妄想☆いでおろぎっしゅ!

本日の第49回シン・ゴジラの俺はこれを読み取った会議、終了!

違うの混ざってるよ>俺

 

 唐沢俊一氏と映画評論家の町山智浩氏が「シン・ゴジラ」評をめぐって激突していた。

togetter.com コメント欄で町山氏のシン・ゴジラ評をめぐっていろいろと議論が繰り広げられているのだが、率直に言って見るに耐えないものになっている。町山氏が、ではない。いや、町山氏もそうとう乱暴なことやってると思うんですけどね。なんていうか。

 ここでの話題の的は(他の話題もあるけど)シン・ゴジラ中の首相は無能かどうか、だと思うのだが、それについてはここでは云々するつもりはない。とてもどうでもいいからである。

 こういう書き方をすると嫌な思いする人もいるんだろうとは思うけれど、実際のところ、町山氏のこの指摘が正しくないとして、唐沢氏の主張に何か説得力が出てくるか、っつうとないんだよね。もうすこし邪推めいたことを言うと、唐沢氏じしんシン・ゴジラなんてどうでもいいと思っていて、自分が応援して止まない政治家にこじつけたかっただけのように見える。町山氏の食いつきも、そもそもはそこなわけで。

 まあそのへんはコメント欄にしろ町山氏のツイートにしろいろいろ語られているし、ひさびさに更新のあった唐沢検証blogでは、これを読み解くための手がかりになりそうな資料などが紹介されているので、気になる人はそっちあたっていただければと。これをきっかけに、唐沢氏の恥部が10年ぶりに再燃焼してもいるし。

 それはともかくとして、Togetterのコメント欄でも、たとえばこんな反応がある。

よく読んでみると唐沢さんは『シンゴジラ』を政治談の足掛かりに持ち出しただけで、元から映画評じゃなくて政治評に過ぎないことが分かるんだけど、それを執拗に否定するのは単に町山さんが「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える。。。

 これはわりに当を得ているように思う。ただし、否定するのは「それはコジツケである」と町山氏が感じたからだと思うし、そこはそう書いてるのだから、敢えて「自民党が嫌いだから」以上の理由がないように見える」と評するのは別のバイアスがかかっているように見える。が、シン・ゴジラの首相が無能かどうかは、本題とはあまり関係ないのではないか。

 実際のところ、やりとりを見ると、唐沢氏はシン・ゴジラの描写についてはろくに語っていない。そもそも自分の主張はストーリーには関係ない、とまで言っているのだし。正直なところ、これれで唐沢氏のほうに理があると思うという声についてはかなり不可解である。町山氏のシン・ゴジラ評が正しいかは横に置くとして、それが唐沢氏のポイントを上げるほうに全く働いていないのに。

 とりあえず、こないだ否定的にツイートを引用した人をいきなり持ちだすもどうかとは思うが、こなたま氏の以下のツイートはかなり納得ができる。

  まさにそのとおりで、そもそも唐沢氏の並べ方がどうしてそれを比べようと思ったのか、意味がわからないのである。いや、一見関係ないものに関連性を見出すというのは面白みでもあるから悪いことではないと思うんだけど、だったらそれなりの説得力をもたせるか、どうしてそれをひっぱってきたか納得してもらう必要はあるだろう。艦これと右傾化でもシラミと熱病でもいいんだけど、その手の話だってもう少し「うーん、そう言われてみればそうかもしれないけど擬似相関かもしれないし」とか思わせる程度のネタの根拠は引っ張ってくるもんですが。

 それがないから町山氏に突っかかられているわけだと思うんだけど。

 多分、話のキモとなってくるところがあるとすれば、若い人ほど自民支持者が多いのはどういうことなのか?である。これはいろいろと見方や意見があると思うし、あまりとやかくいうことでもないと思うのだが、唐沢氏の主張が真だとするなら、若い人というのはいつも国会を見ているということになるわけで、そうなんでしょうか。

 しかも、それを見て、「安倍首相がかわいそう」とよみとる必要がある。俺もたまに国会の書き起こしをツイッターで流れてきて読むことがあるのだが、どう考えてもかわいそうというより傲慢な権力者にしか見えないので困ってしまうのだ。

 ただ、これはあくまで自分の見立てであって、そう見えてる人はわりといるんだろうなとも実は想像している。そういう世界観でツイートしている人というのを、それなりの数で目撃しているので。なので、唐沢氏の見立てによく似た世界観で生きている人は割にいると思うのだが、それが若い人に多いのか。ここはやっぱりわからない。そもそも、そこまで国会や情勢をよく見ていたら、自分たちを苦しめているのが自民党ではないと感じる人がもっと多そうである、というのが若者じゃない俺の感じ方になる。

 このあたりは、たとえば、大和高田市の市会議員(共産党)の向川まさひで氏は、おもしろい報告をしている。

 

  朝日新聞の谷津記者は、少し前にも話題になった中央公論を引いてこんな話を紹介している。

 

 

  

  あるいは、匿名ダイアリーでなされている分析もある。

 

 

 

 というように、もっと説得力のある説明はいくらでもあるわけで、唐沢氏の話に「じゃあそれどこから来たのよ」となるのは当たり前である。

 

 コメント欄を見ていて思うのは、町山氏の言動を反安倍首相のイデオロギーと取る人は非常に多いのだが、唐沢氏の主張を唐沢氏のイデオロギーと関連付ける声が非常に少ないことである。

 SF作家の……っていうかこの文脈だとどう考えてももとと学会と書いたほうが適切だと思うけれど、山本弘氏はこれを受けてこんな自作小説を引いている。

  ちなみに山本弘氏がいくつか町山氏のツイートをRTしたのちにこの記事をお気に入りにしているのが興味深いがそれはそれとして、あれはその人の内面を映し出しているようなものだという声はちょこちょこある。

 

  自分もこれはもっともなところがあると思っていて、だとすると、あくまでリアクションにすぎない町山氏と、そもそも積極的にこじつけを始めた唐沢氏、どっちの発言がイデオロギーが色濃く反映されているか、という話になる。

  ちなみに、逆に町山氏の見解を左寄りの人がおしなべて認めているかといえばそういうわけでもない。例えば、上野良樹氏は、町山氏の反応には批判的ながら、唐沢氏にも同意していない。このあたりも含めて、この炎上はイデオロギーの問題だとは思うのだが、それが町山氏の側に帰する話なのかはちょっと注意を要するように思う。

  コメント欄のひとつ目でいきなり町山氏は極左呼ばわりされているのだが、町山氏って、火炎瓶闘争をやったり、そこまでいかなくともそれにシンパシーを感じたり、そういう経歴ってあったんでしょうか。宝島30時代には北朝鮮の関与した日本人拉致について取り上げたり、噂の真相と論争したりしていたのは「左」という印象を受けないし、最近でも従軍慰安婦に否定的なことを書いて反歴史修正主義の人から批判的に言及されたりしてるわけで、これが極左ということになる理路はいまひとつ理解しがたいものがある。

 

妄想☆ふぇてぃっしゅ!

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中央公論 2017年 10 月号 [雑誌]

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