新しい偽史教科書をこねる会。

 森奈津子氏のツイートを受けて、歴史ライターの若林宣氏が数日前にこんな批判をしていた。

 

 

  戦前の言論弾圧はエロ規制が先にあったんだ、と言われたらふんふんとなんとなく納得してしまう俺のような人間には、ちょっと考えさせられてしまう話である。

 ところが、これに森氏が気づく以前に、他の「表現規制反対派」が反応したらしい。

  その具体的な内容は、こんなもののようだ。

  自分の認識では、若林氏は表現規制反対派だったと記憶しているのだが、たぶんパラレルワールドにいるのだろう、どっちかが。

 それはともかく、このメンバーの中には偽史研究の大家である原田実氏が混じっているのが目を引くのだが、これっておかしいじゃないか。だって治安維持法は1925年に制定されているわけだ。それに先だった労働運動を取り締まるための治安警察法は1900年制定だ。

 で、エログロナンセンスというのがどういう範疇を示すかは定かでないけれど、文化運動としての「エログロナンセンス」は、Wikipediaの記述を当てにするならば1929年ごろから1936年ごろにかけての文化であるとされている。

この時期には文字通り、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとする本・雑誌・新聞記事・楽曲などがブームとなり、盛んにリリースされた。時代としては、1929年(昭和4年)の大恐慌から、1936年(昭和11年)の2・26事件までの期間に当たるが、新聞報道では1936年5月に阿部定事件と言う大ネタがあり、その報道を最後とする。

 はいここで数字の大小を比べて欲しい。1925が1929より小さい値であることに異論がある人は、あんまりいないのではないかと思う。原田氏のリクツだと、治安維持法共産主義を取り締まるまえにまずエロをとりしまるための法律だった、ということになるのだろうか。すごい偽史を見てしまった気がするのだが、気のせいだろうか。

 もっとも、WIkipediaをあんまり信用するのも何である。コトバンクでいくつかの事典を見比べてみると、例えばデジタル大辞泉だと、「大正末期・昭和初期の低俗な風潮をさす」とある。昭和改元は1926年だから、とりようによっては治安維持法との重なりが多少あるようにも読める。

 一方で「日本大百科全書」だと、「1930~31年(昭和5~6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った」となっており、しかも

ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。

 という説明がなされている。ふむ、ひどい不況などによる出口のない暗い絶望と虚無感による台頭…… ナニカを思い起こさせる気がしないでもないのだが、まあおいとこう。

 しかしこの話、少し掘り下げてみるとそれ以前のところでおかしい。だって、表現規制って治安維持法に始まったものでもないではないか。大逆事件とか讒謗律とか、明治時代にあった話ではないか。なだいなだ「TN君の伝記」は、明治期を生きたとあるジャーナリストの生涯を少年向けに書いた伝記だけれど(まあ誰の伝記かふせなくてもいいかもしれないが、一応)、明治後期のジャーナリズムが直面した、表現規制がいろいろと登場している。

 案の定、反論がされている。かなり勉強になったので、少し長いがまとめて引用したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  なるほどなあという話だが、もっと言うとこんなん記憶をたどれば中学校で習ったよなあという話でもある。出版条例とかはさすがに習ってないが。中学あたりの歴史ではエロの話なんぞは(おそらく意識的に)されないので、むしろこっちのほうが頭に残っててもおかしくない。

 このあたりの話を横に置いとくとしても、森氏の主張はスゴい。だって、若林氏は戦前のエロ摘発なんてなかった、なんていう歴史修正を行ってる発言をしていないわけなんだから。むしろ、そういうものも合わせて論じることは無価値ではないと評価しているわけだから、事情がよくわからない。

  上のスクショを貼っているツイート主にも、続いてこう言われている。

 

 

 それにしても、引用元のツイートは原田氏以外もおかしいことだらけである。まず一番上の小森氏のツイートであるが、最初から最後までただの邪推であって反論ではない。別に邪推をしてはいけないとは思わないけれど、森氏の「言論的フルボッコ」にそれが入っているのを見ると失笑しかわかないというか、この人にかかったら自然災害をなんでも総理大臣のせいにする陰謀論説でも鋭い政権批判扱いされるんでないかなと思わなくもない。

 次の日下氏のツイートはまず、表現を規制するのが権力であるという一番根本なところを横に置いてる時点でおかしいだろう。それに、20年前の「言葉狩り」時代の小林よしのりゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」を愛読した黒歴史がある人間として自主規制が問題でないとは思わないけれど、法律によらないレベルでの批判やそれをうけた自粛がまったくなければいいとも思わない。個人的な感覚になるが、萌えキャラなんかについての批判はなんだかんだで大きな話題を集めるようなケースについてはそれなりに傾聴すべき話が多いということが最近(残念ながら)わかってきてしまったので、こういうの10年前のカンチガイした自分を見るようで辛いものがある。日下氏に限らないが。

 3名に共通してるのは、この手の形で表現規制を語る人は、自分たちに批判的な人は「エロは興味がないから規制したい、政治的な発言は興味があるから規制してはいけない」のだろう、という思いこみなのだが、若林氏が表現について語ってるツイートはときおり見る機会があるのだが、エロに興味がないのではなくてエロがあまりに公然と通ることで、不快に思う人のことを無視しちゃいかんでしょという切り口でだいたい一貫しているように思う。ちがったらごめんなさい。俺だってうっかり凶悪犯罪を犯して家宅捜索に踏み込まれた日には全世界の二次元オタク様に顔向け出来ないレベルで迷惑がかかる程度にはいろんなモノを持ってるけども、それとゾーニングの是非とかそういう話はまた別問題である。というか別問題にしとかないと、攻撃を受けるのは自分たちであるというのを忘れてはいけないと思うんだが。

 それはともかく、3人ともずいぶんな悪意に満ちた思い込みをお持ちだなあ、と思う。原田氏以外の二方は小説家なのだが、もしかして「エロ表現を含めた、フィクション規制には興味があるが、政治的な発言の規制には一ミリも興味がないから規制したい」などという本心がじつはあってその裏返しなのでは、となどという邪推はいかがだろうか。いかがだろうか、ってのも何だが。

 それはともかく、これを受けた若林氏は、

 

 

 

  まあそうなるな。

 

 

市販本 新版 新しい歴史教科書

市販本 新版 新しい歴史教科書

 

 

新編新しい日本の歴史 [平成28年度採用]

新編新しい日本の歴史 [平成28年度採用]

 

 

戦う広告―雑誌広告に見るアジア太平洋戦争

戦う広告―雑誌広告に見るアジア太平洋戦争

 

 

 

日本SF全集・総解説

日本SF全集・総解説

 

 

 

 

 

大相撲殺人事件 (文春文庫)

大相撲殺人事件 (文春文庫)