その人じゃない。

 前回の、日垣隆氏の「偽善系」に集録された一文、「さらばー」と稲垣武「悪魔ー」の間をめぐっての話の続き。前回は、この二つの本の中の引用箇所の類似点を指摘した。

 しかし、類似しているのはそうでも、「でも、それくらいたまたま一致したといってもいいんじゃない?」くらいに思う向きも多いかもしれない。あるいは「記憶の中に残っていたから、流用したのだろう」という向きも。

 まあ、そういう意見もわからないではない。

 ただ、実はここにもう一つの気になるポイントがある。

「家永日本史の検定」をめぐる批判

 稲垣氏の「悪魔ー」と日垣氏の「さらばー」に共通して登場する書名の中に、「家永日本史の検定」というがある。

 

家永日本史の検定

家永日本史の検定

 

  この本は、家永三郎氏がかつて起こした教科書検定の是非をめぐる裁判にともなって出版されたもので、いかに文部省から指摘された教科書の「修正すべき点」が不当なものか、について時代や観点ごとに批判した本である*1

  内容をおおざっぱに紹介すると、I章では家永三郎氏自身、II章では遠山茂樹氏がそれぞれ教科書検定について総説し、どこがなぜ問題なのかについて概観しているものだ。その次のIII章では各論として、10人ほどの学者がいくつかの問題にそれぞれスポットを当て、具体的に検定意見としてついた意見について批判を加えている。最後の第IV章は大江志乃夫氏の手によるもので、当時最新の判決であったと思われる東京地方裁判所のくだした判決について批判的な分析をしている。

 表紙の著者名は遠山茂樹・大江志乃夫編、となっている。家永氏以外で多くのページを担当しているのは遠山氏と大江氏でもあるし、おそらくこの二人が主導して内容を構成もしたのだろう。

 まあ、正直、教科書問題を振り返るという意味合い以外の理由で今改めて読む本かというとビミョーであるが、別に何十年もたっても読み継がれるために書かれた本ではないだろうし、そこはいいだろう。

 日垣・稲垣両氏が両者が引用している文章は、この本のp245に登場する。

朝鮮戦争がアメリカ軍による侵略戦争であるという有力な学説もあるが、それもふくめ学説としては、南朝鮮側と北朝鮮側のいずれが戦端を開いたかはともかく、朝鮮民族内部の戦争として開始されたことを否定するものはいない。

 二人共この文章を大江志乃夫氏の手によるものであるとして紹介し、この記述をもって、どっちもどっちのように持っていくのがけしからんと批判している。

 日垣氏は、そもそも第二次世界大戦でどちらが戦端を開いたかを問題にしてきたのは大江氏や遠山氏ではないか、とも言う。そうかもしれない。とりあえず現在では朝鮮戦争北朝鮮側から攻め込んだということが定説だそうであるから、今の視点なら間違いである。

 だから、その範囲ではなるほどそうですねという感じなのだが……

間違いが一致するミステリー

 ただ、問題は実はそこではない。

 確かにこの本は遠山茂樹、大江志乃夫編である。でも、上の内容説明でも伺えるとおりこの本はこの二人以外にも多くの歴史学者が執筆しているわけなので、別にこの二人だけの手によってこの本が書かれているのではない。ま、「編」だから当たり前ではあるが。各論にあたるIII編については遠山氏は一章も担当しておらず、大江氏もひとつの章を担当しているのみである。上の朝鮮戦争に関する記述はこのIII編の中にふくまれる文章で、大江氏の文章ではない。これは、宮地正人という別の歴史学者の執筆担当になっている箇所の文章である。

 要するに、この二人著者間違って引用しているのである。

 どうしてこういうことになるのか。在野の歴史家だったりしたから敢えて実名を取り上げるのはよろしくないだろうという配慮なのか。いやいや、それにしたって文責を勝手に編者にすりかえていいわけではない。そもそもこの宮地氏は1976年当時東京大学史料編纂所助手を務めていた人物なので、そんな仮定を重ねることすら必要ない。

 これは、日垣氏がこの章を「自分で読んだ本の中から」迷著を選び出して書いたのなら、絶対に稲垣氏と重複するはずのない間違いである。だいたい、中身の目次はおろか、裏表紙に書いてあるんだから。そういう意味では、そもそも、なぜ稲垣氏はこういう間違いをおかしたのか、そこがまずわからないということでもある。

 でもまあそこは「間違ったんだからしょうがないだろ」ということにしよう。おっちょこちょいというのはよくある話だ。むしろ私はそういうの得意だ。

 ただ、それは間違ったのが一人の場合である。ほぼ同じところから引用をして、同じような批判を加えている日垣氏は、なぜ同じところで同じような引用間違いをしているのだろう?

 明らかによく間違えそうなネタってならしょうがない。すべからくや確信犯という語句を使う人は別に誰かのパクリをした結果でないだろう、単にありがちな誤用という話である。でも、これってそうじゃないよね。

 どうしても、日垣氏は稲垣氏の書いたものをそのままあまりちゃんと目を通さず、流用したのではないか?とこういう疑問につながってくるわけだ。

  邪推をするならば、ことによっては稲垣氏もこの本を目にしていないで、なんか別の資料が下敷きにあった、という可能性もある。その場合、日垣氏が稲垣氏のパクリ をしたというよりは、二人とも共通するタネ本を利用したということになるので、やはり日垣氏の文章についての評価が回復するというわけではないのだが。

  ちなみに「悪魔ー」は巻末に登場人物についての索引があり、人名から登場箇所を引けるようになっている。(これは文中もそうなんだけど)進歩的文化人は黒 ゴチックの太字フォント、それ以外は普通に明朝フォントで見出しが表記されていて、「俺らの側」「やつらの側」を強調する?つくりになっている。このほうが見やすいのは確かなのでそれはそこまで言うこともないのだが、この索引を見てみると、大江氏が「悪魔ー」のなかで登場するのはこの箇所だけなのである。 全力で冤罪を被っている。いやいやこの大江氏は他の著書でもヘンなことを色々書いているのだよという声もあるかもしれないが、そうだとしても、この索引に大江氏を入れたいのならそれを挙げればいいのであって、見当違いのところから入れられるのは冤罪に違いない。風評被害かもしれない。

*1:Amazonでは発売が1985年となっているが、正しくは「さらばー」にもあるように1976年である