唐沢俊一検証blog、(かってに)分校、Part2。

 久々の更新である。

 前回は、と学会を立ち上げたのは私なんであるという唐沢俊一氏の主張について、「トンデモ創世記」を参考資料として考えてみたわけだが、この文章をまとめるために「トンデモ創世記」を引用して打ち込んでいるうちに、「なんじゃこりゃ」と思うところがあった。「と学会」という名のネーミングの由来について、とくに「と」の由来について唐沢氏と志水一夫氏が話している箇所である。

唐沢● あれはハマコン(編注:横浜のSF大会)で、「トンデモ本大賞」の第一回やって大ウケしたから、ウケたウケたと言いながら中華料理食いながらって話で。
志水● あれはね、藤倉さんがその前に「路上観察学会」で観察対象のことを一文字で何か言うでしょ。
唐沢● トマソンの「ト」?
志水● じゃなくて、「ろ」とかなんとかって元になるものがあって、それをヒントに「と」ということを提唱して、同人誌だかチラシみたいなのを出したらしいんですよ。それをみんな忘れてるんだけど、巽孝之さん(編注:慶應義塾大学教授)が覚えてらした。「と」っていうので、昔、藤倉さんがやってたよって。

(「トンデモ創世記」(p112)

 トークライブみたいな場でこの会話がされているところを耳にするのなら、あるいはさして違和感もないのかもしれない。対談本だから、昔これを読んだときも、そんな感覚だったのだろう、特に気になったたおぼえはない。しかし、これ何を言ってるのやら意味がわからないだろう。唐沢氏がこの当時からウケタウケタが大好きだったというのはわかるのだがそんなことはどうでも良いわけで、全然「なぜ「と」なのか」という質問にこたえていない。

 まず、先にコメントしておくと、この部分は前エントリで「路上観察学会の名前が登場している」と言及しているくだりである。あまりに意味がわからなすぎて紹介しなかったのだが、この対談の不可解さについて今回書くにあたって、改めて引用してみた。

 まあともかく、志水氏いわく、「路上観察学会」で観察対象のことを一文字で何か言う、というのだが…… よくわからない。そんなものあったっけ? 路上観察学会関係の本というと、「路上観察学入門」」「超芸術トマソン」あたりは手元にあるので、そんな話あったっけなあ、と思ってパラパラやってみたが、「一文字でトマソンを言い表す」なんていう話は見当たらない。

 まあ確かに赤瀬川氏が好みそうな言い回し、というのは思わなくもない。路上観察は80年代にはそれなりに大きなムーブメントだったようなので、書籍にまとまっていないところでそういうのがあったのかもしれない。しかし、だとしたら注釈でも入れてなければなんとも分からないだろう。

 この本は対談をまとめたものである。会話なんてものは、ほっておいたら脈絡がないやりとりになりがちである。だから、対談とか鼎談となるとあとあとの再構成というのは大事なんだろうなと思うが、にもかかわらずこれである。ちゃんと編集や再構成をしているのだろうか? などと思えてきてしまう。

 「トンデモ本の大世界」にみる「と学会」の由来

 しかしまあ、「と学会」の由来などという話である。他の書籍での言及と照らし合わせれば、二人が何を言いたかったか分かるかもしれない。

 「トンデモ本の大世界」に、藤倉珊氏の手による回想が収録されている。この回想は「なぜトンデモ学会ではなく、と学会なのか。それを説明しよう」にはじまっており、今回の話には格好の参考になりそうである。

 ということで読んでみると…… もう少し事情がつかめてくるような、ますますよくわからなくなるような。まあありていにいうと、二人とは全然違うことを書いているのである。共通することといえば、「と」なるものの出処は藤倉氏である、ということだろうか。

 以下に引用する。

一九八〇年代において坂村健という人がOSの世界でトロン・プロジェクトを立ち上げた。トロンというと今では組み込み系のOSのイメージで地味に思えるかもしれないが、当時は非常に壮大な構想をぶち上げていた。それこそ坂村健が世界を征服してしまうかも、というほどの勢いがあった(OSを制する者が世界を制するという意味では、本当にそうなった。あまりいい結果ではないようだが……)。

 TDSFではトロンプロジェクトのパロディとして「と論プロジェクト」という冗談をやっていた。とんでも論計画というわけだが、そこでは本にはと本、アニメにはとアニメ、ゲームにはとゲームというようにトンデモ論にさまざまな形が供給されることになっていた。あくまでトロンにMトロン、Bトロン、Cトロンのように用途に応じてさまざまなOSが供給される計画のパロディである。曲がりなりにも実態があったのは私のトンデモ本論だけであった。

 「と論プロジェクト」の「と」はトンデモの短縮形である。いくらなんでも一文字では省略のし過ぎであるがトロン計画との名前の相似に原因がある。
(「トンデモ本の大世界」p123-124)

 こちらは、さきほどの対談に比べれば話の経緯はつかみやすい。

 この回想では、路上観察についての話は特に出てこない。ヒントになったのは情報科学の世界で80年代に話題だったという、トロンプロジェクトである。別にシステムがどうこう、という話ではなく、トロンだから、と論。まあダジャレである

 もっとも立ち上がり当時にリアルタイムでない世代なので、トロンの当時のイメージじたいがまず私などにはよくわからない。第五世代コンピュータとどう違うんだっけ?という感じだ。TRONプロジェクトとはというページに引用されている、立ち上げ人である坂村氏自身の説明によれば、こうである。

TRONプロジェクトは、一九八四年、当時東京大学理学部情報科学科助手であった坂村健氏の発案により開始された。初期においては、工作機械、ロボット等の制御用組み込みリアルタイムOSを開発する計画と受けとめられていたが、I、B、M、C各TRONからなるシリーズ化の概念が発表されるにいたり、コンピュータの体系全体を新たな概念のもとに作り直すという遠大な計画であることが明らかになった。ITRONが制御用マイクロプロセッサのための組み込みリアルタイムOS、CTRONはメインフレーム・コンピュータのためのOS、BTRONがエンドユーザ向けの統合操作環境を提供する高水準OS、MTRONはモジュラー・パネルによる住環境制御用インテリジェント・オブジェクトの規格およびその分散制御用OSである。

初出は坂村健「新版 電脳都市」(岩波書店、1987)

  トロンという計画がマイクロプロセッサ向け、メインフレーム向け、などとそれぞれの用途にOSを提供する(予定であった)ように、メディアに応じての「トンデモ論」を供給する、と。こうまとめたら藤倉氏の文章とさして違わなくなったが。要するにあくまで元は「トンデモ」であって、「と」という極端な省略形はダジャレのためである、と、藤倉氏の回想によればそういうことになる。

 別にこれが正しいと断定する理由もないのだが、しかし唐沢・志水両氏の対談でのネーミングの経緯とは大きく食い違う。食い違うのはいいのだが(よくはないが、そういうこともあるだろう)、対談のほうは何を言っているのかが不明瞭という問題がある。どうも、よく分からない話である。

 「と学会白書 VOL.1」にみる「と学会」の由来

 と学会本の対談部分で論旨がよくわからないといえば、「と学会」というネーミングつながりでもうひとつ。

 「と学会白書 VOL.1」(イーハトーヴ出版,1997)はのちに色の名前などをつけて継続的に出版されていく「と学会」例会をまとめた本のはしりだが(版元はのちとは違う)、特別座談会という長い鼎談が収録されている。

 ここでも「と学会」の成立事情が語られていて、その箇所である。

司会 だから、「と学会」というのもいいかげんに、人に聞かれて言った名前らしいですよね。
山本 いや、あれは覚えてるけど、横浜のSF大会が終わった後、僕とか唐沢さんとか志水さんとかで一緒に横浜の中華街に……。
唐沢 そうそう、中華食いに行った。
山本 そこで、こういう会に何か名前をつけましょうかって言ったら、藤倉さんがこういうのは我々は「と」と呼んでますって。
唐沢 じゃあ「と学会」でいいやって。

  ふむふむと読んでいくと、次のような会話が続く。

皆神 TDSFのほうから「と」の概念が流れたんだよ。

  お、くだんの「と」由来話ではないか、と思って興味深く続きを読んでいくと、

志水 TDSFの解説を入れなくちゃ。

永瀬 いや、まず星雲賞の解説から始めなくちゃ。

岡田 とにかく酸欠になるまで笑ったよな(笑)。

唐沢 それはよく覚えてる。よく笑う客がいるなあ、と(笑)。 

志水 TDSFの解説を入れなくちゃ。

 ということで話がずれてしまう。じゃあTDSFの解説が入るかということそういうこともなく、そのあとには岡田氏のと学会ファーストコンタクト話が続いているのだが…… そんなものはどうでもいいとはいわないけれど、「と」の概念がどうこうの話はどこ行ったのだ。そしてTDSFはどこ行ったのだ。結局知りたいポイントには言及されていなかった。というか、岡田氏の発言から話がずれていくのがあまりに唐突過ぎて話がよくわからない。永瀬氏の星雲賞うんぬんも分かりにくいのだが、トンデモ本大賞の名前の候補に「暗黒星雲大賞」というのがあった、と引用文の少し前で言及されているからそこからのつながりだとかろうじてわかる、その後なんで笑う客の話になるのか。

 たぶん、現場ではなんかその場のノリで分かる話だったんだと思う。これは上の唐沢・志水対談についても言えることだけど。でも、それをそのまま字に起こされたって支離滅裂である。構成が悪い。

 いやまあ、だからどうなんだ、と言われると困るのだが。

「と学会白書 Vol.1 」にみる「と学会」立ち上げ

 これだけで終わるのもどうかと思うので、「と学会白書 Vol.1 」の中で「と学会」立ち上げをめぐって言及されている箇所を紹介。まず、山本(元)会長の文章から。

トンデモ本を)誰かが紹介してくれるのを待ってはいられない。自分たちで積極的に収集し、研究史、この面白さをもっと世間に広めようではないか。そう思った僕は、トンデモ本を集めた同人誌『超絶図書館』を自分でも執筆する一方、藤倉氏と連絡を取り合い、研究グループの設立について話し合った。

 漫画原作者で古書コレクターとして名高い唐沢俊一氏を引きずり込もう、と言い出したのは藤倉氏である。「あの人なら、私たちの意図を正しく理解してくれると思います」というのだ。まさに慧眼である。

 それと前後して、志水一夫氏のツテで、皆神龍太郎氏も加わった。また、『超絶図書館』を買って漫画家の眠田直氏からも連絡があった。あたかも磁石に吸い寄せられるように、様々な人材が集まってきたのである。

 

  じゃあその呼びかけをしたのは誰かというと、山本氏と藤倉氏、志水氏のようである。1991年のSF大会で山本氏が「超常現象ぶった斬り講座」というものを志水氏と一緒に開催した際に、『日本SFごでん誤伝』の著者である藤倉珊氏を紹介され、そこで「トンデモ本」という概念を藤倉氏から知らされることになったのだという。そして、上の引用へと話が続いていく。つまり、唐沢氏が引っ張り込まれる前に、あらかじめグループの設立の計画はあったのではないかと読める。もちろんそれが「学会」という形かどうかは別として。

 座談会の部分でも、こういう発言がある。

唐沢 それは僕がね、当時変な本を集めてることを『ガロ』でマンガに描いていて。
山本 『能天気教養図鑑』。
唐沢 そうそう。その中で川守田英二さんの『日本エホバ古典』とか『口笛の吹き方』とかね。
唐沢 そう、そういう本があったんで、こいつなら変なこと知ってるだろうかというので。
山本 最初は、エーッと思ったんだけど、それもおもしろいかもしれないと思って唐沢さんにお手紙を出して、いっぺん我々と会ってくださいって言ったんですね。

 

  「エーッと思った」という部分にほほうと思ってしまうのだけれどそれはそれとして、この言及もやはり、さきほどの山本氏の文章とだいたい同じことを言っている。あくまで個人的に思うことだが、ポイントは、唐沢氏自身も自分が立ち上げたなんて言ってない、呼ばれた側だということを特に隠していない、というところではないか、と思う。

 

トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

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トンデモ本の大世界

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TRONを創る

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と学会白書〈VOL.1〉

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路上観察学入門 (ちくま文庫)

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超芸術トマソン (ちくま文庫)

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