新しい偽史教科書をこねる会。
森奈津子氏のツイートを受けて、歴史ライターの若林宣氏が数日前にこんな批判をしていた。
「戦前の言論統制はエログロナンセンスから始まった」というのはほとんど偽史じゃん。こういうことを真に受けるの、いい加減にやめようよ。 https://t.co/eyyRyduE9p
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
歴史としてのエログロナンセンスの成立について少し考えろという話も。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
風俗取り締まりと言論統制をともに考えることは有意義だと思うけれど、エログロナンセンス以前から風俗取り締まりはあったし、言論統制だってエログロナンセンス以前からあったわけで。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月8日
戦前の言論弾圧はエロ規制が先にあったんだ、と言われたらふんふんとなんとなく納得してしまう俺のような人間には、ちょっと考えさせられてしまう話である。
ところが、これに森氏が気づく以前に、他の「表現規制反対派」が反応したらしい。
森奈津子、「私が気づく前に」「知性のかたまりのような方々」が「言論的フルボッコ」をしていたという勝利宣言、あたらしいな。この後渡邉哲也をRTしていて尚更香ばしさが pic.twitter.com/LDJZgl1bsE
— yuuki (@yuukim) 2017年11月11日
その具体的な内容は、こんなもののようだ。
なんというか、勝手な想像と妄想と自意識過剰とで回ってる感が pic.twitter.com/05imfAJq6k
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
自分の認識では、若林氏は表現規制反対派だったと記憶しているのだが、たぶんパラレルワールドにいるのだろう、どっちかが。
それはともかく、このメンバーの中には偽史研究の大家である原田実氏が混じっているのが目を引くのだが、これっておかしいじゃないか。だって治安維持法は1925年に制定されているわけだ。それに先だった労働運動を取り締まるための治安警察法は1900年制定だ。
で、エログロナンセンスというのがどういう範疇を示すかは定かでないけれど、文化運動としての「エログロナンセンス」は、Wikipediaの記述を当てにするならば1929年ごろから1936年ごろにかけての文化であるとされている。
この時期には文字通り、エロ・グロ・ナンセンスをテーマとする本・雑誌・新聞記事・楽曲などがブームとなり、盛んにリリースされた。時代としては、1929年(昭和4年)の大恐慌から、1936年(昭和11年)の2・26事件までの期間に当たるが、新聞報道では1936年5月に阿部定事件と言う大ネタがあり、その報道を最後とする。
はいここで数字の大小を比べて欲しい。1925が1929より小さい値であることに異論がある人は、あんまりいないのではないかと思う。原田氏のリクツだと、治安維持法は共産主義を取り締まるまえにまずエロをとりしまるための法律だった、ということになるのだろうか。すごい偽史を見てしまった気がするのだが、気のせいだろうか。
もっとも、WIkipediaをあんまり信用するのも何である。コトバンクでいくつかの事典を見比べてみると、例えばデジタル大辞泉だと、「大正末期・昭和初期の低俗な風潮をさす」とある。昭和改元は1926年だから、とりようによっては治安維持法との重なりが多少あるようにも読める。
一方で「日本大百科全書」だと、「1930~31年(昭和5~6)を頂点とする退廃的風俗をいう。この時期社会不安が深刻化して多くの人々は刹那(せつな)的享楽に走った」となっており、しかも
ひどい不況、金融恐慌、倒産の続出、失業の増加、凶作による農村の一家心中や娘の身売り、左翼思想家、運動家の徹底的検挙など出口のない暗い絶望と虚無感が背景にあり、当局の取締りは、国民の左翼化よりはましということで手加減された。31年の満州事変以後の軍国主義台頭でこの逃避的流行は消された。
という説明がなされている。ふむ、ひどい不況などによる出口のない暗い絶望と虚無感による台頭…… ナニカを思い起こさせる気がしないでもないのだが、まあおいとこう。
しかしこの話、少し掘り下げてみるとそれ以前のところでおかしい。だって、表現規制って治安維持法に始まったものでもないではないか。大逆事件とか讒謗律とか、明治時代にあった話ではないか。なだいなだ「TN君の伝記」は、明治期を生きたとあるジャーナリストの生涯を少年向けに書いた伝記だけれど(まあ誰の伝記かふせなくてもいいかもしれないが、一応)、明治後期のジャーナリズムが直面した、表現規制がいろいろと登場している。
案の定、反論がされている。かなり勉強になったので、少し長いがまとめて引用したい。
「エログロナンセンス」の成立は昭和初期の話だし、概念の成立以前から言論統制はあった
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
エログロナンセンスの弾圧時期にはとっくに言論統制なんぞ進んでいる
という単純な時系列の話が理解出来ないんだろうか
そもそも大日本帝国の言論統制時期って、いつだと定義しているのだろうか
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
まさか、治安維持法とか言うんじゃねーだろーな
明治26年成立の出版法から話をしないといけないらしい
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
大日本帝国の検閲の歴史とかから知識が抜けていると
大日本帝国の新聞は新聞紙法(1909年成立)とかで、とっくに言論統制されていたわけで
基本中の基本が分からない人達に、いくら説明しても通じないんだよね
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
大日本帝国はとっくの前から言論統制していて、その中でもエログロナンセンスが発生する程度の自由はあってそれが目立ってまた弾圧されたわけだけど。他の新聞紙法とかではもっと前に苛烈な規制があった。そんなん、基本なんやけど
出版法において、エロはダメなんだけど。
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
その中で、昭和初期には「エログロナンセンス」が発生したわけですよ
ここが分からないから、あんな意味の分からない受け答えになる
明治二年の出版条例は
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
「行政非難などの禁止、検印の制定 」
「みだりに教法を説き、人罪を誣告し、政務の機密を洩し、或は誹謗し、及び淫蕩を導く事を記載する者、軽重にしたがいて罪を科す」
この中で、淫蕩とあるので、エロもあるのだが、並列で政務誹謗も当然のように規制されてる
だから明治二年の出版条例をもってエロ規制と言うならば、同時に言論統制も始まっているので
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
「エロから規制が始まった」わけではないし、その中で昭和初期に「エログロナンセンス」が勃興する程度のエロの自由はあったわけだが、政務誹謗の方はそれどころではなかった
ただ、出版条例を規制スタートと定義すると、そもそも論、大日本帝国そのものがアカン
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
で終わる話でしてね
エログロナンセンスの話を改めてするとですね、昭和初期の大日本帝国は、度重なる戦争、関東大震災とかで社会不安が増大
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
それに対し「エロ・グロ・ナンセンス」が流行りました
有名なのはダンスホールとか
それらは大層流行りましたが、1940年には禁止となりました。
1937年から泥沼の日中戦争が始まるわけですが、直後にメーデ禁止から始まって、パーマ禁止、ネオン禁止と、娯楽がどんどん削られていきます。所謂「贅沢は敵だ」時期ですね
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
そして、完全にエロ言論を潰す「言論出版等臨時取締法」は1941年なわけです(すり抜けるのは勿論ありましたけど)
ここらへんの話は高校の日本史で学ぶレベル(図解日本史あたり)なので、高校レベルの教養があればですね。事足りるんですが
— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2017年11月11日
なるほどなあという話だが、もっと言うとこんなん記憶をたどれば中学校で習ったよなあという話でもある。出版条例とかはさすがに習ってないが。中学あたりの歴史ではエロの話なんぞは(おそらく意識的に)されないので、むしろこっちのほうが頭に残っててもおかしくない。
このあたりの話を横に置いとくとしても、森氏の主張はスゴい。だって、若林氏は戦前のエロ摘発なんてなかった、なんていう歴史修正を行ってる発言をしていないわけなんだから。むしろ、そういうものも合わせて論じることは無価値ではないと評価しているわけだから、事情がよくわからない。
上のスクショを貼っているツイート主にも、続いてこう言われている。
『戦前の言論弾圧がエログロから始まった』を違うと言ってると、なぜか『私がリプしてたら「戦前にエログロナンセンス系の本が多数発禁になってはいないし、乱歩も干されてなかった素敵パラレルワールド」に主張がすり替えられてるの、凄いなぁ
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
『戦前の言論弾圧がエログロから始まった』を違うと言ってるのが、なぜか「戦前にエログロナンセンス系の本が多数発禁になってはいないし、乱歩も干されてなかった素敵パラレルワールド」とか「共産主義弾圧しかされていない」などに主張がすり替えられてるの、凄いなぁ。 話全く聞いてないもん。
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
『左翼は、身内だけで回ってる』とか色々言われるけど、完全に身内だけで盛り上がってる左翼批判って…
— ツイ栗鼠しらず (@desPAiR0906) 2017年11月11日
それにしても、引用元のツイートは原田氏以外もおかしいことだらけである。まず一番上の小森氏のツイートであるが、最初から最後までただの邪推であって反論ではない。別に邪推をしてはいけないとは思わないけれど、森氏の「言論的フルボッコ」にそれが入っているのを見ると失笑しかわかないというか、この人にかかったら自然災害をなんでも総理大臣のせいにする陰謀論説でも鋭い政権批判扱いされるんでないかなと思わなくもない。
次の日下氏のツイートはまず、表現を規制するのが権力であるという一番根本なところを横に置いてる時点でおかしいだろう。それに、20年前の「言葉狩り」時代の小林よしのり「ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」を愛読した黒歴史がある人間として自主規制が問題でないとは思わないけれど、法律によらないレベルでの批判やそれをうけた自粛がまったくなければいいとも思わない。個人的な感覚になるが、萌えキャラなんかについての批判はなんだかんだで大きな話題を集めるようなケースについてはそれなりに傾聴すべき話が多いということが最近(残念ながら)わかってきてしまったので、こういうの10年前のカンチガイした自分を見るようで辛いものがある。日下氏に限らないが。
3名に共通してるのは、この手の形で表現規制を語る人は、自分たちに批判的な人は「エロは興味がないから規制したい、政治的な発言は興味があるから規制してはいけない」のだろう、という思いこみなのだが、若林氏が表現について語ってるツイートはときおり見る機会があるのだが、エロに興味がないのではなくてエロがあまりに公然と通ることで、不快に思う人のことを無視しちゃいかんでしょという切り口でだいたい一貫しているように思う。ちがったらごめんなさい。俺だってうっかり凶悪犯罪を犯して家宅捜索に踏み込まれた日には全世界の二次元オタク様に顔向け出来ないレベルで迷惑がかかる程度にはいろんなモノを持ってるけども、それとゾーニングの是非とかそういう話はまた別問題である。というか別問題にしとかないと、攻撃を受けるのは自分たちであるというのを忘れてはいけないと思うんだが。
それはともかく、3人ともずいぶんな悪意に満ちた思い込みをお持ちだなあ、と思う。原田氏以外の二方は小説家なのだが、もしかして「エロ表現を含めた、フィクション規制には興味があるが、政治的な発言の規制には一ミリも興味がないから規制したい」などという本心がじつはあってその裏返しなのでは、となどという邪推はいかがだろうか。いかがだろうか、ってのも何だが。
それはともかく、これを受けた若林氏は、
森奈津子、「私が気づく前に」「知性のかたまりのような方々」が「言論的フルボッコ」をしていたという勝利宣言、あたらしいな。この後渡邉哲也をRTしていて尚更香ばしさが pic.twitter.com/LDJZgl1bsE
— yuuki (@yuukim) 2017年11月11日
RT、私の通知欄には誰からも反論が来ないのだが。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
自分たちが対峙している相手が何なのか、わかってないんじゃないか。
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
— 若林 宣 (@t_wak) 2017年11月11日
まあそうなるな。
ニッポン エロ・グロ・ナンセンス 昭和モダン歌謡の光と影 (講談社選書メチエ)
- 作者: 毛利眞人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/10/28
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る