いちから聞きたい「ニセ科学批判」のほんとう。

(一部の)と留保をつけておきます。

「一部を除いた」でないことはせめて祈っておくしかない。

 

 またブログをさぼっていたのだけど、別にヤバいネタがないからというわけではなくて、どっちかというとありすぎてまとめてるだけでもうんざりしてくるので手のつけようがなかったからなんだけど、さすがにちょっとでも書いておかないといけないよなあ、と。

 まあこんなブログをやっているというのは、要するに俺がニセ科学批判とかトンデモ批判とか大好きだからなんですけど、ここ一ヶ月ほどでそんな界隈が本当ヤバイ事になってる感がある。

 界隈つっても、もちろん全体がそうなんていうはずもないんですけどね。

 某政権の不手際や醜聞山盛りが噴出したあたりから、それに対する一部の「ニセ科学批判者」がへんてこなことになって、政権を批判したサイエンスライターニセ科学批判者である、片瀬久美子氏になぜかその人たちの攻撃が飛んでいくなどのヤバさ加速はあったのだけど。ここにきてさらに変なことになっている。

 まあひとことでいうと菊池誠氏と林智裕氏がほんとうに戻ってこれないところに行ってしまったということなんだけど。

 林智裕氏についてはこのブログではほとんど扱ったことがないんだけど、文章として形にしていないだけで取り上げたいと考えていたことはいくつかあった。ひとつは毎日新聞の記事にもっと明るい感じの写真を取り上げろと難詰したときの話。もうひとつは、立憲民主党のアカウントがデマに抗した時、お前ら放射能デマばっか飛ばしてたじゃないかとなぜか立憲民主党アカウントを叩いていたときである。

 どうもこの人は原発の収拾をつけた時の責任者が今どこの政党のトップにいるのかとか、当時原発事故の対応に追われている政権をメルマガでデマ攻撃していたのがどこの政党の何晋三氏なのかとか、その時に内閣不信任案とか出して政局に励んでいたのが何民党だったのかとか、すっかり忘れているらしいのだが*1、それはそれとして、話が炎上するきっかけは、辛淑玉氏がドイツで行った講演がデマで福島を叩くものだった、という話。ちなみになんでドイツかといえば、日本のヘイトスピーチが酷すぎて脱出せざるを得なかったという、ニッポンスゴイデスネー(棒)案件。

 それはともかくとして。この話はツイッターで当初見かけたので、俺も、これへえ困ったこともあったもんだな、差別に苦しんでたはずの人なのに、となんとなしに見ていた話だったのだが、その後どうもそのファクトチェック自体がデマ色強いところがあるという話で、じゃあこれなんなの?ということになる。その一方で菊池氏はそれをもって、辛淑玉氏を「本当の反差別でない」と言い出したので、みたいな話。

 

 で、そのあたりの経緯はいろいろ言われてるのだけど、そこからまとめておくと本当に永遠に終わらなさそうなので、個人的に本当終わったなと思ったのがこの話。

 

 

 

 

  ええと…… DAPPIとか500円ってtwitterでは有名なデマアカウントなのだけど。理由が分かる、というのはどういうことなのか。単に推測できますということなのか、だから納得できるということなのか。

 それからこれ。

  俺は「消去法でどうのこうの」という言い方で反対派の口を塞ごうとする人、というのがある時期から本当大嫌いで、なぜかというとどう考えてもそれ、消極的に増長させてるだけだよね?ということなのだが、まあ最近の政局をみているとそのとおりだな、と言わざるを得ないわけで。

 何をいいたいかというと、あなた熱心に現政権を擁護したりそれを批判する勢力にケチをつけたりしておられますが、その中には嘘っぱちなものもたくさんあるわけで、間接的に人を殺しにおいやってる自覚あるんですか?と。

 福島デマによって人が死においやられる可能性、というのを提起するのも結構なのだが、正直そこのとこどれくらい分かってるのか気になる。

 まあ、それはかなり俺の個人的な思いなのでちょっと置くとしても、もうひとつすごく危ういよなと思うのは、「デマは人を死なせる」というテーゼで、まあ実際そういうことはあると思うのだけど、死ぬ死なないを論じるなら、「本当のことを言うこと」が人を死なせることはいくらもある。実際のところ、人を傷つけるために発された以外に解釈の難しそうなツイートが炎上しているときに、「でも本当じゃないか息苦しい世界だ」などとうそぶく人が高確率で出てくるあたり、ここは問題なのだ。そりゃ、世の中に差別がこれしかないなら、次に原発事故が起こるまでこれ一本槍でいけるかもしれないが、実際にはそうでないわけで。もっと言うと、もし原発事故でほんとうに目に見えて健康被害が出ていたら、どうするつもりだったの?ということでもある。それでも「福島差別」はダメなはずであるが、菊池氏のようなロジックは差別を容認する形で働きかねないのだ。

 多分これは、デマかそうでないかと切り分けたほうがいいやつなのだ。逆に、人が死なないなら、あるいは広範に傷つけないならデマを吐いてもいいのか、ということでもある。本来、ダメだろう。

 というところをあえて強調したいのは、批判された菊池氏が、自分は「事実関係を指摘しただけ」だというような言い訳をしていたからだ。こんな、自分は部落に相当する地名をリストしただけなのになんで差別なんですかみたいな話を、2018年にもなって大学教授の口(文字だけど)から飛び出すとは思わなかったよ。

 俺は差別というのは割と本能というか、大昔の人間の行動に根ざすところ大だと思っているので、反差別者がなにかのはずみで差別発言をしてしまうというのはまあありうるし、そこは変に反差別そのものを否定することなく言動を批判していくしかないと思う。なのでよくネットで反差別やフェミニズム寄りの人の言動不一致をあげつらって活動そのものを謗るような発言を見ると「そういうことしてもしょうがなくねえか?」と思うところ大なのだが、こんなガバガロジックで言抜けしようとしている話となると別である。この人にとっての差別感覚って何だ

 後藤和智氏の批判が非常にそのとおりだなあと思った。

 

 

 

 

 

 そして批判された末に、言い出したのがこれである。元tweetは削除されているようだが、スクショとして記録して批判している人がけっこういる。

 

  こちらの人もやはり画像として保存している。この、アンタッチャブルの定義についていろいろつぶやいている部分は、次の渡部真氏の批判のなかの文脈で登場するので、少し重複するけれど引用することにする。

 

 

 

  いやーその、ネトウヨはネットの中にいるはずなのに、在特会は街に出ているからネトウヨじゃない」並の辞書解釈の悪用をこんなところで見せられるとは思いませんでした。特に嬉しくない。

 で、これを受けて、当然のごとく批判されている。渡部氏はここ最近で他にもかなり多く菊池氏の批判ツイートをしているのだけれど、この人が昔からニセ科学アンチだったとかそういう話ではない。この人は福島在住で、放射能デマを批判していた側の発言者である

 

 

  同じく、エントリー冒頭でも少し出てきたけど、ニセ科学批判者として名の知られている、片瀬氏のツイート。

 

  次に、林氏であるが、いろいろと昔から思うところはあったんだけど、なかなか取り上げないでいたら今回の騒動で鍵をかけてしまったために引用もしようがなくなってしまった。しかし、まあひとつの批評としては、こんなのがあった。

  最近は、放射能デマ批判派に近い人からもよく批判されているのを見たのだけど、とりあえずそのあたりはおいておく。おいておいちゃいけないんだろうけど、もっと端的なものがあったので。

 

 

  うん。この人一ミリも反省してないね

 

  菊池氏についてはこのブログでも何度となく扱っているけど、基本的なところとしてのニセ科学放射能デマを批判しなくてはいけない、それが侵害するかもしれない人権は、なににおいても大切なものだからだ、というような信念があるんだろうな、という点については、一応疑うつもりはなかったんだけど。それはかなり党派性で塗りたくられてわかりにくいけれど林氏も基本はそうなんだろうと思っていたんだけど。

 でもどうもここにきて、そこのところが本格的に怪しくなってきたというか、あえて「全部嘘だった」と言いたくなる気持ちが割と分かった気がするというか。じゃあそういう人にとって、ニセ科学批判ってなんだったんだろう?というか。

 

 

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

 
福島第一原発廃炉図鑑

福島第一原発廃炉図鑑

 

 

*1:もちろん、立憲民主党の中に放射能デマに躍らされた人もいたこと自体は否定するつもりはない

スタティスティック雑技団。

あるいはこいつら信頼区間95%伝説。

  いや、何の意味なのかっていうと、語感とゴロ以外なにもないんだけど。

 最近は、ツイッターの抜粋しかしていないので、少し真面目なエントリを。別に好きで抜粋しかしてないわけじゃないのだが、ツイートって後から追うのが大変だからメモ用にとりあえずベタベタ貼り付けておこうってなっちゃうんですよね。

 佐々木俊尚氏のこんなツイートをみかけた。

 

 しかし、これは統計の見方としてものすごく下手な見方をしているのではないか。いや、別に俺は統計の専門家でもなんでもないんですけどね。

 このアンケートは、新聞の信頼が低くなったと答えた人のうちで、偏向しているからだと答えた人が増えたからだ、という話が出ている。それを元にしてツイートしているのが佐々木氏である。それ以外のなにかが元になっているのかもしれないが、ここからは他に読み取れる情報はない。

 よく見て欲しい。偏向している度合いが高くなった、ではない。偏向していると答えた人が増えたのである。この2つは別物だ。「偏向しているから信頼できなくなった」という人がいることと、「実際に偏向している」は直結するとは限らない。治安が悪くなっていなくても、ワイドショーでキレる17歳とか言いまくれば体感治安は悪くなるし、いらん持ち物検査ばかりされてうんざりするのはダシにされた中高生だったりする。絶対に許さないぞ。

 こんなことは、「統計でウソをつく方法」からの統計リテラシーの(たぶん)常識である。

 もし、証明したいと思うことが証明できなくても、何かほかのことを論証して、両方とも同じことなのだと見せかければよいのである。統計数字を目の前につきだされてぼんやりしている時には、その違いに気がつく人などめったにいないだろうから。こじつけの数字は確実に読者諸君の役に立つ道具なのである。もちろん、今までもそうだった。
(ダレル・ハフ「統計でウソをつく方法」(講談社ブルーバックス,1968)p118)

  あるいはこんな例は、ああ最近だとあの話じゃないか!とピントと来る人もいるのではないか。

 一九五二年に、カリフォルニアのセントラル・バレーで報告された脳炎患者は、最悪と言われたその前年の三倍にも達した。びっくりした多くの住民たちは、子供を別の土地に疎開させた。ところが、実際に患者を数えてみると、その嗜眠性脳炎による死亡はたいしてふえていなかったのであった。そして、ことの起こりというのはこうだったのである。長年の懸案と取り組むために、州と連邦保健局の役人たちが大勢動員された。その結果、以前なら見過ごされ、おそらくその病気と認められないような軽い症状のものまでたくさん記録されてきたのであった。
(「統計でウソをつく方法」p204)

  つまり、佐々木氏が欲しいであろうデータはこれじゃないはずなのだ。なので、このツイート自体が(これをアジのための情報として振りまきたいのでない限り)そもそも無意味である。

 ちなみに同じように増加している項目があって、それは「政府・財界の主張通りに報道するだけ」という項目なのだが、佐々木氏は何故か触れようとしない。まあ140字では余白が狭すぎるということなのだろうが。
 
 とはいえ、直接的に測ることのできないものさしというのがあるのも確かである。そういうときに、おそらく類似の傾向があるだろう、と仮に見積もってみるのは悪いことではない。アニメの人気をディスクの売上で見積もるのは、直結はしないかもしれないけれど、おおよその基準にはなる。これがアニメのおもしろさを論じるとなるとどうだろう。

 なので、もう少しこの数字の実態を掘り下げてみたいところだ。

 佐々木氏のツイートのグラフが掲載されている。オリジナルの記事を見てみることにする。これはyahooに掲載されたもので、ガベージニュースの運営者である、不破雷蔵氏による記事らしい。

 

news.yahoo.co.jp

 この記事に紹介されているグラフはいくつかあるが、佐々木氏が引用しているのは信頼が低くなった、という人にその理由を問うたものの内訳。じゃあ、それはどっから来たかというと、さまざまなメディアごとについて、信頼度がどう変わったか?を質問したアンケートがまずあり、そこで「低くなった」と答えた人の内訳がさきほどのものである。

 で、それに関するグラフを見ると、確かに新聞は確かに信頼度が下がっていて、その下げ幅は年々高くなっている。それはそれで良いんだけど、見ると他のメディアもおしなべて下がっている、ということになる。しかも、プラスになっている年もメディアもない。それってなんなの。今年もここ10年で最悪の出来のマスコミとかそういう話なの。

 そもそも、このグラフ、処理が少し手が込んでいる。それぞれのメディアに対する信頼がどう変わりましたか?という設問に対して、「高くなった」と答えた割合と「低くなった」と答えた割合の差を出している。確かにその差が大きければ信頼が失われているといえるのかもしれないけれど、元の値が示されていないこともあって、結局何を表しているのか、いまひとつよくわかりにくい。

 縦軸の数字をよく読むと、値はだいたい数%くらいである。「高くなった」と「低くなった」の差が数%。母数全部は100%ということを考えると、これはあんまり差がないということにも読める。青木率のように、経験的に使われている尺度なのかもしれないが、特にこの数字が特別な意味を持つという解説があるわけでもないし、よくわからない。

 ということで、調査結果そのものを見ていることにする。yahooの記事の数字は、公益財団法人新聞通信調査会というところが行っている世論調査に基づいている調査書が下敷きになっているようだ。これは、別に記事にも名前が出ているので、それを使って記事が書かれていることには何ら問題はない。

 

www.chosakai.gr.jp2017年調査結果はこちら

 

 この報告書を見れば、記事のもととなった具体的な数字が分かる。
 もうひとつ分かることは、「変わっていない」「無回答・わからない」と答えた人の存在である。これは、yahooの記事ではわからない。そういう選択肢がある事自体は当たり前というか、ちょっと想像すればわかるのだけれど、しかしこれを考慮に入れると少し結果の見え方が変わってくる。

 まず、実際の数字を拾ってみる、新聞の信頼が「高くなった」と答えたのが4.2%、「変わらない」と答えたのが86.2%、「低くなった」と答えたのが7.9%である。で、yahooの記事では、そのうち、「高くなった」と「低くなった」の差をとった値を出しているから、-3.7%になる、とこういうわけだ。

 確かに「低くなった」と答えた人のほうが多い。そしてその差は少しだが前より大きくなっている。それはそうである。が、このグラフには、そもそもほとんどの人はどちらとも思っていないという情報が落ちてしまっている。差だけをグラフにすると、絶対値が小さいこともあって大きく変化しているように読めてしまう。

 これが「インターネット」に対する信頼性になると、「変わらない」の割合がだいぶ減って68.6%しかいない。その代わり、「高くなった」が8.1%で「低くなった」が15.3%となっている。低くなった人が非常に多いが、高くなった人も多い。インターネットは、この中で比較されているメディアとしてはかなり「変わらない」が少ないのでこんなふうになるわけである。

 つまり、新聞に対する印象はわりと変化が少なく、インターネットに対する印象は良くも悪くも大きく変化しているという読み方もできるわけだ。

 その他のメディアも含めて、全体をまとめると、こんなグラフになる。

 まずそれぞれのメディアについて、信頼性が「高くなった」と答えた割合。

f:id:aruite3pun:20180131184121p:plain

次に、「低くなった」と答えた割合。

f:id:aruite3pun:20180131184138p:plain

次に、「変わらなかった」と答えた割合。

f:id:aruite3pun:20180131184145p:plain

(原点を0%にするとすべてのグラフの線がくっついて見づらいため、縦軸は、0〜65%をカットしてある。そのため、実際より大きく変化して見えることに注意)

 うむ、これではとてもじゃないが新聞の信頼が最近よくないことについてどうこういう資料としては使えなさそうだ。もっとも、yahooに不破氏が掲載しているグラフでも、別に新聞がとびぬけて値が大きなマイナスというわけでもない。大きなマイナスになっているのは、雑誌とインターネットである。一応差そのものの時間変化を見れば、大きくなっているのは確か、とは言える、その程度である。

 さて、次に評価が変わった理由、についてである。これは、「特定の勢力に偏った報道をしているから」という割合が29.7%から41.4%に変化したことが記事でも言及されていて、元々の資料でも書かれている。記事でははっきり言及してないが、「反日ガー」とやたら言いたい人に注目させたいことがなんとなく伺える書き方をしている。「政界や財界の主張通りに報道するだけだから」という項目があって微妙に相補関係になっているように見えるので、それはわからないでもない(と、いうようなことは、記事にも言われている)。ただこれどうなんだろうね。政界の主張通り、というのには、例えば杉田水脈氏のような主張はおそらく含まれないのである。

 まあそれは良い。佐々木氏も、これをもって「中立報道が終わった、いう内容のツイートはしているけれど、どっちに向けて中立を捨てたとは主張していない。なんとなく行間から読めるのはこの際横に措くとして。
 それより気を付けないといけないのは、この数字は新聞への信頼性が「低くなった」と答えたうちの割合であるということだ。

 これが、例えば高くなった40%、低くなった60%、の中での比較なら、その中の40%というのはかなり大きい数字である。しかし、これは元が全体の7.9%(2016年は6.9%)しかいなかった集団に行った再質問なのである。それを加味するとどうなるか。

 すると、2017年には3.3%、2016年には2.0%が、「特定勢力に偏った報道をしているから」新聞の信頼が落ちた、という解答をしているということになる。5割増しといえば聞こえはいいのだが、こういうのは普通横ばいっていわねえか

 ちなみに「政界や財界の主張通りに報道するだけだか」と答えたのは、0.9%→1.3%。こちらもことさらに言うほどではない変化。その点については触れなかった佐々木氏は妥当である。分かってて触れなかったのかはともかく。
 元記事で言及されている「誤報があったから」を含めて、長期的な変化を追うとこうなる。

f:id:aruite3pun:20180131184600p:plain

 「誤報があったから」という解答が2014〜2015年に一時的に増えたことは顕著で(これは元記事でも言及されている)、あとはまあ横這いに近い。いや、2017年には「特定の勢力に偏った報道をしている」と答えた人が増えているといえなくもない。しかし、縦軸の数字を見れば分かる通り、それはスケールのトリックに近い。少なくとも、佐々木氏の言うような「日本の新聞が唱えてきた客観的中立報道、ついに終わりのベルが鳴る」という結論は、仮にこの数字が本当の偏向具合を反映していたとしても、よほど大げさな人か、反メディアを煽りたいという目的のために実数から目をそらしていないと出てこないと思う。報道の自由ランキングが坂を転げ落ちまくってるほうが、まだメディアのありかたの危機を表明してそうである。いや知らんけど。

 

ちなみに元記事には、

新聞は主要メディアの中ではNHKテレビに次いで高い信頼度を持っているが、それはこれまでの先人諸氏の努力によって積み上げられた「信頼」と名付けられた資産を食いつぶして、ようやく維持しているに過ぎない。その現状を認識し、行動を律する事ができなければ、「信頼感は下落した」との回答者率は、来年度以降も高い値を維持したままとなる。果たして新聞に携わる人のどれだけが、その事実を理解しているだろうか。

とある。
 まずいいたいのは、要するに高くても低くても結論の部分には関係ないじゃないか、ということである。信頼度が高ければ「資産の食いつぶし」といいながら別のアンケートを持ち出す。信頼にそれほど大きな下落がなければ、あるいは他のメディアに比べてたいしたことがなければ、「差分を取って年比較」。これっていいかげんなマスコミがやることそのものではないか。「買ってはいけない」が添加物や化学物質の毒性について、経口摂取でダメなら皮下注射の数字を出し、直接の発がん性がなければ変異毒性の報告を出し、いまいち煽りきれなかったら「目に入ったら痛かった」と言い出したのを思い出す。

 再び、「統計でウソをつく方法」から。

どのような数字にしても、その表現の仕方はいろいろあるものだ。
たとえば、まったく同じ事実を表わすのに、売上高の一%の利益とか、投資額の一五%の利益とか、一〇〇〇万ドルの儲けとか、四〇%の利益の伸び(一九三五−一九三九年平均と比較して)とか、去年の六〇%減とか、いろいろに表わせるのである。そして、この中から当面の目的に最もかなった方法を選んだら、その数字が、事実を正しく表していないと気のつく者などほとんどいないだろうと思い込むが良い。
(「統計でウソをつく方法」p131)

 それはともかく、ずっと信頼感の高低の話をしてきたあとで「高い信頼度を持っている」話をしているので同じ基準で論じられているかのように見えてしまうのだが、ここで言う信頼度を問うアンケートというのは、別の設問である。

 これは、それぞれのメディアの信頼度を0から100点の間で評価してもらうというものだ。で、記事でメインに扱われている信頼度がどう変わりましたか?というのは別の質問。別に同じ人が毎年アンケートしているわけではないので、信頼度のアンケートの値の高低を参考にして信頼感の変化がはじき出されているわけではない。ざっくりした傾向は変わらないはずではあるが。

 しかし、例えば先程の「信頼感がどう変化したか」についてのアンケートでは全メディアが2013年からずっと「高くなった」より「低くなった」が優っていて、それは2017年の場合も変わらない。ところが、信頼度アンケートでは、例えば雑誌についていうと、44.6→45.0とわずかながら信頼度が上がっているのである。そのほか新聞、NHK,民放テレビ、ラジオについても微増していて、信頼度が下がっているのはインターネットだけである。あれ?

 ここからは俺の推測になるのだが、たぶんそれぞれの回答者がだした「得点」自体がかなりざっくりしたものだろうと思う。別にれっきとした採点基準があるわけでなし、71点とか、89点とかつけてる人はあんまりいないのでは? それを平均しているのだから、誤差バーとかいう以前に「だいたいの当て推量」を出ない数字でしかない。ネットよりは新聞、民放よりNHKを信頼してるんだろうな、くらいは言えるとして。

 じゃあ「信頼感が高くなった、低くなった」があてになるのかというと、元が高いメディアなのかそうでないかという要素は大きい。まとめサイトの信頼感が「低くなった」と今更言う人はあんまりいないと思うし、俺は新聞は割と信頼している方だけれど、多分「高くなった」と答えはしないと思う。この時点で、どう思っているかは実際のメディアの実態とつながるわけではないわけで、それに加えてその理由を主観で問う質問への解答、とこうなったものを嬉々として(かどうか知らないが)引用しているのが佐々木氏ツイートである。とりあえず、リテラシーがないのか、わざと恣意的なデータを持ってきているのか、はたまたメディア批判をしている意図は実は自分がそうだと信じている立ち位置につきたいだけなのか、はっきりして欲しいところだ。まあ三番目は邪推。

 メディアの偏向度合いを客観的に調べる方法なんてないので、仕方ない側面もある。それは、2014年ごろに「誤報がある」ことをもって新聞の信頼度が下がったと答えた人が(これはかなり顕著に)増えたことともつながる。ありていにいえば騒ぎ立てれば下がるということで、それはマスコミがマス「ゴ」ミと言われる所以でもあると思うのだが、なぜかyahooの記事には、そのバッシングに加わった新聞社の名前はyの字もsの字も出てこない。

 これは、2017年になって「特定勢力に偏った報道をしているから」が増えたことについても似たようなことが言える。新聞はフェイクニュースのかたまりだ、という主張ばかり見ていれば、本来の新聞の内容にかかわらず信頼は低くなるのである。どういう総理が国会でどういうことを言っているのか、などを踏まえればメディア以外のところに原因を求めたほうが良いようにも見える。

 実際のところ、信頼が「低くなった」と答えている人がかなり高くて、しかも2017年になってハネ上がっているのは「インターネット」だったりする。メディアの信頼性の変遷、という観点だと、新聞についてのアンケートの細かい数字を詮議するよりも重要そうにも見えるのだが、もしかしたら「ネットメディア」の書き手としては、それはネットで数字が取れないという判断があるのかもしれない。yahooの記事についているはてブでの好評ぶりも、ある意味それを裏付けているようにも見える。まあ不破雷蔵という名前は、ネットメディアとツイッターの外では普通は5年ろ組の頼りになるけど優柔不断な先輩を思い浮かべる人が多いと思うんで(中でもそうかもしれない)、基本的にネットの人だろうし。もっとも、もしそうなら、それは民放がニセ医学煽りで数字を取ったり、雑誌がセンテンススプリング砲で数字を取るのと変わらないけれど。単純に新聞がテーマありきだったからいろいろ数字をいじって探した、のほうがまだ好意的な見方か。

 もちろんこの数字にしても、インターネットの信頼性が2017年に本当に低くなったことを意味するものではないわけだが。(個人的には、WELQ事件が影を落としてるんではないかと思うが、あくまで推測)

 

 

新装版 ルナティック雑技団 1 (りぼんマスコットコミックス)

新装版 ルナティック雑技団 1 (りぼんマスコットコミックス)

 

 

 

こいつら100%伝説 (1) (りぼんマスコットコミックス (530))

こいつら100%伝説 (1) (りぼんマスコットコミックス (530))

 

 

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

 

  ところで、メディアの信頼性といえば、佐々木氏においてはこの本のタイトルはなんだったのかについて伺ってみたいところだ。マス「ゴ」ミ的手法の典型ではないか。浜矩子やラビ・バトラの本を信頼する人がそれほどいない(婉曲表現)のは、つまりそういうことだろうに。「編集部が勝手につけた」なのかもしれないけれど。

 

太陽の法―新時代を照らす釈迦の啓示 (心霊ブックス)

太陽の法―新時代を照らす釈迦の啓示 (心霊ブックス)

 

 

少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか (平凡社新書)

少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか (平凡社新書)

 

 

少年Aの犯罪プラスアルファ

少年Aの犯罪プラスアルファ

 

 

神明解ろーどぐらす (MF文庫J)

神明解ろーどぐらす (MF文庫J)

 

 

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

 

 

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

 

   古典ということで今回は多数引用したけれど、かなり昔の本なので時代を感じさせる記述が多い、いろんな意味で。当時のアメリカってこうだったんだなあ、と別の想像もかきたてられる本でもある。

 あと、ダウン症候群やガンの初期発見の重要性についての統計に関する記述については今となっては誤解を招くのではないか。

 

放射線被曝の理科・社会

放射線被曝の理科・社会

 

 

  

 

買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット)

買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット)

 

 

落第忍者乱太郎(18) (あさひコミックス)
 

 

 

 

 

2015年日本経済 景気大失速の年になる!

2015年日本経済 景気大失速の年になる!

 

 

 

2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測

2010年資本主義大爆裂!―緊急!近未来10の予測

 

 

おかしい報道と研究者たち。

 

 前回の記事で、他にも今回の差し替えについて説明している人がいたので、メモ的に補足する。朝日新聞記者の伊丹和弘氏である。こちらも、大貫氏がかみついていた相手になるのだが、まとめて引用しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 うむ、読めば読むほど、ごくごくまともな解説でどこにケチをつける要素があるのか分からない。わからないのだが、何故かこれをめぐて「あいつは新聞は捏造するものだ信用ならない」というようなツイートが見られたので、実に謎である。

 

 

 

 

 伊丹氏は上3つを引用したあとで4つめをツイートしていて、嫌味たらしくはある。しかし、これは確かにそうなのである。今回の話、当たり前のことながら研究者がかなり反応しているのだが、どうもその結果、まともにツイートを読んでない研究者勢、という姿が結構目立って、そういう人がリテラシーのようなものを説いたりするとそれは?という状態になっている。

 別に専門外のことについてとんちんかんでも専門内容についてちゃんとしてればいいとも思うんだけども。思うんだけども、話の起点が科学についての報道、なのでかなり滑稽なことになってるのは確か。まあ、その報道がさらに科学についての捏造をめぐる話題、ということで一層ややこしくなっているわけだが。

 たとえば、えふわら氏(本名は非公開だが、おそらく某国立大学の工学系の教員ではないかと思われる、「元」がついているので異動したのかもしれない)は

 

  そもそも、そんな話をしてないのだからどうしようもない。

 またえふわら氏はこんなツイートもRTしているのだが、そんなこと言って擁護してる人は見当たらないし、田中氏にしろ伊丹氏にしろ、隠蔽や捏造をよしとしているような発言はしていない。

 

 

 まあ、なにかあると意地でも裏張りしたい!というような人はどこにでもいるから、ツイッターの海のどこかにはいてもおかしくないんだろうけど、この話を言及している人のRTがしているものや引用しているものをどう見ても、伊丹記者や田中氏のツイートにいちゃもんをつけてるケースばかりなんだよね。

 しかしこういう光景、どこかで見たなあ、と頭をひねって思い出した。原発事故の直後に、その量の放射能なら住めなくなるなんてありませんよ、福島産の食品は食べても大丈夫ですよ、とか「説明」されると勝手に先走って御用学者呼ばわりしてた人たちだ。

 

 毎度おなじみ(もういいよ……)の菊池誠氏はこんなことを口走っている。

  それ、今の話と関係ないよね?

 あなたがそういうこと言ってると、大阪大学の先生と学生が何をされても「まずあのツイッターでとんちんかんな政治談義をやってるやつをきちんと総括しろ」って言われることになっちゃいかねないんですよ。

 「プロメテウスの罠」には思うところはあるのだが、もはや便利カード代わりに使っておけばいいやあみたいなこういう態度、肝心の内容についての批判まで風化させると思うのでやめたほうがいいと思うんだけどな。

 

   大きめの大学だと、名物教授という名のやべーやつが一人くらいいたりするよね。

 

 もう一人、この人も匿名の研究者なのだが、fa_censor氏は、社会学が専門らしく、分析めいたツイートをしている。

 

 

 

  うん、慣習を説明してるだけで慣習をタテに擁護しようとしてた人は自分が見たところでは見当たらないのだが、どこかにいたのかしら、という疑問再び。

 そして、普段マスコミのいい加減さにうんざりしていたからといって、いい加減に叩いていいという話にならないのは、もう何度目だかわからないのだが言うまでもない。「怨念の蓄積」などといったところで、別に正当化されるわけではないのである。

 こういう今回のマスコミへの「科学」勢への態度、何かでみたなと頭をひねってみたら、ああそうだ、福島第一原発事故後に、東電で末端社員に向けてなんでもやっていいかのようにバッシングしていた「反原発(の一部)」だ。おかしいな、さっきの放射能の話もそうだが、こういうのを批判したがりな人と、層が重なってるような? ちなみにえふわら氏も反原発をくさすようなツイートをここ数日だけでもちょくちょくRTしている。科学的態度とは何か(哲学)

 

 とか考えていると、以下の話は考えさせられると思ったのでついでに引用。

 

 

 ところで上で言及したえふわら氏、たまにツイートが回ってきて割と頷くことが多い人だっただけど、今回まとめて読んでいたら、ずいぶんと可笑しげなツイートが見つかった。可笑しいツイートをRTしている、というケースが多いのだけど、特にその直後に批判しているということもないものばかりである(終わりの方で引用している北守氏のは違う)。いくつか紹介してみたい。

  ネット民がないことないこと殴るのを得意としてるじゃん。

 まあそれはおいとくとしても、メディアが一枚板になっているという発想がよくわからない。新聞の批判を雑誌がやったり、雑誌の批判を別の雑誌がやったりということはあるわけだが。昔は「噂の真相」というマスコミ批判を得意とする雑誌もあった。まああの雑誌自体がセミフェイク……まあいいや。

  おかしいな、俺の目には労働問題についていろいろと問題提起したり指摘したりしている野党の姿が多数見えているのだが。

  あの、産経って縮刷版を唯一持ってない全国紙なんですが。アーカイブも最近はじめたようだが、1992年からであるし無料でもない。

 というか、自分も聞蔵とか普通に使ったことあるんだけどね。確かに無料ではないけど、図書館なんかでは無料で使えるところもある。そもそも産経のアーカイブも無料ではないし、縮刷版があるおかげで図書館にいけばいくらでも読める朝日毎日読売のほうがアーカイブとしてはすぐれているのでは。

  そんなこと、今公務員の給与を握っている自由民主党に言えばいいと思うのだが。というか、自治労立憲民主党支持なので、国民でない人に立憲民主党は支持されているということかな?

  遡ってみると、どうもこの記事が気に食わなかったようなのだが、記事を読んでもそこまで腹を立てる要素が見当たらず、「あ、なるほどケチをつけるきっかけをこじつけたのね」としか思えない。どこかの大阪で起きたみたいなことを語ってるわけでもないし。というか、それで結局どこを支持政党としてブチあげることにしたんですか、という「野党批判」系の人についてのいつもの疑問に戻るわけだが。

  あの、今の国のトップに代々の金持ちが数名いますが、鈍じてないようにも喧嘩しないようにも見えないようなんですが。というか、荒んだ世の中にしたのって、主に20年位前の経営者陣や政治家のせいじゃないんですかね。

 

 

  このツイートをうけて、こんな発言をしている。

   「女性だけの住む街」にいちゃもんをつけたいようなのだが(ツイートをたどるとフェミが憎いとおぼしきツイートが多数RTがされている)、「光速一定の仮定で宇宙船の速度をどんどん上げていった時にですね」「その燃料はどこに入れるのでしょう」「加速のGで死なない体が欲しいんですが」みたいなことを言って何か意味があるのかな、と思うわけだ。というか、シン・ゴジラに失礼ではないか。

 こうやって話をはぐらかしてそもそもの問題から目をそらすようなやり方を平気で使う人がいくら共同通信がーと言ってみたところで、それこそ「マスコミを批判する資格」を問われるんではないかな?とも思ってしまう。

 ところでマスコミのデマといえば今一番ホットなのは産経新聞フェイクニュースを報じたという話ですが、こんなにマスコミのふがいなさに腹を立てているえふわら氏のホームにはそれについて触れているツイートが見当たらなかったことを付言しておきます。いやまあ、必ず触れなきゃいけないというものではないが。

 

冷たい密室と博士たち (講談社文庫)

冷たい密室と博士たち (講談社文庫)

 

 

 

『噂の真相』25年戦記 (集英社新書)

『噂の真相』25年戦記 (集英社新書)

 

 

 

訂正人語おわびスペシャル (噂の真相SPECIAL)

訂正人語おわびスペシャル (噂の真相SPECIAL)

 

 

 

相対性理論 (物理テキストシリーズ 8)

相対性理論 (物理テキストシリーズ 8)

 

 

 

 

 

 

 

 

君の家に着くまでずっと差し替えられていく。

 山中教授の施設で不正があったというニュースをめぐって、共同通信がへんてこりんな記事を出したという話。

this.kiji.is

 俺も理系院卒なので論文を投稿したことは当然あるし、そういう論文誌がどうやって運用されているかも知っているので、これがおかしな記事であることはわかる。

 一方で、TLにいる研究者系の人がイキってるのを見るとそれはそれでかなり疑問を感じてしまう。例えば、立教大学助教の白鳥潤一郎氏は、マスメディアは低学歴だ論を言い出している。

  で、案の定匿名の記者アカに突っ込まれている。端的にいってみっともない。ちなみにお前が低学歴だからひがんでるんだろなどの声もありましょうが、俺は博士修了です。

 むしろ同い年なら、5年くらい早くから取材経験を積んでる学部卒のほうが勝るところもあるんではないでしょうか。もっと上の年になったら知らんけど。

 

 

 まあそれはさておき、自分たちがたまたま知っていただけ、から離れれば、共同通信の発想のほうが普通だと思うんですよね。

 

 

 それにしても、そこをちゃんと掘り下げるのがメディアだろというか、もう少しまともな記事を書けなかったのかな、と思うけれど。ともあれ、この記事は別の論点(山中氏が給料を寄付に充てるとのこと……それもどーよ)にスポットを当てた記事に差し替えられたのだが、それがまた捏造呼ばわりで炎上することになる。これについては後述。

 

  で、あんまり共同通信に同情する気もないのだが、うへっと思ってしまったのが科学ライター大貫剛氏のツイート。

  おっそうだな、なのでニセ科学やら科学リテラシーやらを標榜する人はあの人とかあの人とかあの人のせいで信頼が崩壊してることを深く認識してほしいんですが、この人してないほうの代表だよね。どっちかっつーと。

 大貫氏自身にしても、戦中体験を語った新聞の投書に「この世界の片隅でを見るべき」などというとんでもない侮蔑発言をしてみたり、密着して肌が浮き上がるスカートなんてのは実際にはありえませんと現役でそういう服を着まくってるアイドルに指摘されたのにああいうことだってあるのに規制なんてケシカラン!と言ってみたり、他にもいろいろあった気がするが、とにかく個人的に信頼は崩壊しまくってるんだけど、どこから始めるのか、人のことをどうこう言う前にそっちを先に語ってほしいですよね。

 ちなみに個人的になのだが、二番目の話、普段街で肌が浮き出てるスカートなんて見ないよね、という「観察力」と、「ラテックスとかでもなきゃ、ふつうはピシっとしたときに張る線は頂点同士を結んだものだしそれ以上はたるむだけ」という最小作用の原理と地球の重力の存在を忘れてるという「理論的思考」、両方を何かのためにどっかにおいてきた発言をしてしまったという意味で科学ライターとしてすごくどうかと思う勘違いだったと思います。

 まあそれはともかく、こういうの、社会学とか心理学の一般論としてはともかく、少数例だとわかってて煽るのってそういうのをマスゴミの所業というと思うんだが、どうなんでしょうか。自分たちの煽動は綺麗な煽動ですかそうですか。いろんな意味で、サイエンスライターとしての疑念を持たざるを得ないんだが。いやすいません、元から持ってるけど、これについても改めて持たざるを得ないんだが。

 この人が何をごくわずかな不祥事でばっさり切り捨てて、何を一生懸命擁護するか、ということの方向性はときどき流れてくるツイートなどを見受けしてだいたい知っているので、そういう意味でも何を冷静ぶっているのか、という話でもある。

 ちなみに、大貫氏は何かを揶揄するつもりで以下のようなツイートをRTしている。それが何を意味しているかは、あえて触れませんが。

 

  その中立しぐさは、お前たちネット論客のテンプレートかしら?

 触れてるじゃん>自分

 というか、ニュースを発信するメディアがどんどんアップデートするのと行政文書を破棄するのを一緒にするセンスがどうかというか、比喩を持ち出すときにへんてこな例をだしたらただの詭弁になってしまうというのは科学的な話がトンデモに流れる典型パターンと思うのだが、何をいってるんだ。

 こういうのRTすればするほど「科学リテラシーを語る人々」の信頼を崩壊させてるのわからんのかな。やめてほしいんだけどな、というのがいち科学好きの感想なのだが。もっとも、擁護したいのが「科学」でなくて別の何かだとしたら、大正解なのかもしれない。

 沖縄で米軍の何かが落ちまくっているときに、何を擁護して何を揶揄したいんだか透けて見えすぎるツイートもある。

  ヘリコプラー一機落ちたら大事故だろ?

 いや、報道被害というものを軽視したいわけではないけれどさ。

 これを今何か面白いうまいことを言ったつもりでつぶやく人が、航空宇宙を語ってるというのはすごいギャグである。笑えませんけど。

 もっとも、擁護したいのが(以下略)

 

 ちなみに、当ブログではおなじみ(ほめてない)菊池誠氏もずいぶんである。

  そしてさきほどの匿名記者氏にも突っ込まれている(この人は新聞記者のようなので、多少ポジショントークを割引くべきだが)。

 

 というか、大貫氏のツイートはこういう動きに対するリアクションのようにも見えるのだが、だとしたらなお最悪であるな。自分たちに対するチェックは意地でも拒否したいけど、マスコミは叩きたいということになるんだけど。

  須田氏はSTAP細胞についての調査報道で賞をもらっている科学記者だが、もちろん「だからバイオなんてクソだ、女性科学者なんてクソだ」なんて話はしてなかったわけですよ。ていうかしないのが普通なんですけど。普通ならしないことに励んでるのが、大貫氏だったり菊池氏だったりするわけだ。

  そういえば、この人も放射能デマなんかに批判的なことを積極的に言及していた人だと思うんだけど、まあそういうのは同業者とは違うかもだけど、いつになったらお仲間の一部を袋叩きにするんでしょうね。

  というか、具体的な事例を思い出せないから言及できないけど、この人のツイートも大概どうかと思う発言の山だったような。

 

 ちなみに、慣習だと擁護しているツイートとしてかなり拡散されている(そして、大貫氏がかみついている)ものとしては、たとえば以下のようなものがある。早稲田大学の田中幹人氏によるものである。なお、これにからめて大貫氏は早稲田大学のメディア系が傲慢メディアの体質っぽかった、というようなことをツイートするくらい、この人のコメントが気に食わなかったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別にごくふつうの話である。 こんなん当然踏まえなくてはならない上に、もしそれすら念頭になかったのなら「ピアレビューが当然」というのを知らなかった記者並みに、メディアの仕組みについて知らなかったと恥じなくてはならない話である。第n版、みたいな話、漠然とマスコミに興味を持つとなんとなく耳に入ってくる話だと思うけど。

  こういう話をしたツイートに、共同通信の元の記事と同レベルに不満を抱いているのなら、それはもはや自分たちのポジショントーク以外は認めない、という話でしかないと思うのだが。ちなみにもう一つ朝日新聞の伊丹記者も似たようなことを説明していて、それもかみつきの対象になっている。いいから話聞きなよ。差し替えがなかったら、ノーベル賞の第一報なんて、「日本人の受賞者はいませんでした」になりかねないでしょうに。

 これで、よく共同通信は研究者の慣習を知らないで記事にしてる!なんて言えたもんだよなあ、と思ってしまう。いや、メディアは普通の人以上にちゃんとしてくださいよ、と思わなくはないのだが、そのメディアの側の人間には大貫氏も入りますからね。こないだの菊池氏もそうなんだけど、自分の側のいきすぎ加減に指摘されると自業自得だーみたいなところに話を持っていくの、少なくとも科学的精神からは程遠いのではないか。まあ、マスコミ憎しのアジびらをやりたいんですよというならそれでもいいし、そう表明すればいいと思うが。ぶっちゃけ、今のネットでそれでフォロワーやRTふぁぼが減るとも思えぬし。

 まあそれは皮肉として、自分のTLの研究者の反応なんかを見ていて「お前らたまたま知ってただけだろ?」と言いたくなる、というのもこのあたりに理由があって、結局自分のとこの慣習については敏感でも人のところの慣習には興味がない、どころか指摘されると嫌な顔をしながら言い訳を垂れ流されてもなあ、そういう態度でイキられてもなあ、ということになってしまうわけである。日本史の時間に艦これやってたからミッドウェーで沈んだ空母をフルで言えて先生にびっくりされたオタクでももう少し「いやあたまたまですよ」って顔してると思う。喩えが長い。あと艦これっていうかDMM登録できるのは18歳以上です。

 もちろん、この田中氏の説明だけで個人的に納得できるかといえばそうでもなくて、記事の内容が圧縮して下の方に追いやられているとはいえ、全然違うのになってるのは、それは差し替えと言っていいのか?という疑問はまああるんだけど。

 ちなみに田中氏じしんは別に共同通信が悪くないとは言っていない。

 

 

 この話の個人的な総括を非常に悪意を持った視点でしておくと、ああなるほど、マス「ゴ」ミのせいで科学が妨害された!と叫ぶ前例を作ってしまえば、今回の話のそもそもの出発点として有力である「最近の日本政府が文教政策めっちゃくちゃでどんどん余裕がなくなっているから、任期職の人からそりゃ不正も出るでしょ?」という問題から目をそらさせられるってことなのかな?だったりするのですが、いかがでしょうか。悪意ついでにいうと、「ついでにSTSも排斥しちゃえ」ということなのかな?という…… うん、悪意しかないね。

 

 悪意ついでにいうと、山中氏の最大の罪は、資金集めにマラソンとかいうものすごく官僚がつけこんできそうな前例を作ったことじゃないかなあと思ったりします。当時の新聞もなんか美談みたいに紹介してたし。

君の家に着くまでずっと走ってゆく

君の家に着くまでずっと走ってゆく

 

 

 

first kaleidscope

first kaleidscope

 

 

 

 

 

iPS細胞とはなにか―万能細胞研究の現在 (ブルーバックス)

iPS細胞とはなにか―万能細胞研究の現在 (ブルーバックス)

 

 

 

 

捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件

 

 

 

 

 

 

災害弱者と情報弱者―3・11後、何が見過ごされたのか (筑摩選書)

災害弱者と情報弱者―3・11後、何が見過ごされたのか (筑摩選書)

 

 

 

 

一昨日は俊一ちゃん、昨日は実ちゃん、今日はあなたたちね〜?

 あらら〜、唐沢俊一検証ブログの管理人氏が忙しいから、たまには私が出てきてもいいよねやめなさい。

 

 ていうか一昨日でもないし昨日でもない。それくらいには久々の更新である。それはそうとドイッチュランドもZ46も落ちないぞどうなってんの

 

 日刊ゲンダイに掲載された朝日新聞の高橋記者のインタビューが、物議をかもしていた。「だまって便所をつまらせろ」には唸らされた記憶がある。

www.nikkan-gendai.com

 しかし、エビデンスなんて知るか!などという主張をしていたら、それはかなりがっかりである。さてこれはどういうことか。 

 というわけでゲンダイのサイトに読みに行ってみた。ところがである。

 困ってしまったことに、読み進んでいってもエビデンスなんてねーよについて語っているシーンが冒頭にしか出てこない。これじゃあなんともいえない。冒頭の部分というのは、インタビューではなくゲンダイ記者による叙述部分だから、高橋氏がどこでどういう文脈で言ったのかわからないことには評価の仕様がない。インタビュー部分はまあ普通に面白いし興味深いし、そうするとさて、では何が気に食わなかったのだろうということになる。

 

 この記事の文章を見る限りだと、エビデンス云々という記述は、おそらく高橋氏が出版した著書の中にあるのだろうな、ということが推測できる。なのでそれを見れば判断つくはずだ。というか、見ないと判断がつかない。

 ところが、このインタビュー記事に腹を立てている人はツイッターのフォロワーの中に複数いるのにも関わらず、おかしいと思って著書を見てみたらこうだった、やっぱりひどかったですわ、というような話をしている人が何故か見当たらない。見当たらないのだが、何故か「これだから朝日は」と朝日叩きに励んでいる人はちらほら見かける。どうもよく分からない。だってあなた、エビデンス軽視に腹を立ててるのに、その怒りのエビデンスであるはずの著書の話がないんですぜ。何が起きているのかよく分からないとしか言いようがない。

 いや、断片的な情報の段階で怒るな、とは言わないけれども、もう少し留保する声があってもいいじゃないと思うではないか。

 まあ仕方がないので、アマゾンでぽちってみるかなーと思っていたら、当該書を手に入れた人が、著書の中での文脈を解説してくれているツイートがいくつか見つかった。

 まず、高橋氏と同じ朝日新聞所属である、丹治記者。朝日所属だから身内びいきじゃないかと思う向きもあるかもしれないが、朝日の記者ツイートは割と人によって多様性があって、丹治氏の場合、高橋氏のインタビューでのスタンスそのものについてはそこまで好意的ではなく、批判的なつぶやきをツイートしている。ちなみに専門分野はボーカロイドデジタル関係である。

  その他にも「仕方ない帝国」を購入している人からの指摘が入っている。

 

  何か政治家(大抵は自民党)が失言したらしいという話がネットを駆け巡ったあとで、「全文を読め!偏向報道だ!」と批判する人が出てきたので読んでみるとやっぱりひどかったというのはよく見かける光景なので、そういう展開をつい期待してしまうわけだが、これは日刊ゲンダイが悪いだろうとしか言いようがない。

 というわけで、リテラシーのない記者がいるというよりは読者のリテラシーを問われる事案だったわけであるが、その「読者」の反応はどのようなものだったか。

 俺が最初このインタビューについての話を見かけたのはメディア文化学が専門である津田正太郎氏のツイートだったのだが、当初の反応はこんなだった。

 

 

 くだんの記述が、そのまんまの意味なら、たしかにこの批判はあたっている。 吹き上がってるわけでもなく、慎重で丁寧な批判だと思う。

 で、その後、事情が分かったのちにはこういうツイートをしている。誠実な対応である。

 

   さらに、間違ったことを正当化しようとしている声にこう諌めてもいる。

  で、そのことを踏まえて。

 高橋氏のインタビューについて、普段エビデンスの重要性を説いて、熱心にニセ科学やニセ医療などの批判をしている人がけっこう反応していた。こういうクラスタは普段、いろんな人のおかしな主張を批判して、「なぜ誤りを正せないのか」みたいなことを言ったりもしているわけである。その活動自体は別に否定することはないのだが、どうも自分の観測範囲でのそういう人について、エビンデンス云々が早とちりであると分かった後の反応がひどいことになっている。

 まず上でもちょっと触れたけど、そもそも、くだんの文章がどこから来たのかよく分からないというのは一読していると気づくことである。これは後付けも半分あるし、自分が高橋氏のスタンスにわりと好意的なのでバイアスがかかっているところもあるのであまり大きい声で自慢できることでもないと思うのだけれど、しかし「これは記者が勝手に書いたものではないか?」「原文にもあるのでは?」と考えるのはエビデンス主義なリテラシーの働かせ方に思える。特に「イデオロギーにとらわれない」が合言葉のような人なら、気づいてもよさそうだ。

 ところがあまりそういう話がない。そのため、こんなふうに皮肉られてもいる。

  なぜか軒並み、出処のおかしさに気づいていないのである。

 でもまあ、それは難易度が高いのかもしれない。俺が気づいたのだって、上にも書いたように自分のスタンス上の理由もある。さっさと改めてしまえばいいのである。科学というのは誤りを修正して進んでいくものである。

 ところが、改めるどころか、デマであることが分かるとごにょごにょと言い訳を始めたりしているのだからどういうことなの……となってしまう。

 例えば、神田外国語大学の飯島明子氏(物理化学)は当初こういうふうに反応している。

 個人的にはもりちゃねという人も大概デマ混じりなことを言っている印象があって、仲良くしていると言う時点でガセとかデマについて語るのはやめたほうがいいと思うのだが、それは交友関係の自由として、高橋氏はエビデンスなんて知るかという記事を書いた話はしていない。「エビデンス?ねーよ、そんなもん」そのものに反応しただけなら、単にゲンダイに釣られた話ですむのだが、高橋氏はそんな記事もコラムも、書いているという話をインタビューでしていないわけで(それどころか、社説なんかではキチンと書くという話をしている)、ちゃんと読んでいるのか疑問が残る。それって科学論文なら不正行為っていいませんかね。そして、その後この記事について、何かを発言しているツイートは見当たらない。

 飯島氏はちょっと前に、演劇などの中にスルっと反原発のメッセージなどを入れるな、やるならちゃんと勉強しろ、みたいなことをつぶやいて、科学リテラシー系の人にウケているのを見たのが名前を知るきっかけだったのだが、ご自分は「スルッと」反メディアのようなつぶやきをしても平気なのだろうか

 ところでこのツイートを見ると、飯島氏は安部政権を批判する人々の外側にいると自認しているように読める。別に人の政治観をとやかくはいいたくないし言う筋合いもないのだが、あの文教政策で大学をガタガタにしている政権について何も思わない大学の先生、なんだなあ……と思ってしまう。

 

 福島の放射能デマについての批判などを熱心にしておられて、その点では頷くことも多い大森真氏は、この記事をこう評している。もともとはTVマンだったそうである。

 

  やはり、言ってもいない「報道のなかでのエビデンスを否定していた」という文脈で語っている。そんなことは言っていないし、それはよくないからオピニオンを語れるコラムでそういうところを頑張ってるというのがインタビューの中身なので、このツイートのエビデンスはどこなんだろうということになる。

 その後、特に自分の発言について訂正する気配がなく、代わりに同じく高橋氏のインタビューを論難していたモトケン氏が「読んだけどやっぱりダメだ」と主張しているツイートをRTしている。こういうの、開き直りっていいませんかね。

 開き直る前に、自分がエビデンスに基づかないで人のエビデンスをどうこう言っていることについてはどうなのだろう。もうひとつこんなのもRTしている。

   そんなことをRTしている前に、まず自分のうかつさについて何か語ることはないのかな、と思うわけだ。「福島差別」といえば、こういう後付でゴールポストをずらすような発言もけっこうあるわけだが、大森氏にとってそういう反応はどう映っていたのだろう。

 ちなみに、大森氏は福島における差別問題を語る本の共著に入っておられるとのことで。少し前にこの本は「放射能被曝の理科・社会」の続編的な存在になるんですよ、といって宣伝していたのをRTで見かけて、結構楽しみにしていたのだが、こうなるとこの人の担当箇所が大丈夫か不安になってくる。まあそれはそれ、であることを願いたいところだ。

 前回も登場した原田実氏は、こんなふうに高橋氏を批判している。

   原田氏のツイートはRTがやたらに多いので見落としていたら申し訳ないところだが、その後の情報を受けたのちのツイートらしきものは見当たらなかった。それだけならまあそういうこともあるだろうと思うのだが、「あれはデマだったらしい」ことを踏まえたツイートはRTがされていて、例えば上のハコ氏のツイートはRTがされていたりする。もしかしてなのだが、エビデンスに興味がないのだろうか。

  というRTもあったのだが、そうなるとこれは自己紹介かな?と思ってしまう。

 ついでに言うなら、別に批判出来るのはトンデモ本の世界シリーズに唐沢俊一氏が大量寄稿していることからも分かる通り。唐沢氏のガセパクリの山は今更だが、だからといってトンデモ本認定が覆る本がそうそうあるわけでもない。というか、エログロナンセンスから規制される論」なるトンデモ史観をツイートしていた原田氏がこれRTするのかー、という話でもある。筋が悪いと思うから、前回のエントリでもそういう物言いは避けたのだけどね。

 

 しかしね、ここまでは、ギリギリ仕方がない面もある、と思う。高橋氏が嫌いなのは仕方ないし、そうなるといろいろ理由をつけて自分の誤りを認めたくない(あるいは、誤りと思わない)のも分かる。にんげんだもの。ま、そういう人の「リテラシー」がどう評価されるかは別の話だけど、さっきの原田氏の話ではないけどある程度はそれはそれこれはこれ、としても良いと思う。

 ということで、真打(というか本来このエントリはこの人の話を書くつもりだったのだが、ツイートをたぐっていたら予想以上に前座が長くなった)の登場である。

 その人というのは、菊池誠氏である。高橋氏を論難するツイートをあれこれとRTしている数も他の諸氏に比べて多いのだが、しかし問題はそこではない。

 

  どこをどう考えても、エビデンスに基づかないトンデモを批判してきた人の言うこっちゃないんですが。

 菊池氏がやっていることは、流言飛語の正当化であって、思いこみさえあればどんなことをやっても問題はないという、まあニセ科学批判という観点から見たら断然許してはいけないことであるはずだ。それをニセ科学批判で一世を風靡した人が言うというのは一体どういうことなのだろう。というか、自分が今まで言ってきたことをどう思っているのだろう。放射能デマにしろ、反ワクチンにせよ、正当化するだけの思い込みがあったからこそここまで深刻化したのではないかな。

 これなら、もちろん東電や原子力発電なんてどれだけ叩かれても文句は言えないということになるはずだが。そんなのはおかしいだろう。なんてていたらくだ。

 ついでに言うと、俺も朝日と岩波は基本的に信頼に値するメディアだと思っているけれど、一方でときどきおかしい本を出していることくらいは気づいていたので、3.11を機にがっかりした、なんてそれこそ原発事故を受けて初めて「ずっとウソだった」と言ってしまう程度にはナイーブなんじゃないかと思う。このへん、どっちもどれくらい修辞的なつもりなのかよくわからないのではっきりとは言えないが。

 また、「日頃の行い」なるものにしても、どれくらいエビデンスがあるのだろうか。「プロメテウスの罠」を引き合いにだして朝日が東スポ程度、というのなら、外国人技能実習生で、酷使する側べったりの記事を平気で載せる読売や「BPO反日」の産経はどうなのか。というか、総理大臣にオススメされる読売新聞、という「日頃の行い」とはなんだろう、と思ってしまうのだが。

 いや、別に他紙がやってるからそれくらいいいじゃないかと言うのではない。朝日だけをことさらに強調する理由としての「日頃の行い」とはいったいなんなのだろうか、という話である。朝日批判は別に良いが、そこまで言うのなら普段の情報収集には「よりマシな」別の新聞なりメディアなりを使っているのだろう。「新聞は朝日に限る」という人が朝日は東スポ並みだというのなら、今は何を読んでいるのか。読売なのか。産経なのか。保守速報なのか。

 

 

アプリ完全攻略VOL.23 (人気の海戦アクション×SLGゲームを徹底研究&最速攻略!)

アプリ完全攻略VOL.23 (人気の海戦アクション×SLGゲームを徹底研究&最速攻略!)

 

 

 

 

仕方ない帝国

仕方ない帝国

 

 

 

メディアは社会を変えるのか―メディア社会論入門

メディアは社会を変えるのか―メディア社会論入門

 

 

 

しあわせになるための「福島差別」論

しあわせになるための「福島差別」論

 

 

   本題とは関係ないけど、内容とは別に「仕方ない帝国」と「しあわせになるための「福島差別」論」の表紙は好きじゃないな。個人的に。どっちも内容はまだ読んでないのでそれ以上はとやかく言わないが(上のアマゾンリンクには書影がないが、別のところで見た)。

 

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)
 

 

 

 

 

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

 

 

 

 

 

ARE YOU READY?

ARE YOU READY?

 

 

新しい偽史教科書をこねる会。

 森奈津子氏のツイートを受けて、歴史ライターの若林宣氏が数日前にこんな批判をしていた。

 

 

  戦前の言論弾圧はエロ規制が先にあったんだ、と言われたらふんふんとなんとなく納得してしまう俺のような人間には、ちょっと考えさせられてしまう話である。

 ところが、これに森氏が気づく以前に、他の「表現規制反対派」が反応したらしい。

  その具体的な内容は、こんなもののようだ。

  自分の認識では、若林氏は表現規制反対派だったと記憶しているのだが、たぶんパラレルワールドにいるのだろう、どっちかが。

 それはともかく、このメンバーの中には偽史研究の大家である原田実氏が混じっているのが目を引くのだが、これっておかしいじゃないか。だって治安維持法は1925年に制定されているわけだ。それに先だった労働運動を取り締まるための治安警察法は1900年制定だ。

 で、エログロナンセンスというのがどういう範疇を示すかは定かでないけれど、文化運動としての「エログロナンセンス」は、Wikipediaの記述を当てにするならば1929年ごろから1936年ごろにかけての文化であるとされている。

この時期には文字通り、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとする本・雑誌・新聞記事・楽曲などがブームとなり、盛んにリリースされた。時代としては、1929年(昭和4年)の大恐慌から、1936年(昭和11年)の2・26事件までの期間に当たるが、新聞報道では1936年5月に阿部定事件と言う大ネタがあり、その報道を最後とする。

 はいここで数字の大小を比べて欲しい。1925が1929より小さい値であることに異論がある人は、あんまりいないのではないかと思う。原田氏のリクツだと、治安維持法共産主義を取り締まるまえにまずエロをとりしまるための法律だった、ということになるのだろうか。すごい偽史を見てしまった気がするのだが、気のせいだろうか。

 もっとも、WIkipediaをあんまり信用するのも何である。コトバンクでいくつかの事典を見比べてみると、例えばデジタル大辞泉だと、「大正末期・昭和初期の低俗な風潮をさす」とある。昭和改元は1926年だから、とりようによっては治安維持法との重なりが多少あるようにも読める。

 一方で「日本大百科全書」だと、「1930~31年(昭和5~6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った」となっており、しかも

ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。

 という説明がなされている。ふむ、ひどい不況などによる出口のない暗い絶望と虚無感による台頭…… ナニカを思い起こさせる気がしないでもないのだが、まあおいとこう。

 しかしこの話、少し掘り下げてみるとそれ以前のところでおかしい。だって、表現規制って治安維持法に始まったものでもないではないか。大逆事件とか讒謗律とか、明治時代にあった話ではないか。なだいなだ「TN君の伝記」は、明治期を生きたとあるジャーナリストの生涯を少年向けに書いた伝記だけれど(まあ誰の伝記かふせなくてもいいかもしれないが、一応)、明治後期のジャーナリズムが直面した、表現規制がいろいろと登場している。

 案の定、反論がされている。かなり勉強になったので、少し長いがまとめて引用したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  なるほどなあという話だが、もっと言うとこんなん記憶をたどれば中学校で習ったよなあという話でもある。出版条例とかはさすがに習ってないが。中学あたりの歴史ではエロの話なんぞは(おそらく意識的に)されないので、むしろこっちのほうが頭に残っててもおかしくない。

 このあたりの話を横に置いとくとしても、森氏の主張はスゴい。だって、若林氏は戦前のエロ摘発なんてなかった、なんていう歴史修正を行ってる発言をしていないわけなんだから。むしろ、そういうものも合わせて論じることは無価値ではないと評価しているわけだから、事情がよくわからない。

  上のスクショを貼っているツイート主にも、続いてこう言われている。

 

 

 それにしても、引用元のツイートは原田氏以外もおかしいことだらけである。まず一番上の小森氏のツイートであるが、最初から最後までただの邪推であって反論ではない。別に邪推をしてはいけないとは思わないけれど、森氏の「言論的フルボッコ」にそれが入っているのを見ると失笑しかわかないというか、この人にかかったら自然災害をなんでも総理大臣のせいにする陰謀論説でも鋭い政権批判扱いされるんでないかなと思わなくもない。

 次の日下氏のツイートはまず、表現を規制するのが権力であるという一番根本なところを横に置いてる時点でおかしいだろう。それに、20年前の「言葉狩り」時代の小林よしのりゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」を愛読した黒歴史がある人間として自主規制が問題でないとは思わないけれど、法律によらないレベルでの批判やそれをうけた自粛がまったくなければいいとも思わない。個人的な感覚になるが、萌えキャラなんかについての批判はなんだかんだで大きな話題を集めるようなケースについてはそれなりに傾聴すべき話が多いということが最近(残念ながら)わかってきてしまったので、こういうの10年前のカンチガイした自分を見るようで辛いものがある。日下氏に限らないが。

 3名に共通してるのは、この手の形で表現規制を語る人は、自分たちに批判的な人は「エロは興味がないから規制したい、政治的な発言は興味があるから規制してはいけない」のだろう、という思いこみなのだが、若林氏が表現について語ってるツイートはときおり見る機会があるのだが、エロに興味がないのではなくてエロがあまりに公然と通ることで、不快に思う人のことを無視しちゃいかんでしょという切り口でだいたい一貫しているように思う。ちがったらごめんなさい。俺だってうっかり凶悪犯罪を犯して家宅捜索に踏み込まれた日には全世界の二次元オタク様に顔向け出来ないレベルで迷惑がかかる程度にはいろんなモノを持ってるけども、それとゾーニングの是非とかそういう話はまた別問題である。というか別問題にしとかないと、攻撃を受けるのは自分たちであるというのを忘れてはいけないと思うんだが。

 それはともかく、3人ともずいぶんな悪意に満ちた思い込みをお持ちだなあ、と思う。原田氏以外の二方は小説家なのだが、もしかして「エロ表現を含めた、フィクション規制には興味があるが、政治的な発言の規制には一ミリも興味がないから規制したい」などという本心がじつはあってその裏返しなのでは、となどという邪推はいかがだろうか。いかがだろうか、ってのも何だが。

 それはともかく、これを受けた若林氏は、

 

 

 

  まあそうなるな。

 

 

市販本 新版 新しい歴史教科書

市販本 新版 新しい歴史教科書

 

 

新編新しい日本の歴史 [平成28年度採用]

新編新しい日本の歴史 [平成28年度採用]

 

 

戦う広告―雑誌広告に見るアジア太平洋戦争

戦う広告―雑誌広告に見るアジア太平洋戦争

 

 

 

日本SF全集・総解説

日本SF全集・総解説

 

 

 

 

 

大相撲殺人事件 (文春文庫)

大相撲殺人事件 (文春文庫)

 

 

妄想☆いでおろぎっしゅ!

本日の第49回シン・ゴジラの俺はこれを読み取った会議、終了!

違うの混ざってるよ>俺

 

 唐沢俊一氏と映画評論家の町山智浩氏が「シン・ゴジラ」評をめぐって激突していた。

togetter.com コメント欄で町山氏のシン・ゴジラ評をめぐっていろいろと議論が繰り広げられているのだが、率直に言って見るに耐えないものになっている。町山氏が、ではない。いや、町山氏もそうとう乱暴なことやってると思うんですけどね。なんていうか。

 ここでの話題の的は(他の話題もあるけど)シン・ゴジラ中の首相は無能かどうか、だと思うのだが、それについてはここでは云々するつもりはない。とてもどうでもいいからである。

 こういう書き方をすると嫌な思いする人もいるんだろうとは思うけれど、実際のところ、町山氏のこの指摘が正しくないとして、唐沢氏の主張に何か説得力が出てくるか、っつうとないんだよね。もうすこし邪推めいたことを言うと、唐沢氏じしんシン・ゴジラなんてどうでもいいと思っていて、自分が応援して止まない政治家にこじつけたかっただけのように見える。町山氏の食いつきも、そもそもはそこなわけで。

 まあそのへんはコメント欄にしろ町山氏のツイートにしろいろいろ語られているし、ひさびさに更新のあった唐沢検証blogでは、これを読み解くための手がかりになりそうな資料などが紹介されているので、気になる人はそっちあたっていただければと。これをきっかけに、唐沢氏の恥部が10年ぶりに再燃焼してもいるし。

 それはともかくとして、Togetterのコメント欄でも、たとえばこんな反応がある。

よく読んでみると唐沢さんは『シンゴジラ』を政治談の足掛かりに持ち出しただけで、元から映画評じゃなくて政治評に過ぎないことが分かるんだけど、それを執拗に否定するのは単に町山さんが「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える。。。

 これはわりに当を得ているように思う。ただし、否定するのは「それはコジツケである」と町山氏が感じたからだと思うし、そこはそう書いてるのだから、敢えて「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える」と評するのは別のバイアスがかかっているように見える。が、シン・ゴジラの首相が無能かどうかは、本題とはあまり関係ないのではないか。

 実際のところ、やりとりを見ると、唐沢氏はシン・ゴジラの描写についてはろくに語っていない。そもそも自分の主張はストーリーには関係ない、とまで言っているのだし。正直なところ、これれで唐沢氏のほうに理があると思うという声についてはかなり不可解である。町山氏のシン・ゴジラ評が正しいかは横に置くとして、それが唐沢氏のポイントを上げるほうに全く働いていないのに。

 とりあえず、こないだ否定的にツイートを引用した人をいきなり持ちだすもどうかとは思うが、こなたま氏の以下のツイートはかなり納得ができる。

  まさにそのとおりで、そもそも唐沢氏の並べ方がどうしてそれを比べようと思ったのか、意味がわからないのである。いや、一見関係ないものに関連性を見出すというのは面白みでもあるから悪いことではないと思うんだけど、だったらそれなりの説得力をもたせるか、どうしてそれをひっぱってきたか納得してもらう必要はあるだろう。艦これと右傾化でもシラミと熱病でもいいんだけど、その手の話だってもう少し「うーん、そう言われてみればそうかもしれないけど擬似相関かもしれないし」とか思わせる程度のネタの根拠は引っ張ってくるもんですが。

 それがないから町山氏に突っかかられているわけだと思うんだけど。

 多分、話のキモとなってくるところがあるとすれば、若い人ほど自民支持者が多いのはどういうことなのか?である。これはいろいろと見方や意見があると思うし、あまりとやかくいうことでもないと思うのだが、唐沢氏の主張が真だとするなら、若い人というのはいつも国会を見ているということになるわけで、そうなんでしょうか。

 しかも、それを見て、「安倍首相がかわいそう」とよみとる必要がある。俺もたまに国会の書き起こしをツイッターで流れてきて読むことがあるのだが、どう考えてもかわいそうというより傲慢な権力者にしか見えないので困ってしまうのだ。

 ただ、これはあくまで自分の見立てであって、そう見えてる人はわりといるんだろうなとも実は想像している。そういう世界観でツイートしている人というのを、それなりの数で目撃しているので。なので、唐沢氏の見立てによく似た世界観で生きている人は割にいると思うのだが、それが若い人に多いのか。ここはやっぱりわからない。そもそも、そこまで国会や情勢をよく見ていたら、自分たちを苦しめているのが自民党ではないと感じる人がもっと多そうである、というのが若者じゃない俺の感じ方になる。

 このあたりは、たとえば、大和高田市の市会議員(共産党)の向川まさひで氏は、おもしろい報告をしている。

 

  朝日新聞の谷津記者は、少し前にも話題になった中央公論を引いてこんな話を紹介している。

 

 

  

  あるいは、匿名ダイアリーでなされている分析もある。

 

 

 

 というように、もっと説得力のある説明はいくらでもあるわけで、唐沢氏の話に「じゃあそれどこから来たのよ」となるのは当たり前である。

 

 コメント欄を見ていて思うのは、町山氏の言動を反安倍首相のイデオロギーと取る人は非常に多いのだが、唐沢氏の主張を唐沢氏のイデオロギーと関連付ける声が非常に少ないことである。

 SF作家の……っていうかこの文脈だとどう考えてももとと学会と書いたほうが適切だと思うけれど、山本弘氏はこれを受けてこんな自作小説を引いている。

  ちなみに山本弘氏がいくつか町山氏のツイートをRTしたのちにこの記事をお気に入りにしているのが興味深いがそれはそれとして、あれはその人の内面を映し出しているようなものだという声はちょこちょこある。

 

  自分もこれはもっともなところがあると思っていて、だとすると、あくまでリアクションにすぎない町山氏と、そもそも積極的にこじつけを始めた唐沢氏、どっちの発言がイデオロギーが色濃く反映されているか、という話になる。

  ちなみに、逆に町山氏の見解を左寄りの人がおしなべて認めているかといえばそういうわけでもない。例えば、上野良樹氏は、町山氏の反応には批判的ながら、唐沢氏にも同意していない。このあたりも含めて、この炎上はイデオロギーの問題だとは思うのだが、それが町山氏の側に帰する話なのかはちょっと注意を要するように思う。

  コメント欄のひとつ目でいきなり町山氏は極左呼ばわりされているのだが、町山氏って、火炎瓶闘争をやったり、そこまでいかなくともそれにシンパシーを感じたり、そういう経歴ってあったんでしょうか。宝島30時代には北朝鮮の関与した日本人拉致について取り上げたり、噂の真相と論争したりしていたのは「左」という印象を受けないし、最近でも従軍慰安婦に否定的なことを書いて反歴史修正主義の人から批判的に言及されたりしてるわけで、これが極左ということになる理路はいまひとつ理解しがたいものがある。

 

妄想☆ふぇてぃっしゅ!

妄想☆ふぇてぃっしゅ!

 

 

 

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

げんしけん(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 

 

 

中央公論 2017年 10 月号 [雑誌]

中央公論 2017年 10 月号 [雑誌]