リメンバー・イエナガ?

  日垣隆「さらば二十世紀の迷著たち」の中では、家永三郎氏の著書一冊と一本が俎上に上がっている。ここで取り上げられている著書とは「検定不合格日本史」で、論文のほうは終戦直後に書かれた論文なのだけどここでは「検定不合格日本史」に話をしぼる。

 

検定不合格日本史 (1974年)

検定不合格日本史 (1974年)

 

 日垣氏はこの本、というか教科書を「明らかな失敗作」だった、と断じて、あれこれと批判を加えた後でこんな一文で批判を締めている。

 あなたは時流におもねるただの野心家であり、歴史学官僚のホープたる自分の主張に後輩の文部官僚が敬意を表せず突っ返してきたことが許せなかっただけだ。教科書裁判の支援者たちが、氏を反権力者と思い込んだのは、ただの勘違いであろう。彼はただ権力者になりたかっただけなのである。 (「偽善系」)

 具体的な批判内容についての検証はあとまわしにして、とりあえずこのくだり、非常にミスリーディングな書き方になっているのが気になるというところからはじめることにする。

まず本題に入る前に、日本の思想史的な背景についてあらかじめ触れておく必要があると思う。前回のエントリに出てきた本のタイトルなどからある程度推し量ることもできるかもしれないが、かなり昔の話だからだ。


 ここでやり玉にあげられている家永三郎氏は、検定による教科書の記述に対する介入をめぐって国を相手取って起こした「教科書裁判」で知られる人である。

 東京教育大学、のちに中央大学教授(出訴当時)であった家永三郎が、自著の高等学校日本史教科書『新日本史』の検定不合格処分や条件付き合格処分を不服と して、教科書検定制度は憲法の保障する表現の自由、検閲の禁止、学問の自由などに反すると主張し、国などを相手どって提訴し30余年にわたって行われた裁判。

 

家永教科書裁判日本大百科全書「教科書裁判」の項目より、コトバンク経由)

家永三郎氏の声明

 

 私はここ一〇年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三八・九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復をはかるためにあえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。憲法教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としてもだまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽きます。

  昭和四〇年六月十二日
家永三郎

 

家永三郎教授の教科書訴訟東京教育大学新聞会OBのページ)より

  この裁判は、1960年代のなかばに最初の訴えを起こされたものだが、その後90年代のおわりまで結論が持ち越された非常に長びいた裁判である。

 提訴から32年にわたる家永教科書裁判は、国民各層に教科書制度を含め広く教育政策への関心を喚起するとともに、教育権理論を深化させる役割を果たした。また数次にわたって教科書検定規則および検定基準の改訂が行われたことは、同裁判の成果と評される。

家永教科書裁判日本大百科全書「教科書裁判」の項目より、コトバンク経由)

 

  前回話題に挙がった「家永日本史の検定」も、そんな流れのなかで出版されたものだ。

 

 このことを日垣氏は「さらばー」の文章の中で触れていない。なので、なんでいきなり家永氏が唐突に「野心家」よばわりされなければならないのか、事情を知らない人にはさっぱり分からない。まあそのあとを読めばなんかの裁判の関係者なんだなということはおぼろげに分かるが。
 まあこういう「さらばー」の構成的な問題については前回も触れたけれど、一部には分量の問題もあろう。また、この文章は2000年にかかれたものだから、当時の一定年齢以上の「読書家」にとっては教科書裁判というのは特に説明なしに持ち出して良かったのかもしれない。当時読んだ私にはよく分からなかったが(少しあとで話題になった、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書をめぐるニュースでようやくそういうことが過去にあったと知る)。

 ただ、ここで一つねじれているのは、この文章は本来、教科書裁判とは直接は関係がない、ということだ。
 教科書裁判の原告が書いた「検定で不合格になった教科書」をやり玉にあげているのにどういうこっちゃと思うかもしれないが、こういうことだ。
 日垣氏がはっきりと断じていないのでわかりにくいが、日垣氏の書き方だと「検定不合格日本史」が教科書裁判で不合格や修正の対象になった教科書であったかのように読めてしまう。
 しかし、この不合格になった教科書は教科書裁判の遠因ではあるかもしれないけれど直接は関係ない。なにしろ、この日本史教科書は1956年の検定で不合格になったものだからだ。いっぽう、教科書裁判は1960年代後半に始まっている。時期的に逆だ。
 「つくる会」の教科書などは学校向けのものが作られてほぼ同時に「市販版」が店頭に並んでいたから、そのセンでみていくと勘違いしてしまう。この本は、教科書裁判が始まってから、もともとは高校生向けに編まれた教科書を一般向けに復刻したものである。冒頭に付け加えられた序文のなかでも、検定のありかたについて論ずる上での資料として改めてひっぱりだしてきたものだということが述べられている。
 もっとも、この序文によれば他にも「一般向けに日本史の通史を」みたいな意図もあったとのことなので、それだけではないだろうけれど。
 つまり、ここで日垣氏がどれだけ「検定不合格日本史」の内容について熱弁をふるおうと、教科書裁判を批判したことにはならない(あるいは、教科書への検定による介入内容を正当化することにはならない)はずなのである。ならないはずなのだが、なぜか日垣氏は平然と教科書裁判についての批判をはじめてしまう。「検定不合格日本史」が出たのはさきほどの事情があって74年なので、年号だけみたら事情を知っていても勘違いしやすい。ミスリーティングな記述だと思う。

 

 それにしても、さっきも書いたけど、この本を始めて読んだときの私には唐突に持ち出された「家永三郎」という人自体に「それ誰だ」だったのであった。まあ、この次の年に家永氏が亡くなられたときに、某ちょう有名な歌手がブログでその名前を出していたという話を聞いたときには、自分の知識不足を思い知らされたわけだが。
 しかし日垣氏は「偽善系」に収録している「クソ本を読む」という書評群のなかで、こういう知識のスコープを無視している本の書評をとりあげてオタッキーな書評だと批判していたはずだ。オタクという言い回しを無条件に蔑視語として持ち出してしまえる感覚はさておくとしても(2000年だしな)、しかし、その基準ではかったとき、「さらばー」はまぎれもなく「オタッキーな書評」ではないのか。
 個人的には前提条件を持ちすぎれば「ガルパンはいいぞ」的な内輪だけを向いたものになるし、あれもこれも説明し過ぎると本題に入るのが長すぎるか、情報商材的文章にありがちなくどくどしたものになるし、なのでようはバランスだとは思うのだが。

迷著の小ネタ。

4回に渡って「さらばー」について見てきた。今回はその他いくつか小ネタを拾い上げ的に見ていきたい。

稲垣本・日垣本での類似?かもしれないもの

 まず、稲垣氏の著書との重複について。

 前々回のエントリで挙げたのは、引用箇所じたいが重複していたものである。そうでないものまで含めてしまうと、さすがにただのネタかぶりだろうとなってしまうと思うからだ。

 なので以下は、あくまで「題材が同じ」という指摘にとどまる。

 まず、「さらばー」の第4節で、歴史学者でもあり教科書裁判の原告でもある家永三郎が終戦直後はどちらかというと右寄りだったのがのちに左転回した、ということについて触れている。これは、稲垣本でも教科書裁判を扱った章のなかでエピソードとして紹介されている。日垣氏と家永氏の間をめぐっては、別に扱いたいネタもあるので今度もう少し詳しく扱う予定である。

 また、日垣氏は法学者の平野義太郎について、戦前と戦後の言動が大きく異なっているという話を取り上げている。

 正直なところ、家永氏は「戦後になってもまだ」だから批判的に論じる価値があるかもしれないが、戦前となると「それはしょうがなかったんじゃないの?」という違和感が出てきてしまうのだがどうなんだろう…… それはいいとしても、ともあれこの平野氏は「悪魔ー」では登場しない。巻末の索引にも名前はない。

 しかし、これは「悪魔祓いの戦後史」書籍版では省略されているのだが、元々の連載の中では第1回(「諸君!」1992年7月号, p149)の冒頭の緒言で登場する。やはり、戦争中には国粋的なことを言っていた学者の例として取り上げられているのである。ただ、名前が出てくるのみで具体的な発言について引用しているのは日垣氏のほうだけである。

本当は事実上終わっていた帰国事業

 小田実氏の「私と朝鮮」を紹介したくだりで、日垣氏は小田氏のことを文中で「帰国事業で北朝鮮へと送り返した」張本人と批判している。

 しかし、「私と朝鮮」が出たのは1977年である。いちおう帰国事業自体は1984年まで続いたとはいえ、この時期には帰国事業はほとんど終わっている。帰国事業で大量に北朝鮮へ帰還したのは1960年代のことで、この時期にはすでに北朝鮮は実は地上の楽園でもなんでもなさそうだということが国内の朝鮮人の人にも広まっていたためにもう手を挙げる人も減っていたようなのだ。というか、だからこそ小田氏のような有名人にスポークスマンとして語って(騙って?)もらう必要があったのではないか。

 現在では北朝鮮に批判的な立場に立っている佐藤勝己氏も初期は帰国事業にも携わっていたんだそうで、その佐藤氏の回想によると最初の2年間で8割が帰国し終わった、という。また、前述の稲垣武氏「悪魔ー」でも、帰国事業を通じて北朝鮮へ戻った人の数は「62年には前年の6.5分の1の13497人に激減、73年には704人、80年には40人、83年にはゼロ」としている。

 まぁ小田実氏の影響がまったくないと断言は出来ない。最後ごろに帰国した人は小田氏のルポを真に受けて帰国を決めた人もいたのかもしれない。でも、日垣氏のやるように、「犯罪的な事実」だとしてまっさきに指弾するのにふさわしい人なのか。

 それこそ同時にやり玉にあげている寺尾五郎などは50年代に北朝鮮についてほめたたえたルポを書き帰還事業を煽りたてたのだから批判に値するかもしれない。「悪魔ー」に登場するエピソードによれば、寺尾氏は帰国事業が始まった後で北朝鮮を訪れたとき、「全然違うじゃないかどうしてくれる」と帰国した青年に問いただされたということもあったそうだし。

 なのに日垣氏の筆は、そこでは「ところで、寺尾五郎って誰だ。」ととぼけるだけにすぎないのだ。なにかバランスがヘンだ。

それは本当に著者のせいですか

 「買ってはいけない」で名をあげた(とりあえず私の中ではそういうイメージが一番強い)人の文章らしく、「さらばー」には環境ホルモンをはじめとした化学物質や新たに名づけられて騒がれるようになった病気、およびそれによる人体への影響を大げさに煽るような本も取り上げている。これらの本が登場する節は「さらば二十世紀の迷著たち」の最後の節なので、そういった本をひととおり批判(中にはほとんどタイトルとごく短い説明しかされていない本も少なくない)したあとで、文章をこう締めている。

世界中が今世紀ずっと寿命が延び続けた事実を、これらはどう説明するのだろう。 江戸時代の切り捨てご免のキレた侍を、これらの本はどう解釈してくれるのだろう。 私の疑問は、きょうもまた広がっていく。

 この文章が書かれた2000年当時、エイズの流行で寿命が縮んでいる地域が南アフリカを中心に発生していたし、ロシアでは二十世紀末に平均寿命が低下したと思うがそれは本題ではないのでおいておこう。結局「世界中」ってどういう意味?という言葉遣い的なところに帰結しちゃいそうだし。

 で、これをあえて取り上げるのは、この文章はかつて私が読んで拍手喝采した記述だからである。いや実際に手は叩かなかったけど。でも、この手の環境保護や文明病のようなものを取り上げて人類の未来はマックラだ!とするアジり、あんまり好きじゃないので、そうそう、そうなんだよ!と感心したは確か。そもそも「買ってはいけない」批判が、日垣氏という人の文章に好意的に接するようになったきっかけであったんだし。

 でも、今思うと「それっていいがかりじゃないか」という話である。

 環境ホルモンとかあれこれが、実際に子供をキレさせるのかどうかはここではおいておく。でも仮にそうだとしても、江戸時代の侍が切り捨てご免したこととつながりはない。そんなものは多分別の理由があるんだろう、で終わりである。子供がグレたとか。ひいきの歌舞伎役者に恋人が発覚したとか。まあそれは冗談として、こういうものは因果関係はそうそう一意的には決まらないものである。発癌物質がなくたってガンになる人はいるのだ。そんなに気になるなら、それはそれであなたが解釈したらいいじゃないという話になる。

 「寿命が延びつづけた事実」だって、例えば日本では概ね当てはまると思う。でも、それと公害問題にはあまり関係がない。イタイイタイ病水俣病も、日本の平均寿命を縮める働きはしていないけれど、だからどうなのという話だ。それとも、寿命が延びつづけているのだから水俣病イタイイタイ病もどうということはないということなのか。自殺者が何万人出ても、平均寿命に影響はないかもしれない。だからブラック企業も不景気も放っておきましょう。そんなことになるのだろうか。それはさすがにないだろう。

 疑問がひろがっているのは、勘違いのせいじゃないのかしら。

その人じゃない。

 前回の、日垣隆氏の「偽善系」に集録された一文、「さらばー」と稲垣武「悪魔ー」の間をめぐっての話の続き。前回は、この二つの本の中の引用箇所の類似点を指摘した。

 しかし、類似しているのはそうでも、「でも、それくらいたまたま一致したといってもいいんじゃない?」くらいに思う向きも多いかもしれない。あるいは「記憶の中に残っていたから、流用したのだろう」という向きも。

 まあ、そういう意見もわからないではない。

 ただ、実はここにもう一つの気になるポイントがある。

「家永日本史の検定」をめぐる批判

 稲垣氏の「悪魔ー」と日垣氏の「さらばー」に共通して登場する書名の中に、「家永日本史の検定」というがある。

 

家永日本史の検定

家永日本史の検定

 

  この本は、家永三郎氏がかつて起こした教科書検定の是非をめぐる裁判にともなって出版されたもので、いかに文部省から指摘された教科書の「修正すべき点」が不当なものか、について時代や観点ごとに批判した本である*1

  内容をおおざっぱに紹介すると、I章では家永三郎氏自身、II章では遠山茂樹氏がそれぞれ教科書検定について総説し、どこがなぜ問題なのかについて概観しているものだ。その次のIII章では各論として、10人ほどの学者がいくつかの問題にそれぞれスポットを当て、具体的に検定意見としてついた意見について批判を加えている。最後の第IV章は大江志乃夫氏の手によるもので、当時最新の判決であったと思われる東京地方裁判所のくだした判決について批判的な分析をしている。

 表紙の著者名は遠山茂樹・大江志乃夫編、となっている。家永氏以外で多くのページを担当しているのは遠山氏と大江氏でもあるし、おそらくこの二人が主導して内容を構成もしたのだろう。

 まあ、正直、教科書問題を振り返るという意味合い以外の理由で今改めて読む本かというとビミョーであるが、別に何十年もたっても読み継がれるために書かれた本ではないだろうし、そこはいいだろう。

 日垣・稲垣両氏が両者が引用している文章は、この本のp245に登場する。

朝鮮戦争がアメリカ軍による侵略戦争であるという有力な学説もあるが、それもふくめ学説としては、南朝鮮側と北朝鮮側のいずれが戦端を開いたかはともかく、朝鮮民族内部の戦争として開始されたことを否定するものはいない。

 二人共この文章を大江志乃夫氏の手によるものであるとして紹介し、この記述をもって、どっちもどっちのように持っていくのがけしからんと批判している。

 日垣氏は、そもそも第二次世界大戦でどちらが戦端を開いたかを問題にしてきたのは大江氏や遠山氏ではないか、とも言う。そうかもしれない。とりあえず現在では朝鮮戦争北朝鮮側から攻め込んだということが定説だそうであるから、今の視点なら間違いである。

 だから、その範囲ではなるほどそうですねという感じなのだが……

間違いが一致するミステリー

 ただ、問題は実はそこではない。

 確かにこの本は遠山茂樹、大江志乃夫編である。でも、上の内容説明でも伺えるとおりこの本はこの二人以外にも多くの歴史学者が執筆しているわけなので、別にこの二人だけの手によってこの本が書かれているのではない。ま、「編」だから当たり前ではあるが。各論にあたるIII編については遠山氏は一章も担当しておらず、大江氏もひとつの章を担当しているのみである。上の朝鮮戦争に関する記述はこのIII編の中にふくまれる文章で、大江氏の文章ではない。これは、宮地正人という別の歴史学者の執筆担当になっている箇所の文章である。

 要するに、この二人著者間違って引用しているのである。

 どうしてこういうことになるのか。在野の歴史家だったりしたから敢えて実名を取り上げるのはよろしくないだろうという配慮なのか。いやいや、それにしたって文責を勝手に編者にすりかえていいわけではない。そもそもこの宮地氏は1976年当時東京大学史料編纂所助手を務めていた人物なので、そんな仮定を重ねることすら必要ない。

 これは、日垣氏がこの章を「自分で読んだ本の中から」迷著を選び出して書いたのなら、絶対に稲垣氏と重複するはずのない間違いである。だいたい、中身の目次はおろか、裏表紙に書いてあるんだから。そういう意味では、そもそも、なぜ稲垣氏はこういう間違いをおかしたのか、そこがまずわからないということでもある。

 でもまあそこは「間違ったんだからしょうがないだろ」ということにしよう。おっちょこちょいというのはよくある話だ。むしろ私はそういうの得意だ。

 ただ、それは間違ったのが一人の場合である。ほぼ同じところから引用をして、同じような批判を加えている日垣氏は、なぜ同じところで同じような引用間違いをしているのだろう?

 明らかによく間違えそうなネタってならしょうがない。すべからくや確信犯という語句を使う人は別に誰かのパクリをした結果でないだろう、単にありがちな誤用という話である。でも、これってそうじゃないよね。

 どうしても、日垣氏は稲垣氏の書いたものをそのままあまりちゃんと目を通さず、流用したのではないか?とこういう疑問につながってくるわけだ。

  邪推をするならば、ことによっては稲垣氏もこの本を目にしていないで、なんか別の資料が下敷きにあった、という可能性もある。その場合、日垣氏が稲垣氏のパクリ をしたというよりは、二人とも共通するタネ本を利用したということになるので、やはり日垣氏の文章についての評価が回復するというわけではないのだが。

  ちなみに「悪魔ー」は巻末に登場人物についての索引があり、人名から登場箇所を引けるようになっている。(これは文中もそうなんだけど)進歩的文化人は黒 ゴチックの太字フォント、それ以外は普通に明朝フォントで見出しが表記されていて、「俺らの側」「やつらの側」を強調する?つくりになっている。このほうが見やすいのは確かなのでそれはそこまで言うこともないのだが、この索引を見てみると、大江氏が「悪魔ー」のなかで登場するのはこの箇所だけなのである。 全力で冤罪を被っている。いやいやこの大江氏は他の著書でもヘンなことを色々書いているのだよという声もあるかもしれないが、そうだとしても、この索引に大江氏を入れたいのならそれを挙げればいいのであって、見当違いのところから入れられるのは冤罪に違いない。風評被害かもしれない。

*1:Amazonでは発売が1985年となっているが、正しくは「さらばー」にもあるように1976年である

君とは致命的なカブリがある。

 前回にひきつづき、日垣氏の「さらば二〇世紀の迷著たち」という文章を見ていくことにしたい。なお、タイトルは以後「さらばー」と省略させてもらうことにする。

 さてこの「さらばー」であるが、たんに本を取り上げて批判しているだけではなく、それらが迷著となってしまった、その根底にあるものを探っていこうとする、という形で問題提起をいくつかしている。まあ、単に書籍を挙げただけだとただの悪口になってしまうので、それは妥当な話の組み立て方だと思う。
 で、挙げている問題点の一つに、「イデオロギー論争に基づいた、白か黒かの二分思考」がある。それ自体は別に悪いことではない。なるほどなあ、と思う。まあ、どうも最近のインターネットなどでは、こういう考え方が一人歩きしてるところがなきしにもあらずだよなあ、と思うけれど、それはおいといて。また、資本主義か社会主義かというイデオロギー論争、にスポットを当てているのにもかかわらず登場する文章が社会主義を擁護する側のものばかりなのは気にかかるが(ちょっと記憶をたどるだけでも逆の立場の人で渡辺昇一とか八木秀次とか浮かぶんだが)それもおいといて。
 ただ気になるのは、この問題点をめぐって挙げられてくる書籍についてだ。これ、かつて読んだときは気にならなかったのだが、今となってみてみると、登場する文章がことごとくある本の中にほぼ同様に、あるいは似たような形で登場しているのだ。

 その本とは稲垣武「悪魔祓いの戦後史」である。

 

「悪魔祓い」の戦後史―進歩的文化人の言論と責任 (文春文庫)

「悪魔祓い」の戦後史―進歩的文化人の言論と責任 (文春文庫)

 

 

 

「悪魔祓い」の戦後史

「悪魔祓い」の戦後史

 

 

「悪魔祓いの戦後史」と「さらば二十世紀の迷著たち」

 「悪魔祓いの戦後史」は、ソ連が崩壊した後になってから、かつての「進歩的文化人」、つまり今風に言えばサヨク文化人が社会主義陣営のやったことについてどういう発言・評価をしていたか、について追ったものである。ようするに「北朝鮮は地上の楽園っていってたサヨクを追及する」みたいな本だ(実際その話題にもページが割かれている)。

 稲垣氏の本についても文章のこまごまとしたところに多少思うところがないわけでもないのだが、それは今回は関係ないのでさておく。この「悪魔祓いの戦後史」(以下「悪魔ー」)はかつて雑誌などに書かれた記事や論文を検証材料としているので、さまざまな著者の文章が引用されている。「さらばー」の引用箇所とこれが、妙に似通っているのだ。
 もちろん全部ではない。だいたい、「悪魔ー」は文庫本版で500ページ以上の分厚い本である。同じく文庫本版で20pほどの「さらばー」がそれを逐一取り込んでいるわけはない。

 「さらばー」の中でのイデオロギーの問題、特に東西対立をめぐってのそれに基づいた迷著は、第3節「北朝鮮は地上の楽園だったのか」に多く扱われている。ま、そこでなにを言おうとしていたかというのは、タイトルからも容易に想像がつくんでないかと思う。

 この節には、17冊の本が取り上げられている。このうち、遠山茂樹他「昭和史」、「家永日本史の検定」の大江志乃夫の担当部分、小田実「私と朝鮮」、田中寿美子「新しい家庭の創造」、寺尾五郎「38度線の北」、以上5冊の引用箇所が稲垣本と重複しているものだ。

 具体的にはこんな感じ*1*2

遠山茂樹今井清一藤原彰の「昭和史」(岩波新書、五五年初版)は「(五〇年六月)二三日、在日アメリカ空軍戦闘機部隊は九州に集結した。そして二五日、北朝鮮軍が侵略したという理由で韓国軍は三八度線を越えて進撃した」と記述している」

(「悪魔祓いの戦後史」p98)

《北鮮軍(ママ)が侵略したという理由で韓国軍は三八度線を越えて進撃を開始した。(遠山茂樹ほか『昭和史』岩波新書、五五年。なお、『昭和史 新版』五九年では「北鮮軍」は「北朝鮮軍」」と改められている)》

(「偽善系」p168。筆者注:「ママ」は元々は「北鮮軍」のルビとしてふられている)

朝鮮戦争がアメリカ軍による侵略戦争であるという有力な学説もあるが、それをふくめ学説としては、南朝鮮側と北朝鮮側のいずれが戦端を開いたかはともかく、朝鮮民族内部の戦争として開始されたことを否定するものはいない」と書いている。」 (「悪魔祓いの戦後史」p499)

「同じ遠山茂樹らによる『家永日本史の検定』(三省堂、七六年)では、こんな詭弁を大江志乃夫氏が開陳している。 《南朝鮮側と北朝鮮側のいずれが戦端を開いたかはともかく、朝鮮民族内部の戦争として開始されたことを否定するものはいない。》」

(「偽善系」p168)

「たとえば小田はこう書く。 「彼らのくらしにはあの悪夢のごとき税金というものがまるっきりない。これは社会主義国をふくめて世界のほかの国にはまだどこにも見られないことなので特筆大書しておきたいが、そんなことを言えば、人びとのくらしの基本である食糧について『北朝鮮』がほとんど完全に自給できるくにであることも述べておかねばならないだろう」」

(「悪魔祓いの戦後史」,p273)

「《人びとにとって彼ら自身が金日成さんとともにつくり上げて来た自分たちの社会主義(筆者注:日垣氏自身による「中略」含め6行略)彼らのくらしにはあの悪夢のごとき税金というものがまるっきりない。》(小田実『私と朝鮮』筑摩書房、七七年)」 (「偽善系」p172)

「田中はまた同書で、「ソビエトにも不良少年がいると雑誌などで宣伝されていますけど、本当ですか?」との問いに対してこう答えている。 「ないころはないけれど、日本やアメリカのように非行少年が横行するという状態ではありませんね。何といっても、人間による人間の搾取関係が基本的に制度としてのぞかれた社会ですから、まじめな人間が失業して食えないという資本主義国とちがって、不良少年が発生する経済的な条件はのぞかれています」 」

(「悪魔祓いの戦後史」,p35)

《「(ソ連に非行や犯罪は)ないころはないけれど、日本やアメリカのように非行少年が横行するという状態ではありませんね。何といっても、人間による人間の搾取関係が基本的に制度としてのぞかれた社会ですから、まじめな人間が失業して食えないという資本主義国とちがって、不良少年が発生する経済的な条件はのぞかれています」》(田中寿美子『新しい家庭の創造』岩波新書、六四年)」 (「偽善系」p173-174)

「また寺尾は、九月九日の建国一〇周年の祭典の夜、平壌の街を「ただもううれしげに歩き回っている」民衆に聞いた話を書いている。 「私はそのおびただしい人の流れにまきこまれながら、全く手当り次第に、これはと思う人間をつかまえては簡単な質問をこころみる。こんな時には、人は決して公式的な対外的宣伝文句なんて吐かないものだ。思いつくことを前後の脈絡もなく、自分の言葉の効果を計ることもせず、酔ったようにしゃべるものである。  だが誰の言葉もみんな結局は一つのことをいっていた。 『とにかく自分でも信じられないんだ。日ましに自分の生活がグングンよくなるんだ。予想もしなかった生活になっていくんだ。うれしくて面白くて張り切り続けだ』」

(「悪魔祓いの戦後史」,p254-255)

「《(ピョンヤンでは)誰の言葉もみんな結局は一つのことをいっていた。「とにかく自分でも信じられないんだ。日ましに自分の生活がグングンよくなるんだ。予想もしなかった生活になっていくんだ。うれしくて面白くて張り切り続けだ」》(寺尾五郎『38度線の北』)」

(「偽善系」p174)

 小田氏の書籍からの引用は少しずれていて、たまたま一文が重複しているだけなので他とはちょっと事情が違うと思うが、他は見事に重複している、というか日垣氏の引用のほうが引用範囲が短くなっている(《》でくくったのが元の引用全文である)。稲垣本の下敷きになっているのは雑誌「諸君!」に92年~94年にわたってされていた連載なので、当然こちらが先である。

日垣氏の批判のツッコミが浅い

 そりゃ、批判に適当な箇所(特に、端的に一部を引いてズバッとやれるような場所)などだれがやってもある程度似通ってくるといえば確かにそうかもしれない。ただ、少なくとも、ここまで似たような引用を並べて「一般には批判されたことのないものばかり」と言われてもちょっと……と思ってしまうのは、私だけではないと思う。

 いや、一般的にはなんとなく認識されていたものを改めて突っ込んで検証してみた、というのならそれもありかもしれない。ただ、そういう文脈として気になるのは、似通っているだけならまだしも、批判としては稲垣氏の方が綿密にやっているという点である。

 例えば田中寿美子「新しい家庭の創造」という本について。

 

新しい家庭の創造―ソビエトの婦人と生活 (1964年) (岩波新書)

新しい家庭の創造―ソビエトの婦人と生活 (1964年) (岩波新書)

 

 日垣氏は引用だけして、小田実氏の「何でも見てやろう」のなかの一文と並べて「夢見心地と座学による思い込み」と断定したコメントしかしていない。まあ先入観にとらわれてそうだし、あまり実証に基づいた文章ではなさそうだなあというのは読んで取れる(というかこれはソ連人との一問一答シーンなのでそういう意味では適当ではないかもしれないが、まあ「それをそのまま本にしてしまっている」という意味で)。

 しかしそれはあくまで「そうだろうなあ」である。ソ連についてのアネクドートや断片的な知識を念頭に置いた上での、「夢見心地(悪夢的な意味で)と思い込み」である。ついでに座学によるというほど大層なバックボーンもない。

 いっぽう、稲垣氏はこの引用を紹介したあと、続けて実際のソビエトには不良だっているのだ、と田中氏の文章に反する不良の実態について紹介している。もちろんそれだって座学であり、それが間違っているという可能性まで論じ出したら大変だけど、そこまでは書き手も読み手も期待してないだろうからおいとくとすれば、ちゃんと稲垣氏は読み手の思い込みに頼らないで、自分の批判の根拠を説明しているわけだ。こう書いてしまうと当たり前のことじゃないかと思えてしまうかもしれないが、実際日垣氏の批判はそこが欠落している。

 小田実氏についての批判にしても、やっぱり似たことが言える。こちらは日垣氏も多少は具体的な批判もしているのだが、それでも「税金のない国家など存在するわけがない」「当時北朝鮮の経済は破綻していた」程度。いっぽう、稲垣氏のほうがベ平連から北朝鮮についての著書におけるスタンスのありかたまで幅広い問題点を扱っている。もちろんそれはページ数の問題でもあろう。短い文章にたくさんの「迷著」をつめこんだ中では、ちゃんと批判しているほうといえばいえる。

 ただこうなると、「さらば二十世紀の迷著たち」のこのあたりの記述、いったいなんなんだろうということになってしまう。つまり、稲垣氏の著書ですでに綿密な批判がなされた本を、改めてより短い引用だけするにとどめて「迷著」として笑い飛ばす、という構造とはなんぞやと。綿密な批判の部分をそっくりはしょって、「名前を挙げてやり玉に挙げる」部分だけを残して、そのうえで「これまで表立って批判されたことがない書籍」群の一部というふれこみにしてしまう…… 箇条書きマジックかもしれないが、どうもあんまり素性のよい批判とは思えない。

 読者頼みのブックレビュー

 この日垣氏の「さらばー」、批評とか書評としてはわかりやすいようであんまりわかりやすいものではない。わかりやすいように見えるのは、こちらの持っている思い込みとかイメージに立証責任を預けてしまっているので、「はいはいあれね」と了解できてしまうからだ。だから、さっきの田中氏のところでも言ったように、ソ連ってこんなんだよな、というイメージがない人が読んでもさっぱり分からない批判になってしまっている。

 実は、この「さらばー」を初めて読んだとき、引用されている元の本の記述のおかしさにはそれなりに納得したものの、日垣氏本人が書いている地の文については半分くらいはいまいちピンとこないところがあった。それでそこそこ面白いとか評価しちゃうからいいかげんなものである。
 しかし、どうしてピンとこなかったか、理由は単純である。批判の文脈をほとんど示していない箇所が多いので、まだそれほど本を読んだことのなかった私には何を言いたいか分からなかったに決まっているのだ。

 補遺っぽい何か

 最後に、この節で上がっていた他の本についてもふれておこう。

 上で挙げたのは、17冊中5冊。ということで、この第3節に登場する本は残り12冊である。

 この12冊のうち、4冊は日本共産党系の社会科学用語辞典を版違いで比べてスターリン朝鮮戦争といった語句の解説がどう変わって行ったかを追ったものである。だから実質は一つだ。

 のこり8冊のうち4冊はどうかというと、これは経営者の自慢本である。話の流れが読みにくいが、北朝鮮の絶賛本のようなものはようするに広報的なものをそのまま特に裏をとったり検証したりすることなく、引き写して聞き書きしてしまった結果できあがった「迷著」だ、という話があって、そこから「聞き書き」つながりで自慢本が出てくるためこんなものが登場している。それ自体は一理あるとしても、それにしても共産党系の辞典や経営者のパブ本を「名著」扱いする人ってどれくらいいるんだろうか。

 ともあれ、残りの4冊がそれに付け加えて日垣氏が新たに紹介している本、ということになる。もっともその中にも本多勝一「中国の旅」などが登場していて、しかも具体的な批判といえば中国共産党によってセッティングされたのは無視できないのである、という程度なので、やっぱりこれで「これまで表立って批判されたことがない」って…… もういいか、このフレーズ。

 

キミとは致命的なズレがある (ガガガ文庫)

キミとは致命的なズレがある (ガガガ文庫)

 

 

 

*1:なお、現在では「悪魔ー」はPHP出版から新装版が出ているとのことだが、私が持っているのは文春文庫版なので引用はそちらに基づいている

*2:オリジナルの文章では、日垣氏は書名、稲垣氏は人名を太ゴチックで表記している

誰も知らない迷著批判。

 日垣隆というルポライターがいる。いや、もうほとんど商業的にはものを書いていないので、いた、といったほうが適切かもしれない。

 昔はけっこう有名な人だった。ある時期に文章のパクリが問題になったりしてちょっと表舞台から消え、また復活するもツイッターとの相性が悪すぎたりして、そのままフェイドアウト……というところである。

 20年近く前に、「買ってはいけない」という市民運動系のトンデモ本を批判したのがちょっとウケたのが名前を有名にしたきっかけ、だったと思う。あとからそれ以外にもいくつかそこそこ版を重ねた本を出していることを知ったけれど、少なくとも、自分がこの人を知ったきっかけはそれだった。まあ「買ってはいけない」騒動についてはいずれここでも書くと思う。あまり批判された側の肩を持つ気にもなれない。

 その「買ってはいけない」少し後で出版されたのが、「偽善系」という本である。

偽善系―正義の味方に御用心! (文春文庫)

偽善系―正義の味方に御用心! (文春文庫)

 いろいろな社会問題を扱っているのだが、今回触れたいのは、「さらば二十世紀の迷著たち」という文章である。
 これは20頁くらいの短い文章の中で100冊ほどの20世紀に刊行された本(一部、雑誌や新聞の記事も登場する)を取り上げ、バサバサと切り捨てられていくというスタイルのコラムかオピニオン雑誌の短め記事のような文章だ。書評のようだが、実際には日垣氏の主張の筋道があって、それにあわせて本の引用がなされていく、というほうが近い。読書エッセイと書評の中間というか、名前は知らないがこういうスタイルで本を紹介する文章はそれほど珍しくもないと思う。

 もともとは文藝春秋の宣伝誌「本の話」に寄稿したものだそうなので、コラムとして書かれたのかテーマにあわせてかかれたいくつかの文章の中の一つなのか、そのあたりは釈然としないのだけど、「偽善系」あとがきによると初出からだいぶ書き足したもののようなのであまり気にすることもないだろう。

 さて、なぜこの文章を扱うか。
 この文、最初読んだときには「買ってはいけない」批判でこの人を知ったクチとしてはさすがだなあぁとおもしろがって読んだ記憶がある。よく考えたら当時そのリストの中でまがりなりに読んだことのある本はほとんど無かったのだから世話はないが、それだけ読ませる文章ではあったということでもある。
 それから大分経って、今でもそのリストの全部など未だに読んでいない。でも、一部くらいなら読んだことがあるし関連する書籍もぽつぽつ読んだ、というくらいにはなった。うん確かにヘンだなあと思う本もあれば、そうじゃないのもある。

 で、それを踏まえて今になってこの「さらば二十世紀の迷著たち」を読み返してみると、気になるのだ、いろいろと。

(以下、ページ数や引用などは文春文庫版「偽善系」に基づく)

 まず、最初からなんだかヘンである。だってこれである。

以下に掲げるのは、これまで高い評価がなされことすれ、一般には批判されたことのないものばかりである。

 そこまでいわれたら、ほう。どんな意外な本が出てくるのだろう?と思う。でも、次のページでいきなり出てくるのが

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)

 フロイトの「精神分析入門」である。
 えー。この章の元となった原稿は2000年にかかれたもののようだが、フロイト批判が2000年まで一般に出てきていなかったというのは素人考えだがさすがに無理があるのではないか。
 例えば、「精神分析に別れを告げよう」という、これはフロイト理論がいかにでたらめで非科学的かを説いた本なのだが、1998年に出版されている。訳書だから原著が出たのはもっと前だ。フロイトというか、精神分析そのものが全否定されている感のある本だけれど。

 それだけではない。例えば、ユングアドラーなどという名前は心理学を専攻したわけでもなんでもない私でも知っている(フロイトとともに)有名な心理学者だが、このひとたちの学説というのはフロイトの学説に批判的になっていった結果生まれたものではなかっただろうか。ネット上の文章だけど、たとえば「日本トラウマ・サイバイバーズ・ユニオン」の用語集でも、フロイトは「生前から膨大な批判や排斥が絶えませんでした」と評されている。とてもじゃないが目立った批判がないとはいえない評価である。ちなみに、この簡潔な用語集の中だけでも、フロイトに対する批判的な視点がいくつも紹介されている(この文章自体は2000年以前に書かれたものではなさそうだが、ふまえてるのはもっと昔に唱えられた見方だろう)。

 あるいは、著者が「自分でフィクションだと認めざるを得ない代物だった」書物として、吉田清治「私の戦争犯罪朝鮮人強制連行」があげられている。

私の戦争犯罪

私の戦争犯罪

 ちょっと前に朝日新聞とそこの元記者がたいへんな目にあった経緯のある本としてのイメージが強いのでどこが批判されてない本なのかと思ってしまうが、それはあくまで2014年の出来事だ。そういえばその少し前にも吉田清治と吉見義明を混同してる人が市長だか知事だかをやっていたなあ、とかいうエピソードも思い出せる。ようするに21世紀には、当たり前に批判のターゲットになっていた本ということだが、はてさて。この本が2000年には、「これまで高い評価がなされことすれ、一般には批判されたことのない本の批判」だったのだろうか。

 この本の記述が「でっちあげ」であるという話は、これ以前からだいぶ広まっていた話のようだ。私がさいしょに読んだ記憶があるのは「産経抄」をまとめて文庫化したものの中でだったと思うが、Wikipediaで出典が明確につけられている記述を参考にするならば、1996年にはすでに週刊新潮で本人がフィクションだと認めているとのことだ。

 そもそも、「自分でフィクションだと認めざるを得ない代物」というのは、それより前にすでに批判がなされていたということだろう。それについての吉田氏のリアクションがあったからこそ、なしえる評価ではないのか。吉田氏がどういう人となりかなど知るよしもないけれど、一般に批判されているわけでもないのに私のルポはフィクションでした、と認めるというのはよほど人間ができている人がやることだし、そういう人が捏造ルポなんて書くのか、という話になる。真面目に考えれば論理構造自体がおかしい。

 本当に「これまで高い評価がなされことすれ、一般には批判されたことのない」本だったら、批判を「自分でフィクションだと認めざるを得ない代物だった」という一文で済ませていいはずがない、それだけでは、「どこが変なんですか?そんな話知ってる?」「さあ」で終わりである。「お前は気づかないかもしれないが、あれはそういう代物なんだ」で通じるわけはなかろう。

 ところが日垣氏はそういう注意書きもなしに、「迷著」にカウントしている。これを踏まえて考えると、この日垣氏の文章は

  1. フィクションだったと断定してしまえば、そうなのかーと思ってしまう人
  2. そうだよねーと漠然でもいいから事情を知っている人
  3. 具体的な内容は知らなくても、自分に都合のよい主張なら納得する人

 などに向けられていたということになる。ちなみに最初読んだときの私は一番目であった。こういうのを情弱という。

 まあ一番目と三番目の人は入るなと言っても入ってくるものなので、意識的にそこにターゲットを絞ったなら極めて悪質だが、そう言いきってしまうのもちょっと邪推がすぎる。おそらく、一番無難な推測は、二番目に向けられたということになる。しかしそれにしても、「これまで高い評価がなされことすれ、一般には批判されたことのない」本ではないだろう、やっぱし。

 もっとも、ちゃんと批判したいなら、ある程度の紙幅をとって、いろいろと参考文献を上げながらやらなければいけない。そんなスペースはない。という反論もあるかもしれない。
 それは判る。しかし、それならそれで、このスタイル(一気に本を並べてバサバサと批判していく)で「これまで高い評価がなされことすれ、一般には批判されたことのない」本を取り上げ、批判するという方法論自体、あらかじめ破綻していたといえなくもないので、どっちみちおかしいのだ。
 こういう形の読書エッセイを否定するつもりはあんまりない。読者と価値観を共有しているのを前提にしていれば、あまり説明がなくてもおもしろく読めるだろうし。だから、もし「一般には批判されたことのない」本を扱おうとしたかったのなら、もともとスタイルとの相性が悪かったということで、案の定うまくいかなかったということになる。