唐沢俊一検証blog、(かってに)分校。

 今回は日垣氏からはちょっと離れて、唐沢俊一なる人物について。

 10年くらい前までは、わりと書店のサブカルコーナーに著書のある人だった。そのころネットからの盗用をやらかしたことで少し話題になり、その盗用について当面は謝罪したものの、のちに自著のあとがきで愚にもつかない言い訳で被害者攻撃に走ったことからネットで再度批判の火がついた末に書いてるものがパクリとガセだらけであることが判明した人である。そのせいかは知らないがその後は連載や著書の数も急減し、今ではtwitterでちょっと偏ったツイート(婉曲表現)などを日々垂れ流している程度である。トンデモ物件を発掘する「と学会」の関係者でもあったのだが、そういう立場にありながらよく読むとトンデモ親和性がとても高いという、マジメに検証してるメンバーにいらぬ火の粉を振りまいていた人物でもあった。

 トンデモ本シリーズは結構好きだったので唐沢氏のことも漠然と信用していたのだが、盗用からの検証がはじまったのちにあらためて読み返してみると、なんとなく同意できないなあで読み飛ばしていたところが軒並み唐沢氏の手によるものだった上に、「なんとなくで済まないだろこんなイイカゲンな文章」と愕然とした記憶もある。

 それはともかく。

 唐沢氏の動向については、少し昔までは唐沢俊一検証blogというサイトがあって、メインは唐沢氏の著書や発言のパクリやガセを検証していたのだが、それ以外の活動情報もトレースしてくれていた。しかし、最近はもう検証は一段落のていの上に唐沢氏本人の商業的なところでの文章もほとんどなくなったということだからか、一年近く更新がされなくなってしまっている。

 で、同じくと学会人脈の山本弘氏や原田実氏のように*1twitterをぼんやりとやっているだけでもツイートがちょくちょく回ってきてネット論客としてよく目にする、というわけでもないし、唐沢氏が今どうなってるか知らないでいたのだが、なんでもクラウドファンディングをしていたらしい。

 もともと唐沢氏は懇意にしている小劇団を通して演劇方面での活動もやっていた。で、物書きの仕事がほとんどなくなってからはそちらに軸足がおかれるようになっていたのは、検証blogなどでも伺えた。そこからクラウドファンディングというところに話が進むのも、自然なように思う。クラウドファンディングという手法自体はいろいろ思うところもないではないものの、いまどきの試みとしては別段とやかくいうべきことでもない。

 ただ、失礼ながらウケてしまったのは

4,500円コース(税込) オリジナルDVDコース

3人が支援しています。

10,000円コース(税込) オリジナルDVD+オリジナルスタッフTシャツコース

2人が支援しています。
15,000円コース(税込) オリジナルDVD(特典映像付き)+Tシャツ+サントラCDコース

1人が支援しています。
20,000円コース(税込) オリジナルDVD(特典映像付き)+Tシャツ+ノベライズ本(サイン入り)コース

1人が支援しています。

 というわけで目標額が300万円なのに対して集まったのが7万弱ということだそうで。いちおう(少なくとも元は)有名人なので、クラウドファンディングのような形態での資金集めには親和性は高いんじゃないかと思うのだが……

Q:芝居版「お父さんは生きている」とは何ですか?

A:同じ役者(予定)、同じ設定で、全く違ったストーリーが展開される

  10月公演予定の演劇のことです。一定額以上の支援者の方を

 ご招待させていただきます。

 ということなので、つまりDVD化したものと芝居にしたものは別物ということだろうと思われる。ところが、年末の唐沢氏の発言を見る限りでは、芝居をDVDにしただけのようで……

 唐沢氏の芝居については、個人的にはまったくといって良いほど興味がないのでその内容については云々できないけれど、しかしまあ、あまりクラウドファンディングにのってくる人がいなかったのも残念ながら当然といえそうな信用度で、しかもそれには内実がともなっていたんだなあということがなんとなくうかがわれる。

 もうひとつ、唐沢氏がと学会を立ち上げたと主張している、という旨のツイート群があった。Togetterにまとめられているものがこちら。

 「トンデモ本の世界」シリーズはごく最近の数冊を除けばだいたい持っているので、ここで疑問視されている点というのはかなりよくわかる。「逆襲」におさめられていた立ち上げドキュメントふうのマンガでは、山本弘氏と藤倉珊氏が知り合ったのがきっかけになっているように書かれていた。そりゃマンガはマンガじゃないかと言われればそれまでというか、ベテラン作家に問い詰められてピンチの山本氏の前に古本屋帰りの藤倉氏がさっそうとあらわれてくるとか、そのベテラン作家が小松左京荒巻義雄平井和正(原文ではいちおう一部伏字になっていたが)であったりとかからしてまんま事実でないことはわかるんですが、それにしてもそこでは唐沢氏はあとから加わったオマケとしてのみ登場する。

 ていうかトンデモ本シリーズがここまで続くきっかけであったであろう、初期二冊にはほとんど唐沢氏の影はない。「逆襲」に3本の記事があるのみである。ちなみに「トンデモ本の世界」シリーズ立ち上げの立役者であった、町山氏は「1本」と書いているのだがこれは勘違いと思われる。

 しかしまあ疑問視ばかりしていてもしかたない。唐沢氏と志水一夫氏の対談「トンデモ創世記」から、登場する「と学会」立ち上げの際のエピソードをひいてみよう。

 

トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

 

 

唐沢● 志水さんが、「と学会」会長の山本弘さんと藤倉珊さんを引き合
わせたのは何年頃なんですか?
志水● 九一年のSF大会で。金沢だったと思います。
唐沢● ああ、i-CONのとき。あそこで引き合わせたんですか?
志水● 横浜のSF大会で「トンデモ本大賞」がはじまっているから、その前のときです。

(「トンデモ創世記」扶桑社文庫、p110)

で、このときは唐沢氏が初めてゲストとして参加した年でもあるらしい。落語をやってくれということで声がかかったのだそうだ。そこで、本の話をしたところ、と学会へ入らないかという話がかかったと。

唐沢● あのときは、立川談之助とかと一緒に行ったんだよな。弟と三人
で。で、僕が落語やったんです。そのとき枕で本の話をしたんですね。
その頃、『ガロ』に古本ネタの連載をしてたんです。『日本エホバ古典』
だとか、『口笛の吹き方』だとか、けったいな本を紹介してたんで、それを読んだ藤倉さんが、「唐沢さんも入れたらどうですか?」って推薦してくれたらしい。なぜかというと、あの人は落語の大ファンで、落語の話ができる人をメンバーに入れておきたかった(笑)。そういう意味では、金沢の大会というのはトンデモ元年ですね。

(「トンデモ創世記」扶桑社文庫、p111)

 これだと、藤倉氏と山本氏が先に引き合わされた後で、唐沢氏に声がかかった、と読める。 

 で、その流れで「トンデモ本大賞」ができて、次の年のSF大会で第一回が主宰され、おおいに好評だったとあいなる。この本では、その後の打ち上げで「と学会」が立ち上がった、という流れが語られている。

唐沢● 最初は「と学会」だから「こいつは『と』だ!」とか、「『と』の匂いがする……」とか、「バカ、ケチ、ナマケは『と』を飲まないって(爆笑)。そういう使い方をしていた。しかし、「トンデモ」っていうのはね、概念から何から、本当二十分でしたね。「何て名前にしましょうかね。『と』が付くから、『と学会』でしょうね」っていう。「会長はやっぱり、山本さんでいいでしょう」とかね。選挙なんかしないで。

志水● あ、そうそう。流れで決まったんだよね。

((「トンデモ創世記」扶桑社文庫、p149)

 ちなみに、文意がとびとびでちゃんと解釈しようとするといまいち理解しがたいところが目に付くかもしれないが、それは私もよくわかりません。ただまあざっと読みつつ経緯を認識するとして、この中でも、だれが立ち上げたかについては語られていない。

 これが20年たつと、

twitter.com

 という「こと」になってしまっている。

 そしてそのあとツッコミが入ったのか、いろいろと弁解をした末に(上のまとめ参照)、

twitter.com

twitter.com

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「トンデモ創世記」でもそんな話は出てきていて、

唐沢● (前略)終わったあと、これって来年からどうするんですか、来年もやるんですか?」っていってたのが岡田斗司夫(笑)。

志水● それいいね(爆笑)。

唐沢● それで僕が、「学会を作ろうと思うんですよね」って言ったらドッとウケて、オチみたいになった。あれは「ハマコン」でしたかね。

志水● そう、横浜でした。

唐沢● 打ち合えで、みんなで中華街でメシ食いながら、「なんか今日はウケたね」って話になったな。シジミの醤油漬けかなんか食いながらね。

(食い物の話5行略)

唐沢● そうそう。それで、「じゃあ、いっそのこと会を創ろうか」って話したのを覚えてるな。

志水● そうだよね。

(「トンデモ創世記」扶桑社文庫、p102~103)

 「それで」とつながっているので、関係ある話を私がはしょっているように見えるかもですが、この前は食い物の話です。それはともかく、このエピソードを見ると、弁解した「あと」についてはそこまで今の話とそれほど違いはないようだ。ただニュアンスはだいぶ違っていて、「学会をつくろう」はあくまでネタとして言い出したことや、山本氏を会長にしたのは別にきっかけ話ってよりはとりあえず押し付けたようなニュアンスになっていたのが「と学会立ち上げに至るピース」のように語られるようになっている。ちなみに山本氏本人は自分のサイトで、「と学会会長という地位だって、他の連中から押しつけられて、しぶしぶなったものだ」と発言している。まあこれもいろいろ屈託はありそうに見えなくもないが。

 ちなみにここでは引用されていないんだけど志水氏の口からはと学会のルーツ的なところを語っている中に赤瀬川源平氏らの「路上観察学会」の名前が登場していて(別に直接的な影響がどうのということはない)、学会という発想というか「別にクソマジメに研究するわけではない団体が学会を名乗る」現象自体そこまで奇抜なものではなかったようにも読める。

 2000年の段階と2016年の段階の語り方どっちが正しいかというと、それはわからない。おそらく「どっちも正しくてどっちも間違っている」んだと思う。唐沢氏の発言に対する山本氏のツイートも、その立ち位置で発言している。

twitter.com

 なので、これをどう取るかは皆さんにおまかせするしかない。ただ、これらの発言のベースになった出来事はあったのだとして、最初の発言である「と学会は自分が作った」はその事実をふくらませた、あるいは盛ったものだろう、とは思う。そうじゃなかったら弁解じたいがいらんわけであるし。

 ただなあ。

 唐沢氏は、このと学会についての述懐をしたあと、こうツイートしている。

twitter.com

 誰かが違う記憶をもとに発言したところで、そっちにも「記憶には誤りもあろう」を適用すればどうとでもなってしまうから、テープレコーダーで保存してる人でもいないかぎり、その「きちんととった証言」なるものが出てくるはずはあるまい。つまり、一見殊勝なツラで「いったもん勝ち」で自分の立場を押し通そうともくろんだ発言をしているわけである。

 いやそれは邪推が過ぎるかもしれないが、しかし唐沢氏は自分が「事実」をつきつけられたときにはこう答えていたのだ。

韜晦趣味、という言葉をご存知でしょうか。海外の作家さんにはわざと自分の履歴をぼやかして、あちこち食い違いを残しておく人が少なくありません。私にもその気があるようです。

研究者なら、ファンというのなら、韜晦趣味の作家をつついてもあまり意味がない、とお気づきください。

以上2引用は、もとは劇団「ああルナティックシアター」の稽古場日記につけられたコメントからの返答。のちに削除されたため、引用は下サイトより。元URLはこちら

トンデモない一行知識の世界 2 - 唐沢俊一のガセビアについて - 「青山学院大文学部英文科卒」という韜晦大自信

 あるいは、自著の間違いを指摘されたときには、こうごまかしている。

 しかし、間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう。事実、などというのは世界中の人間のうち数パーセントが知っていればいいことではないか?

 火食い鳥は火を食べ、ヒマワリは太陽に常に顔を向け、妊婦<のおなかの右側(左側だったか?)を蹴飛ばす子は男の子。そう国民の大半が信じていたからって、日本社会はどうってことないのである。そっちの方が夢があってよろしい。

 (「トンデモ一行知識の世界」ちくま文庫、p33)

 そんな夢捨ててしまえとしか思えないが、ようするに、人にはやたら実証を求める割に、自分がいいかげんなことを言い飛ばすことに対してはずいぶん甘い、というよりそれに指摘を加えられること自体がきにくわないようである。まあそれは誰でも多かれ少なかれそうなんだろうけど、そういうスタンスを貫いた結果、検証サイトで三桁を下らないガセが発掘される著者になった人物の「真相はかうだ」、自分にはあまり重きを置く気にはなれない。

 ちなみに唐沢氏はさきのツイートでも言及しているようにヤマトのファンクラブを作ったと自称しているのだが、実は事実関係が合わなかったり、さらにはとある俳優の自伝をなかば乗っ取ったり、という疑惑もあるのだが、まあ疑惑ですしね。

 

※今回のエントリでの引用元探しには、トンデモない一行知識の世界と唐沢検証blogを参考にしています。

 

 

*1:山本氏は元会長だが今は会員でないそうなのでこういう言い回しになっている