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家永教科書の朝鮮戦争観。

 家永三郎日垣隆についての話、の続き。

 日垣氏の批判はここまで何回かのエントリでみたようにまず文体について文句を言っていたわけだが、さすがにそれで終わりというわけでもない。批判はさらに以下のようにつづく。

そうして、ひとたび氏の専門たる現代史領域に入るや、文体はまったく異質なものになる。広島・長崎に原爆を落とし市民大量虐殺を図った側は正義で、落とされた側にのみ悪魔が宿っているらしく、朝鮮戦争では家永氏が大好きな北朝鮮ソ連と中国だけが立派で、嫌いな韓国を侵略者にしてしまう。 誤謬に満ちたイデオロギーの産物以外のものではない。

(「偽善系」文春文庫)

 家永氏の専門領域とはなんぞや、ということについては以前にも触れたので繰り返さない。私の見解が正しいともいいかねるし。で、原爆についての話は後日ふれることにして、まず朝鮮戦争についての事実誤認、という問題についてみていきたい。
 これは、いがいにまぎらわしい。なんせこの話を調べていた私も、「ああ、どうせ北朝鮮が攻め込まれたことになってるんだろ?」と早合点してしまったくらいだからだ。しかもこの文章は、藤原彰氏らによってかかれたベストセラー、「昭和史」などの中にも同様の記述があることを見せて戦後知識人に通底する間違った思考回路だと論じた、そのすこしあとに出てくるものなのだ。「あああれか」を狙った記述といったら言いすぎだろうか。
 いやまあ、実際にそういう記述になっていたら(この教科書がかかれていた当時どちらが説得力があったのかという問題は措くとして)、狙うのもそれはそれでレトリックとしてありだろう。なので、現代史についての記述が他と比べて「異質な文体」なのか、という点について見てみる上でもちょうどいいので、少し長くなるが「検定不合格昭和史」の中の関係する記述を引用してみよう。

 アメリカとソヴェト連邦とは、共同の敵を倒すために協力したが、戦争が終って戦後の処理が進められていくにつれて、両者の不一致が著しくなってきた。資本主義体制をあくまでも維持し発展させようとするアメリカと、共産主義の推進を理想とするソヴェト連邦とは、世界の重要な問題について、ことごとに鋭く対立した。一方ではアメリカ・イギリス・フランスなどの資本主義国家群と、他方ではソヴェト連邦とその衛星国の共産主義国家群とが、二つの世界として対立し、「冷たい戦争」が続けられた。  1950年(昭和25年)年6月、ついに朝鮮民主主義人民共和国大韓民国の間に戦争が始まった。この問題が国際連合安全保障理事会に上程されると、ソ連はこれは朝鮮の国内問題であって議題とはならないとして、理事会に出席しなかった。理事会は、ソ連欠席のまま会議を続け、北鮮を侵略者と宣告し、制裁を加えることを議決した。アメリカ軍を主力とする国際連合軍が韓国軍を助けるために朝鮮に出動し、次いで中華人民共和国義勇軍朝鮮民主主義人民共和国を助けて戦争に参加し、激しい国際的戦争が半島に展開された。日本は国際連合の基地として利用されたばかりでなく、朝鮮戦争に必要な軍需品製造のために、日本の工業が動員された。「日米経済協力」の名のもとに、日本の軍需工業は再び活況を呈し始めた。特需景気がとりざたされたが、これによって、日本産業のアメリカ資本への従属はいよいよ深くなった。さらにアメリカは、共産主義諸国への物資供給を妨げるため、日本の対ソ対中共貿易を厳重に制限したので、日本産業はアメリカに依存することなしにはやっていけない状態となったのである。 (「検定不合格昭和史」287~288p、太字強調は筆者)

 やや長々とした引用となって申し訳ない。さてこの記述、よく読んでみてほしい。あれこれと話題があっちこっちにとびとびしながら書いているので一見すると分かりにくいのだが、実はよく読むと「韓国の侵略」なんてことはどこにも書いていないのだ。
 現代書かれた朝鮮戦争についての文章だと、大抵北朝鮮が攻め込んできてそれに対して韓国・アメリカが戸惑う……という流れで朝鮮戦争の始まりが描かれると思う。なので、朝鮮戦争がどちらから始まったかはっきりした記載をしていないこの文章は何か違和感がある。でも、よく読めば一応アメリカ・韓国側にもソ連北朝鮮側にも肩入れしないようにしてはあるのだ。一つおかしいとすれば、「ソ連はこれは朝鮮の国内問題であって議題とはならないとして、理事会に出席しなかった」というくだりが事実誤認かつソ連に見識があるかのような口ぶりであることか(ソ連この年の1月から中国の国連での扱いを巡って理事会を欠席していたとされている。あくまでWikipedia情報だし、この当時この情報がどこまで共有されていたかは分からない)。確かに今となってみればかなり東側諸国に肩入れした文章に見えることは確かだが、とりあえず、「北朝鮮ソ連と中国だけが立派」と言えるような記述は見当たらないのだ。日垣氏の批判は当たっていないどころかデマに近い。

 当時どちらが先に攻撃をし始めたかというのがどれほど確定的だったのか?という問題は残る。よく言われるように、というか日垣氏が「昭和史」についての部分でもかいていたように、左翼系学者で韓国が北朝鮮に攻め込んだという見解をとっている人はけっこういたわけで、それは今となってはデマに踊らされた人だった、ですませることができたとしても当時としてはどうだったのか。今とは情報の量も違うし、「アメリカ側からもたらされた情報」の持つ意味合いも違うはずだ。

 とりあえず、前回見比べてみた他社の教科書での記述と見比べてみることにしよう。

 山川出版社「詳説日本史」では、朝鮮戦争については「1950(昭和25)年6月、突如両国は38度線付近で戦端をひらき、北鮮は中国人民義勇軍、南鮮はアメリカを中心とする国際連合軍の援助のもとに、一進一退の戦闘を続けた(朝鮮動乱)」と書かれている。「朝鮮戦争」でなしに「朝鮮動乱」となっているのは、当時宣戦布告のない戦闘は戦争ではなく動乱と表記するべきだ、という見解がもたれるようになったのと関係している。それはともかく、ここでもはっきりとどちらが先に攻め込んだかという記述はされていない。

 実教出版「日本史」でも、「朝鮮は戦後北緯38度線を境として南北に分けられ、北鮮はソ連、南鮮はアメリカの軍政下に置かれたが、1948年南鮮に大韓民国、北鮮に朝鮮民主主義人民共和国が成立した。しかし両国は激しく対立し、ついに1950年朝鮮動乱が起こった。」と表現の違いはあれどどちらから戦端を開いたかについてははっきりした表現を避けている。

 これらふたつの教科書から比べたら家永氏の教科書は「ディーテルがしつこい」とは言えるかもしれないが取り立ててアメリカとソ連どちらにつくかについて露骨な姿勢を示しているわけではないように見える。逆に言えばそういう書き方がこの当時のスタンダードだったとも言えるわけだが。これらを「歴史家に共通する勘違い」ととるのか、「当時はまだどちらが侵略したかを断定するには、慎重な態度をとるのが学者としての態度だった」ととるか、は私には何とも言えないのでこれ以上はコメントを控えることにする。

 次に、「現代史に入った途端に急に異質になる文体」なるものについて考えてみたい。文体論はしょせん主観の問題になってしまうのであまり言っても詮ないのかもしれないが、いかんせん日垣氏の批判がそれなのでどうしようもない。 
 先ほどの「検定不合格昭和史」の朝鮮戦争についての記述は、確かに後半の日本にもたらした影響について論じる部分はいくらか煽動的な文体を感じさせる。また、山川出版社版や実教出版版の教科書に比べると、戦争の経緯についても激情的な言い方といえば激情的な言い方である。しかし、「異質」というほどかというと? どうなのだろう。
 ついでに、無味乾燥だと断じられた井原西鶴についての部分が文化史に関わる項目なので、戦後史のうち文化史に関する部分の記述についてはどれくらい異質かどうか、見るために取り上げてみよう。

活動に不便な和服は戦争の末期から影をひそめ、戦後は男女ともに洋服の生活が圧倒的に優勢となった。農村の婦人たちの間にも洋服が普及していった。嫁入り道具としてなくてはならないと考えられてきた針箱が、だんだんミシンに変わっていく傾向が現れてきた。 (「検定不合格昭和史」284p)

 ……どうだろう。文体としてそこまで異質だろうか。
 これはさっきの朝鮮戦争の部分もそうなのだが、語句の羅列があまり目立たず、そのぶん記述的な文章になっているところが目につくのは確かだ。だから、そのせいで「無味乾燥」とやらな文体はある程度緩和されて、その分異質になったといえばいえる。
 ただ、これはイデオロギーと関係あるのかどうかという問題がある。1956年にかかれた教科書ということは「現代史」は10年そこそこの話しかないのだ。日本史の知識として詰め込まなくてはならない事項というもの自体があまりない。当時の入試事情など知らないけれど、入試でもあまり問われることはなかっただろう。現代史、特に同時代なら見解が安定しない論点が多すぎて入試問題に問うのは題意によっては思想調査になりかねない、という問題もあるかもしれない。だから、「覚えるべき、学ぶべきこと」がわりと少ない分、余裕のある記述をすることができた。事情はイデオロギーではなく、むしろそんなところにあるのではないだろうか。