない)は
メディアの重要なポイントに速報性はあるし、共同は通信社だから速報性が殊更重視されるんだろうけど、このジャーナル創設の件に速報性なんてないわけで、もう少し時間をかけて調べてみようとか思わんのかね。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月25日
そもそも速報性なんてない話題で、「現場が動く」とか意味がわからんねーな。 https://t.co/ptOcuAVkaD
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月26日
そもそも、そんな話をしてないのだからどうしようもない。
またえふわら氏はこんなツイートもRTしているのだが、そんなこと言って擁護してる人は見当たらないし、田中氏にしろ伊丹氏にしろ、隠蔽や捏造をよしとしているような発言はしていない。
共同通信のあの行為を「業界の慣習だから問題じゃない」って内輪の論理で擁護してるの、報道・出版業界は日本相撲協会と五十歩百歩な隠蔽が当然の業界なのです、と告白してるだけやな。そんな連中が偉そうに世の中色々と糾弾して回ってるんだぜ。
— akoustam (@akoustam) 2018年1月26日
まあ、なにかあると意地でも裏張りしたい!というような人はどこにでもいるから、ツイッターの海のどこかにはいてもおかしくないんだろうけど、この話を言及している人のRTがしているものや引用しているものをどう見ても、伊丹記者や田中氏のツイートにいちゃもんをつけてるケースばかりなんだよね。
しかしこういう光景、どこかで見たなあ、と頭をひねって思い出した。原発事故の直後に、その量の放射能なら住めなくなるなんてありませんよ、福島産の食品は食べても大丈夫ですよ、とか「説明」されると勝手に先走って御用学者呼ばわりしてた人たちだ。
毎度おなじみ(もういいよ……)の菊池誠氏はこんなことを口走っている。
朝日新聞の人はとりあえず「プロメテウスの罠」をきちんと総括するべきだよ。話はそれからだな
— きくT(2/10 ビッグアップル) (@kikumaco) 2018年1月26日
それ、今の話と関係ないよね?
あなたがそういうこと言ってると、大阪大学の先生と学生が何をされても「まずあのツイッターでとんちんかんな政治談義をやってるやつをきちんと総括しろ」って言われることになっちゃいかねないんですよ。
「プロメテウスの罠」には思うところはあるのだが、もはや便利カード代わりに使っておけばいいやあみたいなこういう態度、肝心の内容についての批判まで風化させると思うのでやめたほうがいいと思うんだけどな。
共同通信での記者の独立性がどの程度なのかよく知らないけど、大学もある意味で似たところがあるのでは。隣の学科の先生がトンデモ論文連発してたとして、どれだけ「学内での」相互批判が可能か。例えば、琉球大や名桜大はEMを止められていない。
— とりん(・と・) (@trinh_JP) 2018年1月26日
大きめの大学だと、名物教授という名のやべーやつが一人くらいいたりするよね。
もう一人、この人も匿名の研究者なのだが、fa_censor氏は、社会学が専門らしく、分析めいたツイートをしている。
共同通信の出来事、①あれは「業界の慣習」の範囲内におさまるのか、②「業界の慣習」は現代の情報環境において正当なのか、③各業界の慣習を踏まえずに批判してきたとされる業界が「業界の慣習」を主張することに正当性はあるのか、あたりの論点が重なっているのでそれぞれ分けて論じてもいいと思う。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
共同通信の一連の出来事、①~③の論点もあるけど、改竄問題を扱う記事で「改竄」を疑われることしてしまったブーメラン的要素、学問的根幹に関する誤認、問題化しようとする意図が記事タイトルからも読み取りやすい、など要件も揃ってる。 https://t.co/PH8XgrEoOk
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
現代の情報環境と「自分たちの会社・業界のこと、いい加減に報道しやがって…」という怨念の蓄積がある以上、③の争点化は止まらないだろうね。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
①で、実は一連のあの出来事は「業界の慣習」から見てもアウトだったとなると、共同通信、あと業界の慣習で共同通信を擁護しようとした人もダメージ受けるだろうね。
— ε=(´ω` ) (@fa_censor) 2018年1月26日
うん、慣習を説明してるだけで慣習をタテに擁護しようとしてた人は自分が見たところでは見当たらないのだが、どこかにいたのかしら、という疑問再び。
そして、普段マスコミのいい加減さにうんざりしていたからといって、いい加減に叩いていいという話にならないのは、もう何度目だかわからないのだが言うまでもない。「怨念の蓄積」などといったところで、別に正当化されるわけではないのである。
こういう今回のマスコミへの「科学」勢への態度、何かでみたなと頭をひねってみたら、ああそうだ、福島第一原発事故後に、東電で末端社員に向けてなんでもやっていいかのようにバッシングしていた「反原発(の一部)」だ。おかしいな、さっきの放射能の話もそうだが、こういうのを批判したがりな人と、層が重なってるような? ちなみにえふわら氏も反原発をくさすようなツイートをここ数日だけでもちょくちょくRTしている。科学的態度とは何か(哲学)
とか考えていると、以下の話は考えさせられると思ったのでついでに引用。
言い古されたことではあろうけれども。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
最先端の研究成果の広報だけではなくて、「研究者って普段は一体どういうことをやっている人たちなんだ?」という、業界ではバカバカしいほど自明な暗黙知の情報も、同様に広報していく努力が必要なんじゃないかと思う。今日の新聞記事のドタバタを見た感想
業界のお作法すら知らない人が適当な記事を書いて。。。という話なんだろうが、お作法を知っている記者が沢山いれば問題は解決か?。。。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
ではそのお作法をどこで誰が教えるか?それが次の問題。今まで、そのような方面の人材育成を怠ってきたツケが回ってきたという見方もできるのじゃなかろうか。
そういうお作法すら知らない記者が大多数のままでは、的外れで頓珍漢な記事は今後も書かれ続けるだろう。これは両者(記者と研究者)が共に消耗する結果しか生まない。お作法を知った人からのまともな批判ならば、そこから生産的な展開も期待できる。今のままでは悪循環から逃れられない。
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2018年1月25日
ところで上で言及したえふわら氏、たまにツイートが回ってきて割と頷くことが多い人だっただけど、今回まとめて読んでいたら、ずいぶんと可笑しげなツイートが見つかった。可笑しいツイートをRTしている、というケースが多いのだけど、特にその直後に批判しているということもないものばかりである(終わりの方で引用している北守氏のは違う)。いくつか紹介してみたい。
健全なメディアがちゃんと権力監視の仕事をこなして初めて健全な民主主義社会が実現できるってのは本当にその通りなんだよ。
— 荻野浩次郎 (@orijox) 2018年1月25日
でも、そいつらがどこからも批判されず検証されず、二枚舌を駆使しながら“アタシたち記者は正義”とか開き直られたら、一体どうすりゃいいの?誰が殴れるの?
ネット民がないことないこと殴るのを得意としてるじゃん。
まあそれはおいとくとしても、メディアが一枚板になっているという発想がよくわからない。新聞の批判を雑誌がやったり、雑誌の批判を別の雑誌がやったりということはあるわけだが。昔は「噂の真相」というマスコミ批判を得意とする雑誌もあった。まああの雑誌自体がセミフェイク……まあいいや。
マスコミの「日本すごい」推しは「日本はこのままで十分に素晴らしいから疑問を持たずもっと働け」ってことだし、野党の反戦反核の主張だって、労働問題から目を反らせるのが目的だと仮定すれば、彼らも一蓮托生なのがよくわかる。
— ブロンドさん危機一髪 (@loira294) 2018年1月29日
おかしいな、俺の目には労働問題についていろいろと問題提起したり指摘したりしている野党の姿が多数見えているのだが。
「大変だ、このままだとアーカイヴを無料公開している産経の記事が正史になってしまう」 https://t.co/CwdecjCp5H
— pppopx (@pppopx) 2018年1月30日
あの、産経って縮刷版を唯一持ってない全国紙なんですが。アーカイブも最近はじめたようだが、1992年からであるし無料でもない。
というか、自分も聞蔵とか普通に使ったことあるんだけどね。確かに無料ではないけど、図書館なんかでは無料で使えるところもある。そもそも産経のアーカイブも無料ではないし、縮刷版があるおかげで図書館にいけばいくらでも読める朝日毎日読売のほうがアーカイブとしてはすぐれているのでは。
公務員の給与も改善してください.それとも,公務員は「国民」ではないのかな? https://t.co/P0OWNca6aV
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月29日
そんなこと、今公務員の給与を握っている自由民主党に言えばいいと思うのだが。というか、自治労は立憲民主党支持なので、国民でない人に立憲民主党は支持されているということかな?
やっぱり立憲民主は期待外れだったな.どういう表現をしたとしても人件費の抑制をぶち上げた時点で,勝ち目はない./
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月28日
立憲民主党がぶち上げた「公務員人件費削減」の真相をキーマンの長妻昭に直撃! https://t.co/rXrG6Jr34q
遡ってみると、どうもこの記事が気に食わなかったようなのだが、記事を読んでもそこまで腹を立てる要素が見当たらず、「あ、なるほどケチをつけるきっかけをこじつけたのね」としか思えない。どこかの大阪で起きたみたいなことを語ってるわけでもないし。というか、それで結局どこを支持政党としてブチあげることにしたんですか、という「野党批判」系の人についてのいつもの疑問に戻るわけだが。
「貧すれば鈍する」とか「金持ち喧嘩せず」とか、昔の人は知っていたはずなのに… 「経済成長よりも心」だとかなんとか戯言言ってる連中のせいで随分と荒んだ世の中になってしまったようで。
— k u r i t a 𓃬 𓃮 𓃭 (@kuri_kurita) 2018年1月28日
あの、今の国のトップに代々の金持ちが数名いますが、鈍じてないようにも喧嘩しないようにも見えないようなんですが。というか、荒んだ世の中にしたのって、主に20年位前の経営者陣や政治家のせいじゃないんですかね。
特定の属性の人間だけが住む街を作ろうって話、結局、その住人だけでインフラを維持できない場合、誰に押し付けるかってことになる。外注すればええやんって思っても、外注先は自分たちとは異なる属性の人間なんだ。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月25日
女だけの町を作るなら山売りますのでご連絡ください
— ゆ凍 (@djYUTOUU) 2018年1月27日
平地じゃありませんが
市街化調整区域なんで水道とか下水とかないですけど
大規模開発ワンチャン頼むで
女だけの町ネタで、無駄に詳細なSF考察を始める最高に気持ち悪い人たちのことをイキリオタクと呼びます。
— 北守 (@hokusyu82) 2018年1月25日
このツイートをうけて、こんな発言をしている。
気持ち悪いかどうかは別として、ある事柄に基づいてSF的考察をするのが、なんかあかんのか?シン・ゴジラだって、震災に基づいた考察だろう。
— 元えふわら (@efuwara) 2018年1月27日
「女性だけの住む街」にいちゃもんをつけたいようなのだが(ツイートをたどるとフェミが憎いとおぼしきツイートが多数RTがされている)、「光速一定の仮定で宇宙船の速度をどんどん上げていった時にですね」「その燃料はどこに入れるのでしょう」「加速のGで死なない体が欲しいんですが」みたいなことを言って何か意味があるのかな、と思うわけだ。というか、シン・ゴジラに失礼ではないか。
こうやって話をはぐらかしてそもそもの問題から目をそらすようなやり方を平気で使う人がいくら共同通信がーと言ってみたところで、それこそ「マスコミを批判する資格」を問われるんではないかな?とも思ってしまう。
ところでマスコミのデマといえば今一番ホットなのは産経新聞がフェイクニュースを報じたという話ですが、こんなにマスコミのふがいなさに腹を立てているえふわら氏のホームにはそれについて触れているツイートが見当たらなかったことを付言しておきます。いやまあ、必ず触れなきゃいけないというものではないが。
ノモス主権への法哲学 ―― 法の窮極に在るもの/法の窮極にあるものについての再論/数の政治と理の政治
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君の家に着くまでずっと差し替えられていく。
山中教授の施設で不正があったというニュースをめぐって、共同通信がへんてこりんな記事を出したという話。
俺も理系院卒なので論文を投稿したことは当然あるし、そういう論文誌がどうやって運用されているかも知っているので、これがおかしな記事であることはわかる。
一方で、TLにいる研究者系の人がイキってるのを見るとそれはそれでかなり疑問を感じてしまう。例えば、立教大学助教の白鳥潤一郎氏は、マスメディアは低学歴だ論を言い出している。
査読のシステムを理解していない新聞記事が話題になっている。件の記事については単に取材不足や社としてのチェック機能の問題だけど、これに限らずマスメディア関係者の多くが低学歴(=修士以上の学位を持っていない)だということが問題の根幹にあるように思う。実務家にも同じことが言える。
— SHIRATORI Junichiro (@jshiratori) 2018年1月25日
で、案の定匿名の記者アカに突っ込まれている。端的にいってみっともない。ちなみにお前が低学歴だからひがんでるんだろなどの声もありましょうが、俺は博士修了です。
むしろ同い年なら、5年くらい早くから取材経験を積んでる学部卒のほうが勝るところもあるんではないでしょうか。もっと上の年になったら知らんけど。
この理屈に従うと、マスコミだけではなく日本人の大半は低学歴ということに…(学部卒業者の大学院進学率は1割強) https://t.co/r5QCN7yPgM
— 江戸西 (@edonowest) 2018年1月26日
院卒でなければ会話が成立しないがごとくの鼻持ちならなさが漂いますね。象牙の塔は、このようにして形成されるのだなあ
— 江戸西 (@edonowest) 2018年1月26日
まあそれはさておき、自分たちがたまたま知っていただけ、から離れれば、共同通信の発想のほうが普通だと思うんですよね。
まあ世の中一般の人は「自分が創刊者である学術誌なら自分の部下の論文を優先して掲載させられるのではないか」くらい思うラジよ。素人はバカだ不見識だと言わないでこの機会に査読誌の仕組みを説明してついでに不正が発見できない理由を話すことだってできる。
— PsycheRadio(水漏れ再発) (@marxindo) 2018年1月25日
研究畑の人だとピアレビュー(査読)の仕組みは、あまりにも当たり前に思えるけど、一般の雑誌記事などで同じような仕組みがある、というのはちょっと考えてみたけど思いつかない。つまり、研究畑の人は、これは一般社会には馴染みの薄い仕組みだということをまず理解するところから始まるのかな。 https://t.co/cnMtZL0rNE
— NISHINO, Yoshitaka (@Yoshitaka_4120) 2018年1月25日
それにしても、そこをちゃんと掘り下げるのがメディアだろというか、もう少しまともな記事を書けなかったのかな、と思うけれど。ともあれ、この記事は別の論点(山中氏が給料を寄付に充てるとのこと……それもどーよ)にスポットを当てた記事に差し替えられたのだが、それがまた捏造呼ばわりで炎上することになる。これについては後述。
で、あんまり共同通信に同情する気もないのだが、うへっと思ってしまったのが科学ライター大貫剛氏のツイート。
おかしな記事を書いてしれっと差し替えた共同通信の関係者は数人程度かもしれない。それをネットで「慣習だ」と擁護したマスコミ関係者もやはり数人程度かもしれない。でも、そういうことから信頼が崩壊して、数万人の業界関係者がマイナスからの信頼回復に取り組むなんてのはいくらでも起きてきたこと
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年1月26日
おっそうだな、なのでニセ科学やら科学リテラシーやらを標榜する人はあの人とかあの人とかあの人のせいで信頼が崩壊してることを深く認識してほしいんですが、この人してないほうの代表だよね。どっちかっつーと。
大貫氏自身にしても、戦中体験を語った新聞の投書に「この世界の片隅でを見るべき」などというとんでもない侮蔑発言をしてみたり、密着して肌が浮き上がるスカートなんてのは実際にはありえませんと現役でそういう服を着まくってるアイドルに指摘されたのにああいうことだってあるのに規制なんてケシカラン!と言ってみたり、他にもいろいろあった気がするが、とにかく個人的に信頼は崩壊しまくってるんだけど、どこから始めるのか、人のことをどうこう言う前にそっちを先に語ってほしいですよね。
ちなみに個人的になのだが、二番目の話、普段街で肌が浮き出てるスカートなんて見ないよね、という「観察力」と、「ラテックスとかでもなきゃ、ふつうはピシっとしたときに張る線は頂点同士を結んだものだしそれ以上はたるむだけ」という最小作用の原理と地球の重力の存在を忘れてるという「理論的思考」、両方を何かのためにどっかにおいてきた発言をしてしまったという意味で科学ライターとしてすごくどうかと思う勘違いだったと思います。
まあそれはともかく、こういうの、社会学とか心理学の一般論としてはともかく、少数例だとわかってて煽るのってそういうのをマスゴミの所業というと思うんだが、どうなんでしょうか。自分たちの煽動は綺麗な煽動ですかそうですか。いろんな意味で、サイエンスライターとしての疑念を持たざるを得ないんだが。いやすいません、元から持ってるけど、これについても改めて持たざるを得ないんだが。
この人が何をごくわずかな不祥事でばっさり切り捨てて、何を一生懸命擁護するか、ということの方向性はときどき流れてくるツイートなどを見受けしてだいたい知っているので、そういう意味でも何を冷静ぶっているのか、という話でもある。
ちなみに、大貫氏は何かを揶揄するつもりで以下のようなツイートをRTしている。それが何を意味しているかは、あえて触れませんが。
モリカケ問題で、『官公庁の記録破棄は問題!残すべき!』って言ってたマスコミの人達が、『アーカイブ化で報道は萎縮』『自由な報道ができない』って言って、挙句に『新しい情報が出たから差し替えた』『必要な判断だ』って言ってるの、キングオブコントのネタかよ。
— io302 (@io302) 2018年1月27日
例の共同記事の差し替えについて業界の人が、ああいうシステムなんだからしょうがないじゃん、システム知らないで批判しちゃだめよ、って書いてあるのを見たんですが、もし官僚が行政文書について不要な文書は廃棄するっていうシステムで、しかも保存は金かかるし、って言ったらどうするのかな?
— nobu akiyama (@nobu_akiyama) 2018年1月26日
その中立しぐさは、お前たちネット論客のテンプレートかしら?
触れてるじゃん>自分
というか、ニュースを発信するメディアがどんどんアップデートするのと行政文書を破棄するのを一緒にするセンスがどうかというか、比喩を持ち出すときにへんてこな例をだしたらただの詭弁になってしまうというのは科学的な話がトンデモに流れる典型パターンと思うのだが、何をいってるんだ。
こういうのRTすればするほど「科学リテラシーを語る人々」の信頼を崩壊させてるのわからんのかな。やめてほしいんだけどな、というのがいち科学好きの感想なのだが。もっとも、擁護したいのが「科学」でなくて別の何かだとしたら、大正解なのかもしれない。
沖縄で米軍の何かが落ちまくっているときに、何を擁護して何を揶揄したいんだか透けて見えすぎるツイートもある。
「予防着陸しないでちゃんと基地まで帰ってくるヘリコプターもいます」 https://t.co/35LPkJu6bV
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2018年1月26日
ヘリコプラー一機落ちたら大事故だろ?
いや、報道被害というものを軽視したいわけではないけれどさ。
これを今何か面白いうまいことを言ったつもりでつぶやく人が、航空宇宙を語ってるというのはすごいギャグである。笑えませんけど。
もっとも、擁護したいのが(以下略)
ちなみに、当ブログではおなじみ(ほめてない)菊池誠氏もずいぶんである。
記事についての指摘はもっともだけど、マスコミが、って一派一絡げにして断じるのはどうなんだろう。当たり前だけど、いろんなメディアがあり、一つのメディアの中にもいろんな記者がいて、いろんなデスクがいるんです。 https://t.co/BECbFHXBBq
— 須田桃子/Momoko Suda (@MomokoSuda) 2018年1月25日
大変申し訳ないのですが、それは昨今の菊池教授の言動にも当てはまる部分がお維にあると思うので、「あなたが言うか」としか思えないのです。https://t.co/Hs0jRKIVJu
— taka(維新は要らない) (@smoketree1) 2018年1月26日
そしてさきほどの匿名記者氏にも突っ込まれている(この人は新聞記者のようなので、多少ポジショントークを割引くべきだが)。
例えばキクマコ先生の専門分野外での発言がいくらアレだからといっても、アカデミズムの世界はみんなあの人みたいだと十把ひとからげにされたら、中の人たちは怒ると思うけどね
— 江戸西 (@edonowest) 2018年1月26日
個別に起きた問題に対する評価を、問題を発生させた組織が属する業界全体への評価に広げることが科学的に正しい態度なのかね
— 江戸西 (@edonowest) 2018年1月26日
というか、大貫氏のツイートはこういう動きに対するリアクションのようにも見えるのだが、だとしたらなお最悪であるな。自分たちに対するチェックは意地でも拒否したいけど、マスコミは叩きたいということになるんだけど。
須田氏はSTAP細胞についての調査報道で賞をもらっている科学記者だが、もちろん「だからバイオなんてクソだ、女性科学者なんてクソだ」なんて話はしてなかったわけですよ。ていうかしないのが普通なんですけど。普通ならしないことに励んでるのが、大貫氏だったり菊池氏だったりするわけだ。
そういえば、この人も放射能デマなんかに批判的なことを積極的に言及していた人だと思うんだけど、まあそういうのは同業者とは違うかもだけど、いつになったらお仲間の一部を袋叩きにするんでしょうね。
職業倫理に反する行為をとった専門職は、同業者が袋叩きにするべきものですよ。残念ながら袋叩きにしても死なないことが多いから、「おかしな輩」本人への実行力は高が知れてるけど、「これはダメだ」という意思表示はきっちりしていかないと、「同じ穴の狢」扱いされるんです。報道人も例外ではない。
— PKA (@PKAnzug) 2018年1月26日
というか、具体的な事例を思い出せないから言及できないけど、この人のツイートも大概どうかと思う発言の山だったような。
ちなみに、慣習だと擁護しているツイートとしてかなり拡散されている(そして、大貫氏がかみついている)ものとしては、たとえば以下のようなものがある。早稲田大学の田中幹人氏によるものである。なお、これにからめて大貫氏は早稲田大学のメディア系が傲慢メディアの体質っぽかった、というようなことをツイートするくらい、この人のコメントが気に食わなかったようである。
o0( 個々の失態はもちろん大きな問題。ただ、双方が相手の「慣習」を知らないままに相手を批判しているのはほんとマズいよ…
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
もっとどうでもいいニュースも、普段からこんな風に時間経過と共に差し替えられているんよ…もちろん、「これだけ<我々のあいだで>騒ぎになっているのだから、最初の版のミスリード問題に対する真摯な反省を入れ込んでこそプロだろ」とかの意見も有って良い(というか僕はそう思ってる)。
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
ただ、TLを見ている限り、ちょっと怖い勢いで「マスゴミがー!」ってなっている専門家があまりに多くて、ちょっと落ち着きましょうよ、と言わざるを得ない。
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
(少なくとも、東大、奈良先端や東工大でこれまで僕の講義を受けてくれた皆さんは、そういう話をしたので上記の説明でピンと来るはず…)
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
御指摘の古い記事の内容が、記事の下の方に圧縮されていますよね。これは新情報を通常上の方に持ってきて、古い情報を下の方に圧縮していく、一般的な作法に則っているように見えます。 https://t.co/X72TeCnct4
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
えぇ、私も常々「報道でもWikipediaのように『編集履歴』が自動作成され、これを閲覧できる仕組みの実装は難しく無いし、情報のアクセス権に対する責任としても重要」と主張しています。(ただ、こうした現行の仕組みが抱えている問題と、いまヒートアップしている議論は整理する必要があろうかと。) https://t.co/2KLya4q0Os
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
割と多くの方が「なんのために記事を書き換えるのか」を誤解されているようなので、蛇足ながら:通常、記事は最初の版が出てから最終版まで、複数回書き換えられます。「これはできるだけ最新の情報を届ける」ための歴史の古い仕組みです。→
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
→例えば、東京で配達される新聞は第14版くらいですが、印刷所から遠い僻地だと、物理的に輸送の時間を見込まなければならないため、もっとずっと早い版が届く(9版とか)。この古い版は当然、最新の情報は反映されていないわけです。ただ、最新の情報をどんどん入れていけば、記事も長くなる。→
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
→なので、前の記事を圧縮して、最新の情報を入れていくことになる。記事の文字数にも限りがありますし。「Web時代なんだから長くすればいいじゃないか」という意見もあろうかと思いますが、あんまり長くすると読者が読んでくれない。なのでそのニュースを二次利用するとこも配信してくれない。→
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
→そういったことに対処するために、現在のような仕組みになっているわけです。共同通信の記事は地方紙に配信されますが、地方紙の最終版の入稿時間はまちまち(普通の会社の営業時間で編集を終えるところもあれば、24時間営業みたいなところまで)。この結果、どんどん書き換えがされるわけです。→
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
こんなところかな。(私は雑誌ライターだったけど新聞記者であったことは無く、今の分野になってからインターンを3社でやった程度の経験値なので、本職のかた、必要ならば補足修正お願いします)
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
o0( 他者の行為に悪意を仮定してそのことに怒るのは、誰しも凄く「ラク」なことなので、出来る限り頑張って、他者の持つ合理性を理解することにつとめていきたいものだなぁ、と。
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月26日
別にごくふつうの話である。 こんなん当然踏まえなくてはならない上に、もしそれすら念頭になかったのなら「ピアレビューが当然」というのを知らなかった記者並みに、メディアの仕組みについて知らなかったと恥じなくてはならない話である。第n版、みたいな話、漠然とマスコミに興味を持つとなんとなく耳に入ってくる話だと思うけど。
こういう話をしたツイートに、共同通信の元の記事と同レベルに不満を抱いているのなら、それはもはや自分たちのポジショントーク以外は認めない、という話でしかないと思うのだが。ちなみにもう一つ朝日新聞の伊丹記者も似たようなことを説明していて、それもかみつきの対象になっている。いいから話聞きなよ。差し替えがなかったら、ノーベル賞の第一報なんて、「日本人の受賞者はいませんでした」になりかねないでしょうに。
これで、よく共同通信は研究者の慣習を知らないで記事にしてる!なんて言えたもんだよなあ、と思ってしまう。いや、メディアは普通の人以上にちゃんとしてくださいよ、と思わなくはないのだが、そのメディアの側の人間には大貫氏も入りますからね。こないだの菊池氏もそうなんだけど、自分の側のいきすぎ加減に指摘されると自業自得だーみたいなところに話を持っていくの、少なくとも科学的精神からは程遠いのではないか。まあ、マスコミ憎しのアジびらをやりたいんですよというならそれでもいいし、そう表明すればいいと思うが。ぶっちゃけ、今のネットでそれでフォロワーやRTふぁぼが減るとも思えぬし。
まあそれは皮肉として、自分のTLの研究者の反応なんかを見ていて「お前らたまたま知ってただけだろ?」と言いたくなる、というのもこのあたりに理由があって、結局自分のとこの慣習については敏感でも人のところの慣習には興味がない、どころか指摘されると嫌な顔をしながら言い訳を垂れ流されてもなあ、そういう態度でイキられてもなあ、ということになってしまうわけである。日本史の時間に艦これやってたからミッドウェーで沈んだ空母をフルで言えて先生にびっくりされたオタクでももう少し「いやあたまたまですよ」って顔してると思う。喩えが長い。あと艦これっていうかDMM登録できるのは18歳以上です。
もちろん、この田中氏の説明だけで個人的に納得できるかといえばそうでもなくて、記事の内容が圧縮して下の方に追いやられているとはいえ、全然違うのになってるのは、それは差し替えと言っていいのか?という疑問はまああるんだけど。
ちなみに田中氏じしんは別に共同通信が悪くないとは言っていない。
確かにこれはダメ記事の例。素朴に利益相反を疑って行く社会部スタンスが科学にそのまま通じるわけではないので、共同のかた、今すぐ適切な人員配置を…/山中氏、科学誌創刊に深く関与か 京大、iPS研の論文不正発表 | 2018/1/25 - 共同通信 https://t.co/YTGfm2pPse
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月25日
o0(「山中所長が組織に所属する研究者の責任を取って給料返納」という大きな事例が出来てしまったことは、科学コミュニティとしてもっと議論すべきだと思う。「研究倫理の不徹底の責任はどこまで及ぶのか?」という大きな問題。
— Mikihito Tanaka (@J_Steman) 2018年1月26日
この話の個人的な総括を非常に悪意を持った視点でしておくと、ああなるほど、マス「ゴ」ミのせいで科学が妨害された!と叫ぶ前例を作ってしまえば、今回の話のそもそもの出発点として有力である「最近の日本政府が文教政策めっちゃくちゃでどんどん余裕がなくなっているから、任期職の人からそりゃ不正も出るでしょ?」という問題から目をそらさせられるってことなのかな?だったりするのですが、いかがでしょうか。悪意ついでにいうと、「ついでにSTSも排斥しちゃえ」ということなのかな?という…… うん、悪意しかないね。
悪意ついでにいうと、山中氏の最大の罪は、資金集めにマラソンとかいうものすごく官僚がつけこんできそうな前例を作ったことじゃないかなあと思ったりします。当時の新聞もなんか美談みたいに紹介してたし。
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一昨日は俊一ちゃん、昨日は実ちゃん、今日はあなたたちね〜?
あらら〜、唐沢俊一検証ブログの管理人氏が忙しいから、たまには私が出てきてもいいよねやめなさい。
ていうか一昨日でもないし昨日でもない。それくらいには久々の更新である。それはそうとドイッチュランドもZ46も落ちないぞどうなってんの
日刊ゲンダイに掲載された朝日新聞の高橋記者のインタビューが、物議をかもしていた。「だまって便所をつまらせろ」には唸らされた記憶がある。
しかし、エビデンスなんて知るか!などという主張をしていたら、それはかなりがっかりである。さてこれはどういうことか。
というわけでゲンダイのサイトに読みに行ってみた。ところがである。
困ってしまったことに、読み進んでいってもエビデンスなんてねーよについて語っているシーンが冒頭にしか出てこない。これじゃあなんともいえない。冒頭の部分というのは、インタビューではなくゲンダイ記者による叙述部分だから、高橋氏がどこでどういう文脈で言ったのかわからないことには評価の仕様がない。インタビュー部分はまあ普通に面白いし興味深いし、そうするとさて、では何が気に食わなかったのだろうということになる。
この記事の文章を見る限りだと、エビデンス云々という記述は、おそらく高橋氏が出版した著書の中にあるのだろうな、ということが推測できる。なのでそれを見れば判断つくはずだ。というか、見ないと判断がつかない。
ところが、このインタビュー記事に腹を立てている人はツイッターのフォロワーの中に複数いるのにも関わらず、おかしいと思って著書を見てみたらこうだった、やっぱりひどかったですわ、というような話をしている人が何故か見当たらない。見当たらないのだが、何故か「これだから朝日は」と朝日叩きに励んでいる人はちらほら見かける。どうもよく分からない。だってあなた、エビデンス軽視に腹を立ててるのに、その怒りのエビデンスであるはずの著書の話がないんですぜ。何が起きているのかよく分からないとしか言いようがない。
いや、断片的な情報の段階で怒るな、とは言わないけれども、もう少し留保する声があってもいいじゃないと思うではないか。
まあ仕方がないので、アマゾンでぽちってみるかなーと思っていたら、当該書を手に入れた人が、著書の中での文脈を解説してくれているツイートがいくつか見つかった。
まず、高橋氏と同じ朝日新聞所属である、丹治記者。朝日所属だから身内びいきじゃないかと思う向きもあるかもしれないが、朝日の記者ツイートは割と人によって多様性があって、丹治氏の場合、高橋氏のインタビューでのスタンスそのものについてはそこまで好意的ではなく、批判的なつぶやきをツイートしている。ちなみに専門分野はボーカロイドデジタル関係である。
「日刊ゲンダイDIGITAL」の文面だけでは、どのような文脈で語られたものか不明だった部分を確認しました。高橋純子著「仕方ない帝国」(河出書房新社、18~19ページ)から。これに関して私はこれ以上の情報を持ちませんが、必要な「エビデンス」として。 pic.twitter.com/RhjvonUp6g
— 丹治吉順 a.k.a. 朝P (@tanji_y) 2017年12月26日
その他にも「仕方ない帝国」を購入している人からの指摘が入っている。
高橋純子「仕方ない帝国」18〜19ページ。一つだけエビデンスがあり得ないものがある。書き手の思い、感情。裏腹な事を書いていても分からないわけですから。そういう話ですね。これは。 pic.twitter.com/X61DrRj2mX
— M.S+. (@mdsch23) 2017年12月26日
「エビデンス?ねーよそんなもん」という高橋純子『仕方ない帝国』の記述ですが、原本持ってる人の解説ツイートが見つからないので、自分で買いました。該当箇所はここ。自分の信念にエビデンスなんてない、という文脈でした。どうです?あなたの想像通りの文脈でしたか? pic.twitter.com/zZ7Jyq6yTO
— QusAka (@democrat_aka) 2017年12月26日
何か政治家(大抵は自民党)が失言したらしいという話がネットを駆け巡ったあとで、「全文を読め!偏向報道だ!」と批判する人が出てきたので読んでみるとやっぱりひどかったというのはよく見かける光景なので、そういう展開をつい期待してしまうわけだが、これは日刊ゲンダイが悪いだろうとしか言いようがない。
というわけで、リテラシーのない記者がいるというよりは読者のリテラシーを問われる事案だったわけであるが、その「読者」の反応はどのようなものだったか。
俺が最初このインタビューについての話を見かけたのはメディア文化学が専門である津田正太郎氏のツイートだったのだが、当初の反応はこんなだった。
話題のこの記事、読み進めると「慣例だった首相への誕生日プレゼントを拒否」とか納得できる部分もあるのだが、やはり冒頭部分のインパクトが強すぎる。地の文なので文脈が分からないにせよ、それでも堂々とフェイクニュース宣言をしたと解釈できる余地はある。https://t.co/kxAcpn1e5T
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
<身体性>のない文章が伝わらないという問題意識は理解できるのだけれども、これだけフェイクニュースが問題になっているこのご時世に、どういう文脈なのかは定かではないとはいえ「エビデンス」を軽視するかのごとき発言は軽率の誹りを免れないのでは。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
あと、先ほどツイートしたこととも関わるのだけれども、「なんか嫌だ」「どっか気持ち悪い」という感覚だけではかえって読者を遠ざけてしまうのではないか。感覚は否定しなけれども、そういう感覚を飲み込んで「それでも、ここは評価する」と書かないと駄目なこともあるのでは。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
くだんの記述が、そのまんまの意味なら、たしかにこの批判はあたっている。 吹き上がってるわけでもなく、慎重で丁寧な批判だと思う。
で、その後、事情が分かったのちにはこういうツイートをしている。誠実な対応である。
ぼくを含め、週刊ゲンダイに壮大に釣られた感のある年の瀬。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
あ、日刊だ。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
このツイート。「エビデンス軽視」云々は誤解でした。その部分を取り消します。
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
さらに、間違ったことを正当化しようとしている声にこう諌めてもいる。
ある文脈において自分が間違っていたときに、別の話を持ち出して、自分の誤りを軽減しようとすることはやってはいけないことだと考えています。https://t.co/EOpXMIQ0jX
— Shotaro TSUDA (@brighthelmer) 2017年12月26日
で、そのことを踏まえて。
高橋氏のインタビューについて、普段エビデンスの重要性を説いて、熱心にニセ科学やニセ医療などの批判をしている人がけっこう反応していた。こういうクラスタは普段、いろんな人のおかしな主張を批判して、「なぜ誤りを正せないのか」みたいなことを言ったりもしているわけである。その活動自体は別に否定することはないのだが、どうも自分の観測範囲でのそういう人について、エビンデンス云々が早とちりであると分かった後の反応がひどいことになっている。
まず上でもちょっと触れたけど、そもそも、くだんの文章がどこから来たのかよく分からないというのは一読していると気づくことである。これは後付けも半分あるし、自分が高橋氏のスタンスにわりと好意的なのでバイアスがかかっているところもあるのであまり大きい声で自慢できることでもないと思うのだけれど、しかし「これは記者が勝手に書いたものではないか?」「原文にもあるのでは?」と考えるのはエビデンス主義なリテラシーの働かせ方に思える。特に「イデオロギーにとらわれない」が合言葉のような人なら、気づいてもよさそうだ。
ところがあまりそういう話がない。そのため、こんなふうに皮肉られてもいる。
エビデンス、そんなもんねえよに関する話、Twitterだと「報道記事ではなくコラムを書いてる記者」が「コラムを書くには事実の羅列でなく書き手の感情が必要」という趣旨で話して「日刊ゲンダイに載った」という点がいとも簡単にかき消されてて、まさにエビデンスがどこにも無いまま盛り上がっている。
— ハコ[゚д゚]ノザキハコネ (@hakoiribox) 2017年12月26日
なぜか軒並み、出処のおかしさに気づいていないのである。
でもまあ、それは難易度が高いのかもしれない。俺が気づいたのだって、上にも書いたように自分のスタンス上の理由もある。さっさと改めてしまえばいいのである。科学というのは誤りを修正して進んでいくものである。
ところが、改めるどころか、デマであることが分かるとごにょごにょと言い訳を始めたりしているのだからどういうことなの……となってしまう。
例えば、神田外国語大学の飯島明子氏(物理化学)は当初こういうふうに反応している。
読みたくないけど読んじゃった(^ ^;) 「エビデンス?ねーよ、そんなもん」という記事やコラムが堂々と掲載されている新聞は、私なら買う気になれない。安倍政権を批判する人々にとっても、役に立たないと思うのだが。 https://t.co/y6j9hkJnVe
— 飯島明子 (@a_iijimaa1) 2017年12月25日
個人的にはもりちゃねという人も大概デマ混じりなことを言っている印象があって、仲良くしていると言う時点でガセとかデマについて語るのはやめたほうがいいと思うのだが、それは交友関係の自由として、高橋氏はエビデンスなんて知るかという記事を書いた話はしていない。「エビデンス?ねーよ、そんなもん」そのものに反応しただけなら、単にゲンダイに釣られた話ですむのだが、高橋氏はそんな記事もコラムも、書いているという話をインタビューでしていないわけで(それどころか、社説なんかではキチンと書くという話をしている)、ちゃんと読んでいるのか疑問が残る。それって科学論文なら不正行為っていいませんかね。そして、その後この記事について、何かを発言しているツイートは見当たらない。
飯島氏はちょっと前に、演劇などの中にスルっと反原発のメッセージなどを入れるな、やるならちゃんと勉強しろ、みたいなことをつぶやいて、科学リテラシー系の人にウケているのを見たのが名前を知るきっかけだったのだが、ご自分は「スルッと」反メディアのようなつぶやきをしても平気なのだろうか。
ところでこのツイートを見ると、飯島氏は安部政権を批判する人々の外側にいると自認しているように読める。別に人の政治観をとやかくはいいたくないし言う筋合いもないのだが、あの文教政策で大学をガタガタにしている政権について何も思わない大学の先生、なんだなあ……と思ってしまう。
福島の放射能デマについての批判などを熱心にしておられて、その点では頷くことも多い大森真氏は、この記事をこう評している。もともとはTVマンだったそうである。
僕自身の安倍政権への評価は別に置いておくが、元同業者としてこの人のスタンスは全く理解できない.報道に携わる者として、いちばん言ってはいけないことhttps://t.co/F7UHpr8c3z
— 大森真 (@yard_1957) 2017年12月25日
報道を目指す若い人は反面教師としてほしい.エビデンスやファクト求めてたくさん取材・勉強する.足りなければ何度も繰り返す.それをわかりやすく伝える(悩んだら「正確さ」を優先しなさい.いずれ筆力はつく).「エビデンス?ねーよそんなもん」は通用しない.報道の自殺https://t.co/F7UHpr8c3z
— 大森真 (@yard_1957) 2017年12月25日
やはり、言ってもいない「報道のなかでのエビデンスを否定していた」という文脈で語っている。そんなことは言っていないし、それはよくないからオピニオンを語れるコラムでそういうところを頑張ってるというのがインタビューの中身なので、このツイートのエビデンスはどこなんだろうということになる。
その後、特に自分の発言について訂正する気配がなく、代わりに同じく高橋氏のインタビューを論難していたモトケン氏が「読んだけどやっぱりダメだ」と主張しているツイートをRTしている。こういうの、開き直りっていいませんかね。
この文脈に従ったとしても、高橋純子氏は自分の感情を論理化する努力を放棄しているとしか読めないわけで、自分を客観視することなく感情を垂れ流している人ということになる。これが朝日新聞の論説委員なのか? https://t.co/NCYh3lls53
— モトケン (@motoken_tw) 2017年12月27日
開き直る前に、自分がエビデンスに基づかないで人のエビデンスをどうこう言っていることについてはどうなのだろう。もうひとつこんなのもRTしている。
ゲンダイの記事に対して朝日新聞社の高橋純子の原文がアップされたものの、ゲンダイの記事もおかしいがなお一層高橋純子も輪をかけてオカシイという意見で埋まる僕のTL。
— Z-PALE RIDER (@MeierLink_Z) 2017年12月26日
まぁ当然か?原文読んだら書いた人間の性根がジャーナリスト・報道とはかけ離れすぎてて本当に気持ち悪い…。
そんなことをRTしている前に、まず自分のうかつさについて何か語ることはないのかな、と思うわけだ。「福島差別」といえば、こういう後付でゴールポストをずらすような発言もけっこうあるわけだが、大森氏にとってそういう反応はどう映っていたのだろう。
ちなみに、大森氏は福島における差別問題を語る本の共著に入っておられるとのことで。少し前にこの本は「放射能被曝の理科・社会」の続編的な存在になるんですよ、といって宣伝していたのをRTで見かけて、結構楽しみにしていたのだが、こうなるとこの人の担当箇所が大丈夫か不安になってくる。まあそれはそれ、であることを願いたいところだ。
前回も登場した原田実氏は、こんなふうに高橋氏を批判している。
「エピデンス云々」の件、最初から炎上狙いだから相手にしてはいけないという意見も流れてくるが新聞社の論説委員が炎上を狙うって自社に放火するも同然だろうに
— 原田 実 (@gishigaku) 2017年12月26日
原田氏のツイートはRTがやたらに多いので見落としていたら申し訳ないところだが、その後の情報を受けたのちのツイートらしきものは見当たらなかった。それだけならまあそういうこともあるだろうと思うのだが、「あれはデマだったらしい」ことを踏まえたツイートはRTがされていて、例えば上のハコ氏のツイートはRTがされていたりする。もしかしてなのだが、エビデンスに興味がないのだろうか。
そういう態度だと親学、江戸しぐさ等現政権に蔓延るニセ科学を批判出来ない訳で。 https://t.co/Tx0yNGVFYl
— AJE@『ドリーム』もいいぞ (@Pm2010Aje) 2017年12月26日
というRTもあったのだが、そうなるとこれは自己紹介かな?と思ってしまう。
ついでに言うなら、別に批判出来るのはトンデモ本の世界シリーズに唐沢俊一氏が大量寄稿していることからも分かる通り。唐沢氏のガセパクリの山は今更だが、だからといってトンデモ本認定が覆る本がそうそうあるわけでもない。というか、「エログロナンセンスから規制される論」なるトンデモ史観をツイートしていた原田氏がこれRTするのかー、という話でもある。筋が悪いと思うから、前回のエントリでもそういう物言いは避けたのだけどね。
しかしね、ここまでは、ギリギリ仕方がない面もある、と思う。高橋氏が嫌いなのは仕方ないし、そうなるといろいろ理由をつけて自分の誤りを認めたくない(あるいは、誤りと思わない)のも分かる。にんげんだもの。ま、そういう人の「リテラシー」がどう評価されるかは別の話だけど、さっきの原田氏の話ではないけどある程度はそれはそれこれはこれ、としても良いと思う。
ということで、真打(というか本来このエントリはこの人の話を書くつもりだったのだが、ツイートをたぐっていたら予想以上に前座が長くなった)の登場である。
その人というのは、菊池誠氏である。高橋氏を論難するツイートをあれこれとRTしている数も他の諸氏に比べて多いのだが、しかし問題はそこではない。
「エビデンス云々」の話が広まったのは、みんなが「朝日はそうだよね」と納得したからなんで、まあ朝日新聞の日頃の行いじゃないっすかね。「プロメテウスの罠」の朝日ですからね。なお、僕は東日本大震災が起きた時点では「新聞は朝日に限る派」でした
— きくT(2/10 ビッグアップル) (@kikumaco) 2017年12月27日
僕はご多聞にもれず「朝日と岩波は信頼のブランド」だと思っていましたから、東日本大震災以降の両者のでたらめぶりにはひどく落胆させられました。ほんとに彼らは知的に脆弱だよね。あれからずっと狼狽えっぱなしだものね。岩波「科学」は「デマ雑誌」になったし、朝日新聞は東スポ程度の信頼度
— きくT(2/10 ビッグアップル) (@kikumaco) 2017年12月27日
どこをどう考えても、エビデンスに基づかないトンデモを批判してきた人の言うこっちゃないんですが。
菊池氏がやっていることは、流言飛語の正当化であって、思いこみさえあればどんなことをやっても問題はないという、まあニセ科学批判という観点から見たら断然許してはいけないことであるはずだ。それをニセ科学批判で一世を風靡した人が言うというのは一体どういうことなのだろう。というか、自分が今まで言ってきたことをどう思っているのだろう。放射能デマにしろ、反ワクチンにせよ、正当化するだけの思い込みがあったからこそここまで深刻化したのではないかな。
これなら、もちろん東電や原子力発電なんてどれだけ叩かれても文句は言えないということになるはずだが。そんなのはおかしいだろう。なんてていたらくだ。
ついでに言うと、俺も朝日と岩波は基本的に信頼に値するメディアだと思っているけれど、一方でときどきおかしい本を出していることくらいは気づいていたので、3.11を機にがっかりした、なんてそれこそ原発事故を受けて初めて「ずっとウソだった」と言ってしまう程度にはナイーブなんじゃないかと思う。このへん、どっちもどれくらい修辞的なつもりなのかよくわからないのではっきりとは言えないが。
また、「日頃の行い」なるものにしても、どれくらいエビデンスがあるのだろうか。「プロメテウスの罠」を引き合いにだして朝日が東スポ程度、というのなら、外国人技能実習生で、酷使する側べったりの記事を平気で載せる読売や「BPOは反日」の産経はどうなのか。というか、総理大臣にオススメされる読売新聞、という「日頃の行い」とはなんだろう、と思ってしまうのだが。
いや、別に他紙がやってるからそれくらいいいじゃないかと言うのではない。朝日だけをことさらに強調する理由としての「日頃の行い」とはいったいなんなのだろうか、という話である。朝日批判は別に良いが、そこまで言うのなら普段の情報収集には「よりマシな」別の新聞なりメディアなりを使っているのだろう。「新聞は朝日に限る」という人が朝日は東スポ並みだというのなら、今は何を読んでいるのか。読売なのか。産経なのか。保守速報なのか。
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本題とは関係ないけど、内容とは別に「仕方ない帝国」と「しあわせになるための「福島差別」論」の表紙は好きじゃないな。個人的に。どっちも内容はまだ読んでないのでそれ以上はとやかく言わないが(上のアマゾンリンクには書影がないが、別のところで見た)。
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新しい偽史教科書をこねる会。
森奈津子氏のツイートを受けて、歴史ライターの若林宣氏が数日前にこんな批判をしていた。
「戦前の言論統制はエログロナンセンスから始まった」というのはほとんど偽史じゃん。こういうことを真に受けるの、いい加減にやめようよ。 https://t.co/eyyRyduE9p
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
歴史としてのエログロナンセンスの成立について少し考えろという話も。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
風俗取り締まりと言論統制をともに考えることは有意義だと思うけれど、エログロナンセンス以前から風俗取り締まりはあったし、言論統制だってエログロナンセンス以前からあったわけで。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
戦前の言論弾圧はエロ規制が先にあったんだ、と言われたらふんふんとなんとなく納得してしまう俺のような人間には、ちょっと考えさせられてしまう話である。
ところが、これに森氏が気づく以前に、他の「表現規制反対派」が反応したらしい。
森奈津子、「私が気づく前に」「知性のかたまりのような方々」が「言論的フルボッコ」をしていたという勝利宣言、あたらしいな。この後渡邉哲也をRTしていて尚更香ばしさが pic.twitter.com/LDJZgl1bsE
— yuuki (@yuukim) 2017年11月11日
その具体的な内容は、こんなもののようだ。
なんというか、勝手な想像と妄想と自意識過剰とで回ってる感が pic.twitter.com/05imfAJq6k
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
自分の認識では、若林氏は表現規制反対派だったと記憶しているのだが、たぶんパラレルワールドにいるのだろう、どっちかが。
それはともかく、このメンバーの中には偽史研究の大家である原田実氏が混じっているのが目を引くのだが、これっておかしいじゃないか。だって治安維持法は1925年に制定されているわけだ。それに先だった労働運動を取り締まるための治安警察法は1900年制定だ。
で、エログロナンセンスというのがどういう範疇を示すかは定かでないけれど、文化運動としての「エログロナンセンス」は、Wikipediaの記述を当てにするならば1929年ごろから1936年ごろにかけての文化であるとされている。
この時期には文字通り、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとする本・雑誌・新聞記事・楽曲などがブームとなり、盛んにリリースされた。時代としては、1929年(昭和4年)の大恐慌から、1936年(昭和11年)の2・26事件までの期間に当たるが、新聞報道では1936年5月に阿部定事件と言う大ネタがあり、その報道を最後とする。
はいここで数字の大小を比べて欲しい。1925が1929より小さい値であることに異論がある人は、あんまりいないのではないかと思う。原田氏のリクツだと、治安維持法は共産主義を取り締まるまえにまずエロをとりしまるための法律だった、ということになるのだろうか。すごい偽史を見てしまった気がするのだが、気のせいだろうか。
もっとも、WIkipediaをあんまり信用するのも何である。コトバンクでいくつかの事典を見比べてみると、例えばデジタル大辞泉だと、「大正末期・昭和初期の低俗な風潮をさす」とある。昭和改元は1926年だから、とりようによっては治安維持法との重なりが多少あるようにも読める。
一方で「日本大百科全書」だと、「1930~31年(昭和5~6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った」となっており、しかも
ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。
という説明がなされている。ふむ、ひどい不況などによる出口のない暗い絶望と虚無感による台頭…… ナニカを思い起こさせる気がしないでもないのだが、まあおいとこう。
しかしこの話、少し掘り下げてみるとそれ以前のところでおかしい。だって、表現規制って治安維持法に始まったものでもないではないか。大逆事件とか讒謗律とか、明治時代にあった話ではないか。なだいなだ「TN君の伝記」は、明治期を生きたとあるジャーナリストの生涯を少年向けに書いた伝記だけれど(まあ誰の伝記かふせなくてもいいかもしれないが、一応)、明治後期のジャーナリズムが直面した、表現規制がいろいろと登場している。
案の定、反論がされている。かなり勉強になったので、少し長いがまとめて引用したい。
「エログロナンセンス」の成立は昭和初期の話だし、概念の成立以前から言論統制はあった
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
エログロナンセンスの弾圧時期にはとっくに言論統制なんぞ進んでいる
という単純な時系列の話が理解出来ないんだろうか
そもそも大日本帝国の言論統制時期って、いつだと定義しているのだろうか
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
まさか、治安維持法とか言うんじゃねーだろーな
明治26年成立の出版法から話をしないといけないらしい
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
大日本帝国の検閲の歴史とかから知識が抜けていると
大日本帝国の新聞は新聞紙法(1909年成立)とかで、とっくに言論統制されていたわけで
基本中の基本が分からない人達に、いくら説明しても通じないんだよね
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
大日本帝国はとっくの前から言論統制していて、その中でもエログロナンセンスが発生する程度の自由はあってそれが目立ってまた弾圧されたわけだけど。他の新聞紙法とかではもっと前に苛烈な規制があった。そんなん、基本なんやけど
出版法において、エロはダメなんだけど。
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
その中で、昭和初期には「エログロナンセンス」が発生したわけですよ
ここが分からないから、あんな意味の分からない受け答えになる
明治二年の出版条例は
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
「行政非難などの禁止、検印の制定 」
「みだりに教法を説き、人罪を誣告し、政務の機密を洩し、或は誹謗し、及び淫蕩を導く事を記載する者、軽重にしたがいて罪を科す」
この中で、淫蕩とあるので、エロもあるのだが、並列で政務誹謗も当然のように規制されてる
だから明治二年の出版条例をもってエロ規制と言うならば、同時に言論統制も始まっているので
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
「エロから規制が始まった」わけではないし、その中で昭和初期に「エログロナンセンス」が勃興する程度のエロの自由はあったわけだが、政務誹謗の方はそれどころではなかった
ただ、出版条例を規制スタートと定義すると、そもそも論、大日本帝国そのものがアカン
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
で終わる話でしてね
エログロナンセンスの話を改めてするとですね、昭和初期の大日本帝国は、度重なる戦争、関東大震災とかで社会不安が増大
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
それに対し「エロ・グロ・ナンセンス」が流行りました
有名なのはダンスホールとか
それらは大層流行りましたが、1940年には禁止となりました。
1937年から泥沼の日中戦争が始まるわけですが、直後にメーデ禁止から始まって、パーマ禁止、ネオン禁止と、娯楽がどんどん削られていきます。所謂「贅沢は敵だ」時期ですね
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
そして、完全にエロ言論を潰す「言論出版等臨時取締法」は1941年なわけです(すり抜けるのは勿論ありましたけど)
ここらへんの話は高校の日本史で学ぶレベル(図解日本史あたり)なので、高校レベルの教養があればですね。事足りるんですが
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
なるほどなあという話だが、もっと言うとこんなん記憶をたどれば中学校で習ったよなあという話でもある。出版条例とかはさすがに習ってないが。中学あたりの歴史ではエロの話なんぞは(おそらく意識的に)されないので、むしろこっちのほうが頭に残っててもおかしくない。
このあたりの話を横に置いとくとしても、森氏の主張はスゴい。だって、若林氏は戦前のエロ摘発なんてなかった、なんていう歴史修正を行ってる発言をしていないわけなんだから。むしろ、そういうものも合わせて論じることは無価値ではないと評価しているわけだから、事情がよくわからない。
上のスクショを貼っているツイート主にも、続いてこう言われている。
『戦前の言論弾圧がエログロから始まった』を違うと言ってると、なぜか『私がリプしてたら「戦前にエログロナンセンス系の本が多数発禁になってはいないし、乱歩も干されてなかった素敵パラレルワールド」に主張がすり替えられてるの、凄いなぁ
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
『戦前の言論弾圧がエログロから始まった』を違うと言ってるのが、なぜか「戦前にエログロナンセンス系の本が多数発禁になってはいないし、乱歩も干されてなかった素敵パラレルワールド」とか「共産主義弾圧しかされていない」などに主張がすり替えられてるの、凄いなぁ。 話全く聞いてないもん。
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
『左翼は、身内だけで回ってる』とか色々言われるけど、完全に身内だけで盛り上がってる左翼批判って…
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
それにしても、引用元のツイートは原田氏以外もおかしいことだらけである。まず一番上の小森氏のツイートであるが、最初から最後までただの邪推であって反論ではない。別に邪推をしてはいけないとは思わないけれど、森氏の「言論的フルボッコ」にそれが入っているのを見ると失笑しかわかないというか、この人にかかったら自然災害をなんでも総理大臣のせいにする陰謀論説でも鋭い政権批判扱いされるんでないかなと思わなくもない。
次の日下氏のツイートはまず、表現を規制するのが権力であるという一番根本なところを横に置いてる時点でおかしいだろう。それに、20年前の「言葉狩り」時代の小林よしのり「ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」を愛読した黒歴史がある人間として自主規制が問題でないとは思わないけれど、法律によらないレベルでの批判やそれをうけた自粛がまったくなければいいとも思わない。個人的な感覚になるが、萌えキャラなんかについての批判はなんだかんだで大きな話題を集めるようなケースについてはそれなりに傾聴すべき話が多いということが最近(残念ながら)わかってきてしまったので、こういうの10年前のカンチガイした自分を見るようで辛いものがある。日下氏に限らないが。
3名に共通してるのは、この手の形で表現規制を語る人は、自分たちに批判的な人は「エロは興味がないから規制したい、政治的な発言は興味があるから規制してはいけない」のだろう、という思いこみなのだが、若林氏が表現について語ってるツイートはときおり見る機会があるのだが、エロに興味がないのではなくてエロがあまりに公然と通ることで、不快に思う人のことを無視しちゃいかんでしょという切り口でだいたい一貫しているように思う。ちがったらごめんなさい。俺だってうっかり凶悪犯罪を犯して家宅捜索に踏み込まれた日には全世界の二次元オタク様に顔向け出来ないレベルで迷惑がかかる程度にはいろんなモノを持ってるけども、それとゾーニングの是非とかそういう話はまた別問題である。というか別問題にしとかないと、攻撃を受けるのは自分たちであるというのを忘れてはいけないと思うんだが。
それはともかく、3人ともずいぶんな悪意に満ちた思い込みをお持ちだなあ、と思う。原田氏以外の二方は小説家なのだが、もしかして「エロ表現を含めた、フィクション規制には興味があるが、政治的な発言の規制には一ミリも興味がないから規制したい」などという本心がじつはあってその裏返しなのでは、となどという邪推はいかがだろうか。いかがだろうか、ってのも何だが。
それはともかく、これを受けた若林氏は、
森奈津子、「私が気づく前に」「知性のかたまりのような方々」が「言論的フルボッコ」をしていたという勝利宣言、あたらしいな。この後渡邉哲也をRTしていて尚更香ばしさが pic.twitter.com/LDJZgl1bsE
— yuuki (@yuukim) 2017年11月11日
RT、私の通知欄には誰からも反論が来ないのだが。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
自分たちが対峙している相手が何なのか、わかってないんじゃないか。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
まあそうなるな。
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妄想☆いでおろぎっしゅ!
本日の第49回シン・ゴジラの俺はこれを読み取った会議、終了!
違うの混ざってるよ>俺
唐沢俊一氏と映画評論家の町山智浩氏が「シン・ゴジラ」評をめぐって激突していた。
togetter.com コメント欄で町山氏のシン・ゴジラ評をめぐっていろいろと議論が繰り広げられているのだが、率直に言って見るに耐えないものになっている。町山氏が、ではない。いや、町山氏もそうとう乱暴なことやってると思うんですけどね。なんていうか。
ここでの話題の的は(他の話題もあるけど)シン・ゴジラ中の首相は無能かどうか、だと思うのだが、それについてはここでは云々するつもりはない。とてもどうでもいいからである。
こういう書き方をすると嫌な思いする人もいるんだろうとは思うけれど、実際のところ、町山氏のこの指摘が正しくないとして、唐沢氏の主張に何か説得力が出てくるか、っつうとないんだよね。もうすこし邪推めいたことを言うと、唐沢氏じしんシン・ゴジラなんてどうでもいいと思っていて、自分が応援して止まない政治家にこじつけたかっただけのように見える。町山氏の食いつきも、そもそもはそこなわけで。
まあそのへんはコメント欄にしろ町山氏のツイートにしろいろいろ語られているし、ひさびさに更新のあった唐沢検証blogでは、これを読み解くための手がかりになりそうな資料などが紹介されているので、気になる人はそっちあたっていただければと。これをきっかけに、唐沢氏の恥部が10年ぶりに再燃焼してもいるし。
それはともかくとして、Togetterのコメント欄でも、たとえばこんな反応がある。
よく読んでみると唐沢さんは『シンゴジラ』を政治談の足掛かりに持ち出しただけで、元から映画評じゃなくて政治評に過ぎないことが分かるんだけど、それを執拗に否定するのは単に町山さんが「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える。。。
これはわりに当を得ているように思う。ただし、否定するのは「それはコジツケである」と町山氏が感じたからだと思うし、そこはそう書いてるのだから、敢えて「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える」と評するのは別のバイアスがかかっているように見える。が、シン・ゴジラの首相が無能かどうかは、本題とはあまり関係ないのではないか。
実際のところ、やりとりを見ると、唐沢氏はシン・ゴジラの描写についてはろくに語っていない。そもそも自分の主張はストーリーには関係ない、とまで言っているのだし。正直なところ、これれで唐沢氏のほうに理があると思うという声についてはかなり不可解である。町山氏のシン・ゴジラ評が正しいかは横に置くとして、それが唐沢氏のポイントを上げるほうに全く働いていないのに。
とりあえず、こないだ否定的にツイートを引用した人をいきなり持ちだすもどうかとは思うが、こなたま氏の以下のツイートはかなり納得ができる。
庵野がシンゴジでシナリオ装置としてあからさまに無能だったり悪意で足を引っ張る役を脚本に入れなかったのを、現在の日本の政治に投影してる人がいたのか。その発想は無かった。でもそれ繋がってないよ。 https://t.co/1rcBP25lp2
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
でも、そのどちらかも、証明できないどころか材料もない。
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
庵野のインタビューを真正面から解釈するなら、彼はウォーキングデッドでゾンビが迫ってきてるのに仲間内で見計らったように反目を始めるとか、ゾンビの群れが迫ってきてんのにスッころんでみせる男とか、「そういう事あるかもしれないけど観客にストレス与えるのが目的なの見え透いてて嫌!」て話ぞな
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
そこで「安倍首相の足を引っ張る野党」とか唐突にくっつけたら、映画の方にも庵野の方にもシナリオ技法の方にも、向かい合って話してないってそりゃ思う。
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
こんなくだらないことより、庵野がますます「シンゴジの庵野」になってしまって、いやそれより前に「新劇ヱヴァの庵野」のはずだろ、早く作れよ、ごめんなさいしてQを無かったことにしてもいいんですが
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
いやー通らないでしょソレ。ていうか、そんなにあけすけに「関連の無い二つのものを結びつけました」って開き直るなよと RT @skerenmi: @MyoyoShinnyo 唐澤の状況把握が正しいと思いませんが、まとめの最後にある唐澤のツィート通り、シナリオ解釈の話はしてないですね。
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2017年10月25日
まさにそのとおりで、そもそも唐沢氏の並べ方がどうしてそれを比べようと思ったのか、意味がわからないのである。いや、一見関係ないものに関連性を見出すというのは面白みでもあるから悪いことではないと思うんだけど、だったらそれなりの説得力をもたせるか、どうしてそれをひっぱってきたか納得してもらう必要はあるだろう。艦これと右傾化でもシラミと熱病でもいいんだけど、その手の話だってもう少し「うーん、そう言われてみればそうかもしれないけど擬似相関かもしれないし」とか思わせる程度のネタの根拠は引っ張ってくるもんですが。
それがないから町山氏に突っかかられているわけだと思うんだけど。
多分、話のキモとなってくるところがあるとすれば、若い人ほど自民支持者が多いのはどういうことなのか?である。これはいろいろと見方や意見があると思うし、あまりとやかくいうことでもないと思うのだが、唐沢氏の主張が真だとするなら、若い人というのはいつも国会を見ているということになるわけで、そうなんでしょうか。
しかも、それを見て、「安倍首相がかわいそう」とよみとる必要がある。俺もたまに国会の書き起こしをツイッターで流れてきて読むことがあるのだが、どう考えてもかわいそうというより傲慢な権力者にしか見えないので困ってしまうのだ。
ただ、これはあくまで自分の見立てであって、そう見えてる人はわりといるんだろうなとも実は想像している。そういう世界観でツイートしている人というのを、それなりの数で目撃しているので。なので、唐沢氏の見立てによく似た世界観で生きている人は割にいると思うのだが、それが若い人に多いのか。ここはやっぱりわからない。そもそも、そこまで国会や情勢をよく見ていたら、自分たちを苦しめているのが自民党ではないと感じる人がもっと多そうである、というのが若者じゃない俺の感じ方になる。
このあたりは、たとえば、大和高田市の市会議員(共産党)の向川まさひで氏は、おもしろい報告をしている。
高校教員が、主権者教育の一環で『政党名を伏せて』各党の主要公約を読ませ、比較させたうえで模擬投票させたところ、共産党と公明党がそれぞれ第一、第二党になったと書いていた。驚くのは、生徒たちに実際の政党を明かした時、共産党の政策を「これは自民党だ」と思って投票した生徒がいたらしい。
— 向川まさひで (@muka_jcptakada) 2017年10月25日
つまり、若者たちの目に映る「自民党」像と、私たちの批判する実際の自民党の像は、相当ずれている。当然、「野党」の像もずれているのだ。だから届かないところが出てくる。
— 向川まさひで (@muka_jcptakada) 2017年10月25日
そしてこれは若者の責任ではなく、私たちが考えなければならないことだ
朝日新聞の谷津記者は、少し前にも話題になった中央公論を引いてこんな話を紹介している。
保守とリベラルという言葉の意味を世代間で共有できていない、と中央公論10月号。若い世代にとっては【リベラル】維新→自民→民進→共産→無党派→公明【保守】という順。そして自分の立ち位置ともっとも距離が近いのは、無党派ですらなく、自民という認識だ、と。(ちょっと旧聞だが興味深い) pic.twitter.com/V6gSILvCbG
— 谷津憲郎 (@yatsu_n) 2017年10月11日
そしてこの傾向は、NHKがおこなった、復帰45年にともなう沖縄の世論調査の傾向とも一致する。構造変化。https://t.co/eOGYCMWwp8
— 谷津憲郎 (@yatsu_n) 2017年10月12日
安倍政権への若者層の支持。「民主党政権は失敗だったとみんなが悪口を言うので、選択肢を思いつかない」と南野教授。「自分たちの将来は就職できるかどうかにかかっている。今はいいからこれは変えない方がいいという意識ではないか」と野中教授。https://t.co/SCfZG3ebsz
— 谷津憲郎 (@yatsu_n) 2017年10月24日
「過去の経緯」と縁遠いほど現状に肯定的、と考えるとある意味では当然かもhttps://t.co/mDboCuuxw5
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年10月25日
あるいは、匿名ダイアリーでなされている分析もある。
“中国や韓国は「貧しいアジアの国」ではない。韓国はほぼ日本くらい豊かな国だし、中国は日本より経済大国だというのがデフォルトの価値観な訳だ。彼らは哀れみの対象ではなく、むしろ恐怖の対象だ”
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年10月26日
若者に自民党が人気な理由は世代が違うから https://t.co/thhmuk9LK0
“30,40歳以上の世代だと爺ちゃんが戦争行ってたりするから、少しだけあの戦争へのリアリティがまだある。ましてや50,60歳世代は親が行ってる訳でしょ。だから戦争責任みたいな話に胸がぐっときて左翼になる人たちも当然いる”
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年10月26日
“でも、今の10代は爺ちゃんが戦後生まれだったりする訳”
“ワールドカップに日本が出場して応援するのが当たり前の世代なので日の丸を振って一体となって応援するという経験とともに育っている 日の丸への忌避感がゼロなので、日の丸を悪者扱いしてくるリベラルな人たちの価値観がうざい”
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年10月26日
“日の丸振ってるのを揶揄するのは全然今の10代に刺さらない”
「今の10代は爺ちゃんが戦後生まれ」に加えて「首相も戦後生まれ」なのはけっこう重要だと思う。日本初の戦後生まれの首相
— 有村悠@9/23砲雷撃戦さ-19 (@lp_announce) 2017年10月26日
というように、もっと説得力のある説明はいくらでもあるわけで、唐沢氏の話に「じゃあそれどこから来たのよ」となるのは当たり前である。
コメント欄を見ていて思うのは、町山氏の言動を反安倍首相のイデオロギーと取る人は非常に多いのだが、唐沢氏の主張を唐沢氏のイデオロギーと関連付ける声が非常に少ないことである。
SF作家の……っていうかこの文脈だとどう考えてももとと学会と書いたほうが適切だと思うけれど、山本弘氏はこれを受けてこんな自作小説を引いている。
ああ、これ、1年前に僕がカクヨムで書いたネタ、そのまんまだ(笑)。https://t.co/h1orhwfOzg
— 山本弘 『BISビブリオバトル部』 (@hirorin0015) 2017年10月25日
ちなみに山本弘氏がいくつか町山氏のツイートをRTしたのちにこの記事をお気に入りにしているのが興味深いがそれはそれとして、あれはその人の内面を映し出しているようなものだという声はちょこちょこある。
庵野監督が思わせ振りな演出で「この描写には深い意味があるのではないか」と視聴者に深読みさせる技に非常に長けてるのは周知の事なので(エヴァも結局キリスト教を何も知らないまま作ってたそうだし)、シンゴジラに野党批判を勝手に見出だす奴もそりゃあいるんじゃないの。
— ハコ[゚д゚] (@hakoiribox) 2017年10月25日
恐ろしい事で、シン・ゴジラが政治的にどう見えるか?ってのは「いかようにも解釈できるようにつくられたモノを、どう解釈するかで、その人の本質が見える」って仕掛けだと思うんですよ。
— 駄チワワ新党 (@DATIWAWA) 2017年10月25日
だから唐沢俊一さんの迂闊な発言は、まさに庵野マジックにハメられてる。
自分もこれはもっともなところがあると思っていて、だとすると、あくまでリアクションにすぎない町山氏と、そもそも積極的にこじつけを始めた唐沢氏、どっちの発言がイデオロギーが色濃く反映されているか、という話になる。
ちなみに、逆に町山氏の見解を左寄りの人がおしなべて認めているかといえばそういうわけでもない。例えば、上野良樹氏は、町山氏の反応には批判的ながら、唐沢氏にも同意していない。このあたりも含めて、この炎上はイデオロギーの問題だとは思うのだが、それが町山氏の側に帰する話なのかはちょっと注意を要するように思う。
なお、私は最初の唐澤氏の発言には全く同意しません。野党は政府と政策を異にするから野党なのであって(英語で野党を"Opposition party"、反対党と呼ぶくらい)、常..「シンゴジラの首相は無能だった?唐沢俊一×町山智浩」https://t.co/oXnjEJM7yK
— 上野 良樹 (@letssaga3) 2017年10月25日
コメント欄のひとつ目でいきなり町山氏は極左呼ばわりされているのだが、町山氏って、火炎瓶闘争をやったり、そこまでいかなくともそれにシンパシーを感じたり、そういう経歴ってあったんでしょうか。宝島30時代には北朝鮮の関与した日本人拉致について取り上げたり、噂の真相と論争したりしていたのは「左」という印象を受けないし、最近でも従軍慰安婦に否定的なことを書いて反歴史修正主義の人から批判的に言及されたりしてるわけで、これが極左ということになる理路はいまひとつ理解しがたいものがある。